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本日も拙文をお読みいただきまして、ありがとうございます。
基本的に一ヶ月に一回更新ですので、開始から一年以上が経ちました。
これまで拙文では異世界もの、特に異世界恋愛ジャンルにおける婚約破棄テンプレを中心に語ってきました。
ですが、悪役令嬢がバカ王太子に婚約破棄をされ、悪役令嬢自身が、もしくはスパダリがバカ王太子とヒドイン相手にざまあをし、幸せカップルと零落カップルの格差が描かれて終わる、というこのテンプレは相変わらず強い人気を誇っているようです。
百花繚乱の作品群の中で、こうも強固なテンプレがあるということは、各キャラの性格というものも固定化されているからこそ、これらの感情も安定するのではないかと思われるわけです。
そこで、今回はバカ王太子を始めとした主要キャラを、キャラクターとして、あらためて取り上げてみたいと思います。
これまで主要キャラについては、キャラクターというより、むしろ話を動かしたり、いろいろなものを投影したりする装置として定義してきました。
悪役令嬢には、読者の『がんばる自分自身』が。
ヒロインには、読者から見た『自己の魅力をアピールし、同性にマウンティングしてくる性格の悪い女性』が。
バカ王太子とそのバリエーションのような、逆ハー集団には、『好悪の感情で他人の迷惑も考えずビジネスシーンを引っかき回す人間』、あるいは『産んだ覚えのない長男』が。
これら投影したものへのフラストレーションを昇華してくれるのが、ざまあということになります。
これら主要キャラを装置ではなく、キャラクター、文字通り人格を持った存在として分析してみると、何がわかるのか。
筆者は、それぞれ投影している人物を、どのような人間として設定しているのかを割り出すことができると考えます。
悪役令嬢に投影する自分を、どんな人間と考えているのか。
ヒロインに投影するライバルを、どのような人間として見ているのか。
どのような相手に好感を持ち、どのような人間なら勧善懲悪の物語の中でざまあをかまされ(そしてその物語を評価されるほどに!)、読み手書き手その双方から嫌悪されるのか。
また、主要キャラの思考のあり方についても、ある程度理解がしやすくなるのではないでしょうか。
なぜ、バカ王太子は自分が愛されていると思うのか。
なぜ、バカ王太子は自分の仕事を押しつけるのか。
行動理由を分析すれば、どのような思考構造を持っているのかわかるんではないかなという真面目風味はさておき。
本日も毎度バカバカしいお話にお付き合いいただければ幸いです(ぺこり)。
さて今回、主要キャラの性格分析に利用しますのは、フロイトの心理性的発達理論です。
フロイトの心理性的発達理論によると、口唇期、肛門期、男根期、潜伏期、性器期の順番で発達期を迎えると言われています。
発達期の名称はどうかと思いますが、これ真面目な学術用語なのでご容赦を。
これら発達期は、発達につれ加わる欲求を満たす=快楽を得る手段の順からなるとされています。
それぞれの発達期において、欲求の充足に過不足が生じると、性格に影響が出る、というわけです。
口唇期は、生存に必要な栄養を与えてもらうことで、口から満足を得る時期。
この時期に問題があると、与えてもらう、口に入れてもらうことに適応した傾向……つまり、常に人に頼るような依存的な性質や自主性のなさという受容的、受動的な性向が出たり、口に入れてもらおうという傾向……愛想が良い社交家、あるいは寂しがり屋で孤独を怖れる性向が出ると言われています。
また口に入れる行動=飲食や喫煙に関する行動にも影響が出るため、食へのこだわりや煙草・アルコールなどへの嗜好も強くなるんだとか。
有名な俗説に煙草の太さは乳首サイズ、というのがありますが、それはここから来ているのかもしれません。
肛門期は、発達初期には自分の意思ではコントロールできなかった排泄を、トレーニングによってコントロールできるようになる時期です。
排泄の生理的快感だけでなく、衛生概念やがまんなどを覚える。また、トイレットトレーニングで褒められることで、達成感が自信にもなる。
出して褒められる=自分の排泄物は相手を喜ばせる価値のある物、という認識も生じる。
というわけで、この時期に問題があると、出すことをコントロールする行動に影響が出てくるそうです。
几帳面、ケチ、頑固、しまりやになる反面、不潔になったりお金にだらしなくなったりすることもあるのだとか。
男根期は、自分の身体をコントロールできるようになっていく過程で、性的好奇心が芽生える時期です。
が、フロイトの理論の中でも、後世の精神分析学者などの反論が多く、個人的にもツッコミどころの多い内容なので、ここではさくっと『自分の身体という、自分の意のままになる媒体を通して、自分の意のままにはならない他者、その代表である親の存在と出会う時期』ぐらいに解釈しておきたいと思います。
自分の意のままになるものは、どこまでいっても自分の身体の延長に近い。つまり、あって当然のものになるわけです。
自己愛の対象にはなるけれども、それは無意識に近い。
それに対し、自分の意のままにならない他者というのは、強烈な感情の対象になる。
敵対心だけでなく、愛着の対象ともなるわけです。『素顔を見られた女性の聖闘士は~』あたりのお好きなフレーズを当てはめてみてください。
この時期に問題があると、オイディプスコンプレックス、エレクトラコンプレックス……マザコンとかファザコンと言い換えた方がわかりやすいかと思いますが、異性の親に強い執着心を持ったり。
敵対心からか、他者を屈服させるという傾向が問題行動を生じたりもするそうです。
積極的になったり、自己主張が強く人前に出ることを怖れなくなったり、リーダーシップを取りたがるくらいならいいのですが、攻撃性が高まったり人を傷つけることを怖れなくもなったりするのだとか。
潜在期は一時期これらの発達期の特徴が沈静化する時期。
性器期は人間として人格が成熟する時期。
こうしてみると、主要キャラの人格というのはわかりやすく見えてきますね。
あきらかに、それぞれの時期における固着と見られる性格の持ち主がいますよね?
つまり発達課題に適応できず、未熟なままの人格の存在。
ヒロイン、というかバカ王太子にくっついて泣き真似をするヒドインは、口唇期性格。
バカ王太子とその取り巻きは、それとも価値あるものを出すのも引っ込めるのも、自分の意思一つということなら肛門期か。
思い通りにならない相手は屈服させるべきものだ、という俺様系は男根期あたりでしょうか。
悪役令嬢は前世持ちだったりして成熟した人格を持つという意味では性器期、のように見えるのかもしれません。
ですがその前世が恵まれていなかったり、現世でもドアマットやってたりすると、食事すらまともに摂ることができない、なんて描写が出てくるところを見ると、過剰に抑圧がされ、反応がマイナスになった口唇期性格とみることもできはしないでしょうか。
スパダリは性器期か、もしくはバカ王太子とは逆に悪役令嬢に執着した愛が重い系の肛門期とみることができるのでは。
このように性格付けをしてみると、行動の理由もちょっと見えてくるのです。
特に、バカ王太子の行動が。
肛門期性格ならば、不貞相手のあれやこれや、あるいは王太子としての執務の丸投げは、自分の汚物。
そして汚物は相手が喜ぶもの。だから押しつけてやったことで嫌われることはない。むしろ押しつけてやることは、愛情ゆえのプレゼントだったり報償としての贈り物だったりする。
男根期性格ならば、悪役令嬢は自分より優秀だったり、気に食わない他者。それも親のように超えることのできない絶対者ではない相手。
ならば、屈服させてやるまで。
このように解釈することができるわけです。
いや、解釈すればそう思えるかなーとは思いますが。受け入れられるかっていうと。
無 理 で す か ら ね ?
汚物はどこまでいっても汚物ですから。バカ王太子当人もクソですが。
下半身の後始末をさせるのがご褒美とか。だったらまず自分が肥汲みしてみろと。
……それで悦ばれても気持ち悪いですね……。
屈服させたい、その敵対心を受け止め満足させるためにサンドバッグになれと?
御免こうむる、というやつです。
そもそも固着による性格特性があるということは、未熟な人格の持ち主ということになる。
ということは、結婚相手には、これらの乳幼児期の世話をする母親のような役割を求められるということですか。まさに産んだことのない長男。
それは配偶者として、あるいはビジネスパートナーとして愛想が尽きる……というか、えぐれる。
2024年2月27日、厚生労働省は2023年の国内の出生数が過去最少だったと発表しました。
同時に、婚姻件数も減少、90年ぶりに50万組を下回ったそうです。
これは子育て世代の社会負担が重いからであり、支援政策の拡充が急がれると分析されています。
が、自分が産んだ子だけでなく、配偶者の世話にも追われる姿を負のロールモデルとして学習した人々が、今、その世代になっているとしたら……。
一方的に搾取されるだけの関係を作るのに積極的になれるわけもない。
それも一つの少子化進行の理由になっていたり、するのかもしれません。
ついでに言うと。
先ほど不用意に、『母親』を『乳幼児の世話をするように、欲求を無限に受け止めかなえる存在の比喩』として使いましたが、母親だからって無条件に母性を求められても困るのは読者の皆様もご存じの通り。
父性本能なんてものがないように、母性本能なんてないんですよ。人間ってものは。
なお筆者は『人間は本能の壊れた動物である』という、精神分析学者の岸田秀氏の言葉に強く納得していたりします。
フロイトは太母と原父という概念を打ち立てました。
原父は、まさに男根期の敵対者として存在する父親。息子は父親に屈服するか、父親を屈服させるかの二択しかない。
そして屈服は身体的にか精神的にかは不明ですが去勢、あるいは死と強く結びついている。
それに対し、太母は男根期の愛着対象として存在する母親。すべてを許し欲求を満たしてくれる存在。生や繁殖と強く結びついた存在です。
だけどそれって、なんて奴隷ですかね。
サービスの語源はラテン語のservus(奴隷)です。
この言葉から派生して、英語のslave(奴隷)、servant(召使い)、service(奉仕)という言葉が生まれました。
つまり、サービスとは語源的に『対価なく労働を強制するもの』と考えることができます。
そういう意味では、サービス残業とか、語義としては正しいのかもしれません。労働者的には正しいわけあるかぼけぇと中指突き立てて吠えたくなりますが(お下品)。
接客業をサービス業としたように、感情労働は基本無償であるとみなされるようですが、これも個人的感想としては、ふざくんなですよ。
そして労働を無料サービスさせる強制力となるのは性差、階級差、身分差といったものが定番です。
このあたりの不条理を強く描くには、封建的な世界観との相性がいいというのも、異世界ものの人気を支える理由なのでしょうけれど。
人が人に『無償で』何かしようとする場合、底には善意であったり、愛情であったり、あるいは理念であったり、信仰など、さまざまなものがあるのでしょう。
ですが、それに感謝が、善意が善意で報いられることはあまりないようです。
むしろさげすみ、搾取の対象として貶められる。
さげすみは暴力や否定ともつながっている。
否定されていけば『なにか』はなくなる。
精神的、形而上学的なものだから、見えないかもしれないけれども、確実に消耗していく。
むしろ積極的に削っていったりする。
なぜ、それで恩恵を受け続けられると思うのだろう?
たまに乙ゲー系の世界設定の作品では、バカ王太子たちの生育史の中でトラウマが発生していて、それに適切なリアクションをしたヒロインに執着するようになる、という、カウンセラー送り込んだ方がいいんじゃね設定がありますが。
他人の尊厳を犠牲にする奇行種にどんなトラウマがあったとしても、許されないでしょうが。
自分の機嫌ぐらい自分で取れなくてどうする。
などとつっこみたくなるのは筆者だけでしょうか。
それらの作品でざまあが苛烈になるのは、バカ王太子たちの承認欲求を満たすためにサンドバッグにされた悪役令嬢の、傷つけられた尊厳に対する復讐になるのかもしれません。




