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番外編:シンジツノアイ

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

久しぶりの投稿です。

 拙文を脱稿して、はや3分の2年が経過しました。

 言いたいことはあらかた言い尽くした気分でいたのですが、例のランクイン履歴という機能が実装されてからこっち、そうもいかなくなりました。


 しょっちゅう拙文がひっそりとランクインしてますよ、という赤字報告がついてるんです(えばり)。

 お読みくださいました皆様のおかげです。ありがとうございます。


 この筆者にも正直予想外な拙文のランクインには、拙作『こんな異世界転生はイヤだ!』完結というブーストが逆噴射したことも、まあ少しは関係しているんじゃないのかなとは思うのです。

 が、まさかこの『スパダリの対偶』まで、エッセイ以外のジャンル――異世界転移/転生タグのせいで、ファンタジーやら文芸・SF・その他やらにまでひっかかってくるとは思いませんでした……。


 そんなわけで。

 いろいろ刺激を受けたというか、こういうことも書いてみようかなあ、ということが出てきたもので。

 番外編としてぽつぽつと投稿してみようかと思ったわけです。

 なお、今後の投稿は相当不定期になるものと思われます。ご了承ください。


 さて今回お題としますのは、『真実の愛』というやつです。

 割と婚約破棄だの、悪役令嬢だのバカ王太子だのヒドインだの、物語の構造だのについては述べ散らかしてきましたが、そういや登場人物たちの動因、動機であるところの『真実の愛』というやつはあんまり深掘りしていなかったな……と思います。

 そこで今回は、なぜ登場人物たちは『真実の愛』を求めるのか、そもそも『真実の愛』とはなんぞや、というところを見ていきたいと思います。


 とはいえ。

 いわゆるテンプレ婚約破棄で、バカ王太子が唱える『シンジツノアイ』については、以前もすこーし触れてはいるんですよね。


 いわく、バカ王太子的には性欲がメイン。

 婚約者であるところの悪役令嬢相手に手近に発散させようにも、ガードの堅い悪役令嬢には正論で拒否され、悶々としているところに割り込んでくるヒドインなどがそれの受け皿になる(される)。

 ヤりたいときにヤらしてくれる以外にも、自分の傷ついたプライドや劣等感などを全部よしよしと受容してくれるヒドインに対する感情、それがバカ王太子的『シンジツノアイ』ということになる、というふうに。

 ヒドイン側からしても悪役令嬢に対するマウンティング、将来の贅沢生活、高い身分などを保障してくれる(ように思われる)バカ王太子が『シンジツノアイ』の相手ということになります。


 つまり、バカ王太子とヒドインにとっての『シンジツノアイ』とは、徹頭徹尾自分の欲求を充足してくれる都合のいい相手に向けた打算交じりの肯定的感情であり、悪役令嬢に冤罪をかぶせおとしめる共犯者としての連帯感などを含んでいるものと考えられます。


 物語の中で、この『シンジツノアイ』の価値が超下落するのも当然。

 悪役令嬢たち――割り振られた役割を果たすことで、その世界の枠組みに沿って正しく状況を動かそうとする者――にとって、バカ王太子とヒドインの『シンジツノアイ』というのは、自分の役割を果たしていてなおそれに飽き足らず求めるのならまだしも、能力不足その他の要因で役割さえ果たせずに泣き言を言って逃げ込もうとする袋小路にしか見えないわけですから。


 しかし、『真実の愛』を求めるのは、バカ王太子やヒドイン、攻略対象ズなど逆ハーバラエティアソート組だけではありません。

 悪役令嬢も、ひいては女性の主人公に自己を仮託する女性を中心とした書き手読み手も、そして悪役令嬢を愛する役割を担わされたスパダリたちも求めるものなのです。


 バカ王太子が悪役令嬢に嫌悪を向ける理由の中には、婚約自体が政略だから、というものがあります。

 政略とは、その役割さえ果たせるのならば、誰が誰の代替品として存在していてもかまわないもの。つまり、代替可能な存在であるからこそ悪役令嬢との関係は偽物だ、愛情?あるように見せかけられても偽物だろ?だから全部悪役令嬢が悪いという論理ですね。

 それに対して『シンジツノアイ』とは唯一無二のものであり、相手の存在は代替不可というのが、バカ王太子サイドの主張です。


 しかし、役割としては代替可能な存在であるのは、悪役令嬢だけでなく、バカ王太子にも言えることです。

 その世界、その社会の仕組みが個人の寿命や能力、行動の範疇をはみ出した物事にまで影響を及ぼすよう、家門や国家といった組織が作られ、組織同士の結びつきが行われ、その結びつきに最適と判断された人間が使われる、それが政略だからです。


 また、振られた役割、代替可能な存在であることをやむなしとして。たとえ義務感や使命感をもって引き受けたとしても、それらが悪役令嬢たちにとっても、意にかなうものでないのは当然でしょう。

 役割の機能で評価されるということは、彼女たち自身を見ているわけではないのですから。


 つまり、『真実の愛』には2パターンあるといえます。

 一つが、すべてはただの都合の良さや偶然、あるいは偶然を装った、仕組まれた段取りによる出会い、からの傷のなめ合い。瞬間風速こそ記録的ではあるけれども、のぼせ上がった熱が冷めると、実は代替可能なものであったり、より優先されている目的が相互にあったのだと気づかされる『シンジツノアイ』。

 もう一つが代替可能な存在と思われていた人物の代替不能な点が見いだされ、執着されるもの。高温よりむしろじっくり低温調理並の時間を掛けて中まで火を通しまくったような、冷めるなんてありえないほどの温度上昇っぷり。

 この違いに気づかなかったクズ家族が、スパダリへクソ妹を売り込みに来た挙げ句、『真実の愛』を侮られたとスパダリが激怒する、なんて後日談がつくこともありますね。 


 私自身を見て!愛して!肯定して!というのが、一方的かつ否定的な他者評価に傷ついた書き手読み手たちの声なき声であり、だからこそなろう小説は今後も再生産され続けるだろう、というのが拙文でも以前に上げた結論の一つであったわけですが、証拠がないわけではありません。

 それが他者に対し、肯定的な評価を与えるだろう諸条件がかたっぱしから最低値になっていて、嫌忌されるような状態であっても、あなたがあなたであればいい、ただそれだけで未来永劫(全肯定)してくれる相手が存在するシチュエーションという、作品のテンプレのいくつかにも見られます。


 たとえば、ドアマットヒロイン系。

 虐待のせいで髪の毛もお肌もぼろぼろどころか、着の身着のまま、傷だらけのひどい外見になっていても、財産や地位を剥奪されていても、スパダリだけは手を差し伸べ女主人公を最悪の状況から救い出し、愛して幸せにしてくれるというやつですね。


 この変形が虐待の末の殺害により、アンデッドなどになった女主人公が身分や財産、本来の姿(美貌)どころか命まで失った状態から始まるざまあとか。

 TS――もともとの性別から変わっちゃったけどそれでも愛してくれますか、から始まる外見BL中身TL(内面と外面が逆パターンもありますね)な関係性とか。

 いや人型ですらなくなって、呪いなどで動物の姿に変えられていたという、いわゆる「蛙の王子さま」系のお話とか――これは獣人設定などと絡めてあったりしますね。

 動物の姿で愛玩され、人間の姿だったら全裸をなでなでされてるのと同じことだと気づいて悶絶するというラブコメ要素も入れ込めます。


 実はこれ、女性向けの婚約破棄ものばかりに見られるものではありません。

 男性向けでも、案外良く見られたりするテンプレです。

 ざまあにおける幼馴染みの存在がそれです。


 外見は普通から悪いのレベル、能力的にはたいしたことがない男性主人公。

 追放されたり、共同体の中であまり期待されていなかったりする彼を見捨てず、時にリードしてともに冒険を続けたる幼馴染み。男性主人公も戦闘をサポートしたりしてもらっているうちに能力が向上し、俺Tuee始まる……って、一昔前にわりとよく見られたテンプレですよね。


 ただし、この幼馴染み、明らかにこうやって見ると、やっていることは女性向け作品のスパダリに近いのに、負けヒロインポジションに落とされることの多いキャラクターでもあります。


 理由はいくつか考えられます。

 幼馴染みである=社会的地位が男性主人公の初期値に近い。つまり成り上がる前の村人その1状態の存在というのは、トロフィーワイブズの中に入れにくい。とか。

 最初期から出してるキャラクターなので読者書き手双方に飽きられやすい。また話の冒頭に出てくるキャラクターから、絶世の美貌などのとんがった特徴づけがしづらいため、トロフィーワイブズの中に入れるには見栄えがしない。とか。


 作品によっては、負けヒロインから曇らせ要員へということなのか、男性主人公の助けが及ばない状況で殺されたりもしてますね、幼馴染み。


 無償かどうかはわかりませんが、献身的な行動を認められることの少ない幼馴染み。ですがそれが『真実の愛』によるものではなかったのでしょうか。もし『真実の愛』にもとづくものであったのならば、なぜそれが報われにくいのでしょう。

 個人的には、やおいの元々というのが「その人間、その存在だけでも愛せる」を言いたいがために男性同士の恋愛というものをぶっこんできたものの上に、性的描写が花開いたという面もあるのではないかと考えています。

 Dom/Sub系作品ではなくても男性体の妊娠が描写されることが多いのは、そのためではないかと。

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