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わかりやすさの意味(その4)~敵はどこにいる?~

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 これまでわかりやすさについて、キャラクターづけに多用される色彩、美醜、役割などについて見てきました。

 今回は『役割』と関連して、主人公格のキャラクターたちに与えられる『属性』について考えてみたいと思います。

 なお、『役割』と『属性』、どこが違うのかわからん!と思われる方もおられると思いますが、ここでは物語を成立させるための機能を『役割』、それ以外の要素を『属性』として考えていきたいと思います。

 たとえていうならば、オレ様バカ王太子のうち、単なる性格の部分である〔オレ様〕が『属性』で、婚約者に冤罪を押しつけて断罪をする〔バカ王太子〕が、『役割』ということになります。

 

 『属性』のなかでも、大きな部分を占めるのが〔正義漢〕ではないかと筆者は考えています。

 悪役令嬢のテンプレで、バカ王太子から行われる断罪。その理由であるヒロインへのいじめ行為が冤罪だった、というのもよくあるパターンですが、誰がこのような冤罪をでっち上げたのかというと、たいていはヒロインが首謀者だったりします。

 バカ王太子が嘘とわかっていてそそのかされるままに断罪を行うパターン、バカ王太子が婚約破棄に正当性を与えるため、自主的に婚約者の冤罪をでっちあげるパターンもないわけではないですが、どちらかというと、考えの足りないバカ王太子が必要な裏取りもせずに、間違った正義感で暴走した結果の断罪が多いように思われます。


 正義と悪の二項対立は、非常に図式としてわかりやすい。もっとも優れたテンプレであるとも言えるでしょう。

 ですが正義の敵は悪ではない、他の正義である、などとも言うように、唯一無二、完全無欠の絶対的正義というものはありません。正義は悪という概念との対比なくして存在し得ない、相対的なものなのです。

 つまり、正義は存在するために悪を必要とする。

 『正義ではないもの』を排斥することで、成立するのが正義と言い換えることもできるでしょう。


 たとえば、ドアマットヒロインを虐待する家族とか。あれは特定の人間に劣った生活環境を押しつけ悪者にすることで、相対的にその家族という集団の中での自己保全――自身が正しい存在であるからこそ恵まれているのだという思考ですね。

 それとは反対のようですが、バカ王太子が悪役令嬢の冤罪をでっちあげたり、あるいは無意識的にでも悪役を押しつけたりするのは、比較対象である他者に対し持った劣等感を解消するための排斥行動のため、正義を名乗る、という図式が見えてきます。

どちらも、その家族、あるいはとりまきなど、自己肯定と他者抑圧を思い通りに行いうる狭小集団の内側でしか通じない正義なわけですが。


 ざまあはそれらの狭小集団の内側の正義を、より広大で力のある集団の正義が悪として裁く逆転劇であるともいえます。

 それまで悪として否定されてきた、ざまあを行った人が、今度は善として肯定されるようになるわけです。


 ざまあの図式とは異なり、集団の中での正義、その他あらゆる価値観が、集団の内側から転覆することがあります。

 これは革命の構造と同一であると筆者は考えます。

 それまでの社会が正義としていたものを覆し、これまで虐げられてきた『正義ではない』ものが、その価値を認められ、尊重されるようになる。

 この劇的な転換は、従来の社会組織、価値観などさまざまなあり方に憤懣を抱いていた人にとって、胸の空くようなスペクタクルに思われるでしょう。

 ですが、既存の体制、権力構造、価値観などを覆すことに一度は成功しても、革命を起こした者たちがそのまま実権を安定して掌握し続けることは、極めて困難です。

 それはこの革命の動力源にあります。

 既存の何かに対する憤懣が力となって勢いを増し、事態を大きく動かした――ということは、また同じように、不満が集まってくれば、事態はまた動く、さらに状況を転覆させることができると、革命に触れたものに学習されてしまったからでもあります。


  ウェーバーは支配の三要素を伝統とカリスマと合法としましたが、これは政治的な支配だけでなく、人間の価値観においても同じ事が言えるのではないかと筆者は考えています。

 正義を含めた既存の価値観は、言ってみれば伝統的支配。長い時間を掛け社会全体に浸透し、正当性を獲得していたわけです。

 これを革命支持者層の既存の体制に対する憤懣、革命の旗手のカリスマなどで一度は覆したものの、権力を握ったとはいえ、革命サイドに、既存の価値観が獲得していたよりも強い根拠はありません。

 別の勢力が力を持てば、そちらにまたあっさりと覆されてしまうほど、重みのないものになっている。

 そこで革命で実権を握った者がどうするかというと、あらたな不満を押さえつけ、自身の体制を安定させるため強権的になる。

 あるいは、革命を主導している者の個人的カリスマに頼る。信頼ではなく信仰に変えようというのか、遡ってその個人を神聖化するようなエピソードを付け加えたりもする。

 加えて、自身の正当性を、合法性を担保してくれる『正義ではないもの』、より正義の意味を強めてくれる敵役の存在を求めたりもするわけです。


 では、その敵を、悪役をどこに求めるのでしょうか。

 集団の中か、外か。


 外側に設定すれば集団凝集性、団結力は高まります。

 一体化を主張するあまり、指導者とそのフォロワーといった関係すらも、呼称を統一することで完全に均質な集団であるかのように錯覚するような仕掛けをしたりもします。

 この場合、敵の顔に個人差はほとんど設定されず、具体性は欠くが、概念として周知しやすくなるわけです。

 いわゆる『悪の組織』というやつですね。

 イーッ!(いきなり戦闘員)


 ただしこれをやってしまうと、四方八方を敵に回してしまう可能性があります。

 なぜなら自集団ではないというだけで、潜在的敵として想定してしまっているので、関わり方というのも必然的に敵対的なものになるからです。

 同じ価値観を共有し、自集団の一部となるなら考えなくもない、ぐらいでしょうか。

 それでも潜在的仮想敵としての意識は残るわけで。それが差別からの敵対行動にいつつながることか。

 

 では、内側に敵の存在を設定するとどうなるか?

 筆者が考えるに、ある意味人狼ゲームに近い状況になるのではないでしょうか。

 誰もが疑心暗鬼、隣にいるのが本当に善と判断される側なのか、自分もいつどんなきっかけで悪と断じられる立場に陥れられるか、全くわからない状況。

 そして顔も名前も認識されている個人を、他の個々人が主張する正義に対する悪として、よってたかってつるし上げる。

 そのことによって、正義は再定義され――あるいは正義であると位置づけることに同意し――共犯者たちは、より正義に力を与え、正義として自身の肯定を強めるため、同じ事を繰り返し、いやどんどん過激なやり方になっていったりします。

 革命の過激派というのはつまり、より純度の高い正義を求め、不純物を悪として排斥することによって、どんどん味方の数を削っていった結果として出てくるものなのでしょう。


 具体例は出しませんが、困ったことに、このようなことは、実は歴史を掘れば散見されるものです。


 このような革命による正義の転換と、強化のメカニズムをなろうで扱った作品は少なく、ランキング上位を占めるのはざまあ、より大きく正しい正義によって、間違った正義感や正義がさらに叩かれたところで終わる、悪とされていた側が善として全肯定――駄洒落じゃないDEATHよ?――されるものが多いようです。

 それ以外にも既存の価値観では落ちこぼれ、無能と見なされていた存在が肯定されるざまあは、今もって根強いものがあります。


 一時期なろう系がストゼロ文学、という表現をされたことがあります。ストロングゼロ、強いアルコール飲料のように一時の癒やしをくれる面が評価されたのでしょう。

 その酩酊をもたらす主成分はというと、俺Tueeやざまあからもたらされる全能感、あるいは全肯定ということになるのでしょう。

 ですがそのためにざまあテンプレ以外ヤマもオチもない話、ざまあに正当性と爽快感を与えるためだけにひどい虐待と搾取の描写に重きを置くのはどうなのでしょう。人気があるからテンプレだから作ろう読もう、そのためにはマイナスの言葉どんとこい、という深酒悪酔い二日酔い前提な受け入れ方ができるかというと、人を選ぶだろうなという気がします。


 いや、筆者もざまあは好きですよ?

 一人時間差よしよし溺愛ヤンデレより、おもしろい話がもっと好きなだけで。

『属性』については書き切れなかったので、続きます。

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