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わかりやすさの意味(その2)~美醜の記号的表現~

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 前回は、イメージカラーとキャラクターづけの関連性について見てみました。

 ですが色以外にもキャラクターづけにはいくつかのテンプレが存在します。

 そこで、今回はカラーリング同様、キャラクターの外見の特徴とその性格との結びつきについて見ていきたいと思います。


 キャラクターの内面描写に使われる外見の特徴で最大なものは、美醜ではないでしょうか。

 主人公とは読者が感情移入する、いわば物語世界を動く読者のアバターのようなものです。

 当然、読者が感情移入しやすいように作られる。


 たいていの人は自分を悪とは考えない以上、読みやすい物語としては、基本的に主人公がいい人や善人で、敵対者が意地悪、悪人と位置づけられます。

 いくら主人公が悪役令嬢のように、物語世界における悪役であっても、その正義が回復されるハッピーエンドに導くしかけがあれば、相対的に見て善と判断できるでしょう。

 いやそんなハッピーエンドが約束されている悪役もどきじゃなくって、ただただ主人公より敵対する悪役の方が好き、感情移入するのは脇役だ!という方も、もちろんいるでしょう。

 ですが好きなのは『主人公の向こうを張れるくらいキャラクターに魅力があるから』でしょう。ならば主人公の前に立ちはだかる強固な壁としての魅力がなければなりません。

 壁は壁でも、俺Tuee主人公にぺらい発泡スチロールの壁のようにただ粉砕されるだけ、主人公の成長の糧にもならず、雑に物語の中で消費されるゴブリンその1のような、その立ち位置こそが好き!という方は、あんまりいないのではないでしょうか。

 ……100%いないとは言い切れないのが多様性。


 話を戻して。

 キャラクターの善悪、そこに外見がどう結びつくかというと、基本的に善サイドは美形に、敵対者は醜く描かれるのです。

 挿絵や表紙絵扉絵コミカライズのみならず、文中の描写でもその辺りの格差は歴然としています。

 特に男性の敵対者は醜く、あるいは年寄りとして描かれることが多い。

 げへへ系下卑た言動の悪役などは、低身長太鼓腹重量級、洗練の欠片もない、見苦しい存在として描かれるのがテンプレのようです。

 不潔さやボクちゃん系など、さらに嫌悪を催すような属性を付け加えることでパンチ力を高める、なんてキャラ造形も、特に短編コメディでは見られたりもします。

 これらは一発で撃退されるチョイ敵などに多いみたいですね。


 一方、外見も不細工で内面も下劣なやられ役、というテンプレを逆手にとったテンプレ崩しも、もはやテンプレになりつつあります。

 転生したら不細工かませ犬ポジ悪役でしたよこんちきしょう、からのサクセスストーリーとか。

 不細工唯我独尊、悪徳貴族のミニチュア状態のキャラクターが、未来の自分からの忠告を受けて心を入れ替えたら痩せて美少年に!あれいつのまにかハーレム状態で、自分が主人公だと言い張る人間がやたらと絡んでくるんですが、とか。


 ですがやはり感情移入しやすいキャラクターというのは、基本的に美形、あるいはかわいいと表現される外見が多いように思われます。


 では、悪役ならばすべて不細工かというと、そうではない。

 顔の整った悪役というのも、もちろん出てきます。

 それこそ、主人公よりも魅力的な敵。悪の道に堕ちたにもそれなりの理由があってのことというような、読み手書き手が感情移入しやすい悪役などは、かなりの割合で美形ですね。それも超絶が接頭語になるような。


 他にも美形な悪役というと、テンプレ的には悪役令嬢もその範疇に入るでしょう。

 先ほど善サイドならば美形として描かれていることが多いと言いましたが、悪役令嬢はバカ王太子にはその美しさを認められていません。これはより男性受けする女性として賛美されるヒロインに対し、悪役令嬢が男性に認められにくい美しさを持っているからということを以前も書いた気がします。

 それに加え、物語世界における秩序、バカ王太子をメインとした身分階層構造で上位者の意思こそが正義であるなら、悪役令嬢は正義に否定される敵対者である限りにおいて、その美しさを認められず、身に覚えのない嫉妬の醜さをそしられることで、美醜の表現を適合させているのではないかと筆者は考えています。


 美しさが認められない悪役としては、他にもスパダリ系の魔王や忌み子など、最終的には女性主人公と結ばれる相手が出てきたりもします。

 これも主人公であるヒロインや悪役令嬢の味方という善サイドについたということで、その美しさが肯定されるわけです。それまでは魔王であることそのもの、角や痣、黒髪紅瞳などの特徴がスティグマとして機能しているので、たとえバカ王太子とは格の違う、寒気のするような美形であっても、その美しさは評価されないわけですね。


 キャラクターが男女どちらであっても、なぜ悪と見なされる立場になったのか説明が入るなど、さらに感情移入しやすい仕掛けがされたり、善と自称する側の欺瞞などが暴かれることで、善悪が逆転する、などの物語展開上の仕掛けがあると、とたんに美醜の評価が逆転するようです。

 わかりやすいのが『こんなに美しかったのか(だったら側妃にしてやれば泣いて喜ぶだろう、なぜなら今も自分を愛しているはずだから)』などと、断罪されてる最中で『もう遅い』状況にもかかわらず、悪役令嬢に発情するバカ王太子のモノローグや心情描写の地の文でしょうか。


 悪役のように、悪という立場を設定されたキャラクターだけでなく、徹頭徹尾主人公と敵対するキャラクターにも、美形、あるいはかわいいと表現される存在はあります。

 たとえば、クソ妹ヒドインなどの敵対者。

 これらは無知により泣きわめく姿、嘘泣きに隠れた勝ち誇った笑顔などが、外見に現れた内面のみっともなさ、醜悪さとして描写されます。

 

 ならばモブはどうなのか?

 美でも醜でも目立てばそれはモブではありません。

 色合いもそうですが、群衆の中に紛れて印象に残らない外見。読み手書き手にとっては動く書割でしかなく、内面にまで踏み込む価値を見いだせないほど目立たないのがモブなのですから。


 それでもモブのモブらしくない内面をなんとか外見に表現しようとするのなら、『目』や『行動』でしょうか。

 たくましい体つきやすぐれた身長など、身体面の優秀さを表してしまうと、とたんにモブ皮俺Tuee主人公になってしまいます。

 ですので優れた点を表現するとしたら精神面。意志の強さ、思考の鋭さなどを示すような描写をすると、モブらしい主人公の活躍をさらに外から見ている視点というのは描写がしやすくなるかもしれません。


 人間の知覚が触覚や味覚、聴覚などの、他の五感よりも視覚が優位であるというのは、よく知られたところです。

 そして自身が合理的と考えている判断が、個人的な嗜好、好悪によるものだったりするのは、バカ王太子の根拠レス断罪ほど極端ではありませんが、現実にあることでもあります。

 そして美醜の概念は、快不快という感情に直結するため、これらの美醜で表されるテンプレは、ほとんど意識すらされずに受け入れられているようです。

 これはなろう作品だけではありません。


 世界の東西問わず、歴史的な絵画と言われるもの、中でも天国と地獄、天使と悪魔などの題材を扱ったものを見るとよくわかると思いますが、善なるものは美しく、邪悪なものは醜く描かれていることが多い。

 近代絵画でもグロテスクに見える極端な造形は、視覚的インパクトを与え、価値観を逆転させる狙いで行われていたりするようです。

 このように、ハイカルチャーでもサブカルチャーでも、美醜には、他の価値観にまで影響を及ぼす力があります。中でも、美しい人は性質も素晴らしいというように、ハロー効果といわれる、認知にバイアスをかける機能が強いようです。

 ですがそれがあまりにも反復強化され、人間の価値は外見が最重要と考える、ルッキズムと言われる問題にも注目が集まっています。

 そしてこれがなろう作品にもさまざまな影響を与えているわけです。


 現実世界でルッキズムによる理不尽な扱いをされている(と感じる)読み手書き手にとり、美形=善で主人公、というのは、既存の価値観で高評価であるがゆえにつるっと受け入れやすいテンプレである一方、自身を抑圧しストレスを溜めるものでもあります。

 なにせ美醜は個々人の価値基準でありながら、他者と自身を比較し、カーストを意識の中に構築するものだからです。

 自分が最上位でない限り(そして無条件に自分を最強美人と裁定できるような、強心臓乃至はつよつよ美形な人はなかなかおらず)、なにかしらの劣等感を抱かずにはいられない。

 そんな葛藤が生み出したのが、出てくるキャラクター全員が顔面偏差値激高という世界観。

 その中で、ちょっとさえない主人公がよってたかってちやほやされるハッピーエンド。

 そう考えるとわかりやすいのかもしれません。


 逆に、この視覚的わかりやすさ=ルッキズムに対する叛逆を示す作品も見られます。

 美醜の格付けを壊す仕掛けとして、よくあるのが美醜逆転世界です。

 もともと顔面不自由と見なされ、それによって酷い扱いを受けていた主人公が、全く別の価値観の世界でもとの容貌のまま、最上級の美貌として認められる。

 でも心優しい主人公は、その世界で底辺扱いされていた異性に同情し、自分の奴隷など所有物として拾い上げることで、保護をする。

 でもその世界での醜悪外見というのは、主人公にとって目が潰れるほどの美形だったので、Win-Winの幸せ関係になりました、めでたしめでたしというテンプレも非常に多い。女性向けに。

 寡聞にして筆者は、男性向けの作品で、美醜逆転世界ものって見たことがありません。

 もしご存じの方がおられましたら、教えていただけるとありがたいです。


 個人的要望はさておき。

 作品の中で受容したり破壊したりされる概念、美醜とはいったいどのようなものでしょう?


 ちょっと昔のなろう恋愛、特に異世界ジャンルで多かった『不美人』の表現は何かというと、東アジア的というか、弥生人的なものでした。

 一重(ひとえ)まぶたで平たい顔面族というやつです。

 それに対し、美形はというと、ハリウッドレベル、などという表現が今も使われていたりします。はっきり言及はあまりされていませんが、ぱっちりとした目などという表現も、一重と対比する二重(ふたえ)を示しているものと思われます。


 そう、金髪碧眼バカ王太子がぱっと見瑕瑾のない美青年として描写されるように、なろうで美しい外見を持つと表現されるものは欧米人、それも白人系の容姿がほとんどなのです。

 そして美形と対比され、醜い、まではいかなくてもぱっとしない、華のない、ありふれた容貌は、きわめて弥生人的というか、現代日本社会におけるモブ的外見なのです。

 この激甚欧米偏重型ともいえる美しさの定義とは、いったいなんなのでしょうか?


 なろうの異世界ものに限ったことではありません。

 日本の現代社会全般においても、彫りの深さ、派手に見える造形の人の顔を美しいと感じる、欧米偏重型の美意識はあちこちに見られます。

 たとえばシャンプーやリンスのCM。

 たとえば女性下着や結婚式場の広告。

 たとえ国内企業であろうとも日本人モデルと同じくらい、あるいはそれ以上に白人系、それも金髪のモデルがおしゃれな、あるいはスタイリッシュなイメージを作り上げるために採用されています。

 それがナーロッパにも影響を与えているのかもしれません。


 もともとナーロッパ設定が歴史上の中世ヨーロッパというより、ヨーロッパの昔話要素をまぜこんだ『どこだかわからないけどなんかロマンチックな要素のある異世界』だったように、王子さまお姫さまというキャラクターにも脳死でヨーロッパ風味の外見を与えたのかもしれません。

 そのわりには聖女が転移者という設定でも、人種すら見慣れない存在への違和感が問題にされることはあまりなかったりするわけですが。(なお展開の都合で使われることもあるので、ないとは言い切れない)

 しかし、そこで東洋系の容貌が好まれるようになるという、オリエンタリズム、あるいはシノワリズム的な趣味が大流行するといった描写はなされないようです。


 ……あったらおもしろいと思うんですけどねえ。平たい顔面大人気のあまり、登場人物全員こけし顔のナーロッパとか。

 色の白さを表現するため、顔面に血管描いてた貴婦人も史実ではあるようなので。流行とやる気があれば、こけしメイクとか開発されそうなんですけど。


 いずれにせよ、ナーロッパという呼称が示すように、異世界ものといいながらそのイメージはほとんどがヨーロッパ風です。

 アジア圏はともかく、アフリカ圏など特に南半球側の民族や文化的特徴が出てくる異世界ものというのは、寡聞にして筆者は知りません。ましてそれらの異世界ものでの美醜など論じることすらできません。

 ひょっとすると、カラーリングや美醜という外見の記号的表現(おやくそく)は、民族人種などの差別にならないギリギリのラインを探っている手段なのかもしれません。


 美醜についてはもう一つ、疑問があります。

 それは、人間の美は天然物ではなく加工品だということです。


 反ルッキズムを掲げ、どこまでも自然体でいこう!と主張する人々の動画もネットではよく見受けられます。

 ですが、人が眉の手入れや産毛剃りなどをしないとどうなるか?


 男性は無精髭もさもさ、女性はと言うと……これまた髭が生えたり眉毛が繋がったり。

 ひどい人になると、耳毛や鼻毛増量中といったお顔になっていたりします。

 骨格が綺麗だったりすると、ちょっと残念な気がしてしまうほどに。

 ま、無関係の第三者の軽い感想なので、当人の主義主張による身体的表現とおっしゃるなら、どうぞそのままご勝手にとしか言い切れませんが。


 悪役令嬢とヒロインの対比でも、外見だけでなく内面も人工加工の最高級品と天然物、という対比がなされることが多いように思われます。

 あれですね、厳しい教育で完璧な礼儀作法を身につけ、高位貴族として全身くまなくお手入れをされている悪役令嬢に対し、天真爛漫ヒロインはお手入れ何それおいしいの、というかそんなものがこの世にあることも知らない風味という。


 しかし、天然とは、はっきり言って美しくないのです。ブラッシングしていない髪の毛など毛玉でしかないように。

 では美しいヒロインとは何かというと、メイクで例えるならばナチュラルメイクというやつです。

 ただし色がヌードみなだけで、厚塗りのナチュラルメイクというのは別に存在矛盾を起こしていないということは、女性ならだいたい書き手も読み手も理解しているわけです。

 つまり、天然と言われるもので美しいとされるものは、すでに加工済か、天然を装った養殖ということになります。

 むしろその方が、ただの石ころ外見な原石より、はるかに価値があると筆者は思うのですが……。

 現実においても天然原理主義とでもいうべき強固な価値観が根強くあるのも、また事実であったりします。このあたりのことは、以前にも書きましたが、女性の美しさという概念を決定し評価してきたのが男性であること、女性が美しさをその個人の評価基準の最上位にもってこられやすいこととも強い関係があるものと思われます。

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