端書 あるいは動機の告白
この前の内容が「いやこれエッセイじゃないじゃん、ジャンル詐欺じゃん」と思った方、お読みいただきましてありがとうございます。
「フックのつもりなら、この後どうつなげるつもりなのか」と思った方、深くお読みいただきましてありがとうございます。
筆者がなろうに投稿を始めたのは、なろうの掲載作品を拝読しているうちに、いろいろな疑問を持つようになったからです。
中でも最大のものがこれ。
なぜ、なろうはテンプレなのか。
あああっ、石を投げないでっ。せめて投げるならおでんのコンニャクでっ!
だからといってアツアツもいやーっ!
……失礼。いろいろお見苦しい点がありましたことをお詫びいたします。
ちなみに、筆者はテンプレの価値を否定しているわけではありません。
テンプレによって創作に踏み込みやすくなり、新たな書き手が増加するというメリットは確かにあるのですから。
また、テンプレそのものも多様化し、中にはテンプレ外しのように、テンプレの存在自体を逆手に取った作品も多くなっています。
間違いなくテンプレには価値が、それも商業的成功を収めるほどの価値があると筆者は考えています。
だからこそ思うのです。
なぜ、これほどまでにテンプレには人気があるのか。
n番煎じと自虐しながら、それでも書き続ける書き手たち。
ランキング上位に常駐する作品。そして作品を選ぶ読み手たち。
テンプレには人を集める力があるのです。
でも、なぜ?
なぜテンプレは生み出されたのか。テンプレが人口に膾炙する理由は何なのでしょう。
細かくテンプレをみていくほど、疑問はますます増殖していきます。
なぜ、異世界ジャンルは人気が衰えないのか。
なぜ、異世界というと中世ヨーロッパ風味の、剣と魔法の世界なのか。
なぜ、異世界転生には人気があるのか。
この疑問が強すぎて、自分でも『こんな異世界転生はイヤだ!』という作品を延々と書いているわけですが、それでもまだ解けない疑問です。
なぜ、悪役令嬢は存在するのか。
なぜ、主人公は鈍感系が多いのか。
なぜ、ざまあには根強い人気があるのか。
なぜ、なぜ、なぜ……。
疑問を解くための創作から、またさらに疑問が生まれたり、以前に書いたものにも書き足りない点が見つかったり。
これまで抱え込んできた疑問と向き合う中で、いろいろぐるぐる悩んだりもしたのですが。
正直飽きました。自分だけで考えることに。
そこで、今後は疑問に対する筆者なりの解答なども、つらつらと書いていきたいと思います。
のんびり更新予定ですが、拙文にお付き合いいただければ幸いです。