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12/22

時代の欲求?

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 今回は再び異世界恋愛のテンプレ、悪役令嬢のざまあに戻っていろいろ考えてみたいと思います。


 以前、婚約破棄やざまぁ物は、中高生の関心を引きにくいんではという感想をいただきました。

 (琥珀さん、ありがとうございました!)

 確かに中高生向けのラノベなどは、もっとストレートなハッピーエンドが求められる気がします。

 それが、筆者の推測通り、叩くべきバカ王太子に『産んだことのない長男』が投影されているためかどうかはわかりませんが。


 つまり、現在進行形で大量に消費と再生産が繰り返される婚約破棄ざまあは、作者と読者の年齢層が、たぶん中高生よりちょっとお高めと推測できます。

 

 では、なぜ、人は婚約破棄ざまあを欲するのでしょう。

 中高生も年を取ったら、ざまあを求めるようになるのでしょうか?

 そしてそれはいつ?なぜ?どのように?

 学生から社会人になったら、未婚から既婚になったら、人はざまあを求めるようになるのでしょうか?


 さらに踏み込んで考えると、婚約破棄ざまあの構造にも大きな疑問が生じます。

 ヒドインとの不倫をしたバカ王太子が婚約破棄を行い、それに対してざまあが行われる。

 そこまではいい。けれどヒドインが他の攻略対象とも身体を重ねているという描写はなぜ必要になるのでしょう?


 そこに、モテへの複雑な心情があるのだと筆者は考えます。


 モテる、という言葉は一説には1980年代に多用されるようになったそうです。

 ですが語源を辿ると、発生は江戸時代ごろ。漢字で書くと「持てる」。

 この「持てる」には、「持ち得る」という意味があり、そこから「持ちこたえる、保ち続けられる」、そして「支えられる、支持される」という意味に派生したんだとか。


 大衆に支持される=「人気がある」「好かれる」「もてはやされる」ということは、老若男女問わず人気があることだったはずです。

 ですが現在では、異世界恋愛ジャンル以外でも、いや使われる状況をみても、「多くの」「異性から」「人気がある」「好かれる」「恋愛感情を持たれる」ことを示すことに限定されているように思われます。

 拙文では、この「多くの異性から好意を持たれること」を「モテ」の定義として見ていきましょう。


 モテの要素とはなんぞやというと、筆者は、一言で言うならば、「長所」ということになるんではないかと推測しています。

 外見――顔や身長、プロポーションといったものは前提。

 小学生だと「足が速い」に代表される「身体能力の高さ」「スポーツ技能」とか、「おもしろさ」。

 だんだん年代が上がってくると、「スポーツ技能」だけでなく「センスの良さ」「人柄」「頭の良さ」「空気を読む力」など、「その年代の所属する集団でもカースト上位に食い込む能力」が求められるようになってはいないでしょうか。


 これが社会人になると、さらに求められるものが増えます。

 「収入」――かつては出世と同等にみなされていましたが、重責を担うことに拒否感を示す人も増えている現在では、社内での地位上昇との結びつきは以前ほど緊密なものではなく、資産なども含まれるようです――とか。

 社会人として求められる「堅実さ」「清潔感」「信頼性」などは、「やるべきことをやれる能力」「人と向き合える能力」ということにもなるのでしょう。

 逆にそれが「あたりまえのこと」ではなく、「長所」にカウントされるあたり、よほど「やれてない」と思われている人が多い、ということになるのかもしれませんが。

 プライベートでは、特に。


 モテる人というのは、先ほども見たように「多くの」「異性から」「恋愛感情を持たれる」人のことです。

 ということは、たとえ男女比率が完全に1:1であっても、「多くの」「異性から」「人気が」一人の人に集中すれば、当然のことながら「異性から好かれない」人ができるわけです。

 それも、集中した人気ぶんだけ。

 結果、モテる人は一握り。大多数の人間は、モテない経験をすることになります。

 モテる人がモテるメリットデメリットを体験するのに対して、外から見ている側にはメリットしか見えにくいわけです。デメリットはやっかみもあって目に入りにくい。


 以前、悪役令嬢による婚約破棄ざまあは、「産んだ覚えのない長男へのフラストレーション解消」にあるのではないかと筆者は推測しました。

 ということは、このテンプレを消費/再生産する読者/作者の年齢層は、失礼ながら20代後半から40代、いやひょっとすると50代60代ぐらいまでに達すると推測することができます。


 では、これらの方々の、モテへの意識が固められたと思われる時代には、いったい何があったのでしょう。

 

 推測した年齢層の中央値を40代と仮定します。

 ……推測である以上、この中央値ってのも、だいぶぐだぐだなのはさておき(置くな)。

 現在40代ぐらいの人が、思春期から青年期――自分はモテるのかモテないのか、モテるためにはなにをしたらいいのか、他人というか異性の目ばかりが気になって、「自分のなりたい自分」というものなど、はるか彼方にすっ飛ばしていたアオハル期――は、今から20~30年くらい前になるでしょうか。

 そのころ、なろう利用者の大多数を占めるであろう日本語ネイティブの皆様が共有する文化地盤、日本の社会において、何があったのでしょう。


 1990年代には、バブル崩壊が発生。ポケベルからケータイへと情報端末はどんどんと進化し、経済面、社会面、文化面それぞれの変動が激しく、従来の価値観は大きくひっくり返りました。

 また、バブル期には好景気により、男女問わず高収入を期待できていたのが、就職氷河期の発生とともに多くの人々が、特に女性が派遣社員を、あるいはパートを選ばざるをえなくなりました。

 そう、婚約破棄ざまあを享受する方々は、ロスジェネ世代と呼ばれる方々も含んでいるものと思われます。


 1995年には阪神淡路大震災も発生。

 そんな中、1996年、『不倫は文化』というトンデモ迷言が人口に膾炙しました。

 これ、適当に言葉が切り取られて一人歩きをしたそうですね。

 ですが、この後、不倫に対する社会の目は厳しくなってきたように思います。

 もちろん、不倫不貞が「やってはいけないこと」であり、してしまった人間が批判されるのは当然ではあるのですが。


 2000年代には、国内で多くの震災が発生しました。

 2003年には宮城・十勝沖地震。

 2004年には中越地震。

 2007年には中越沖地震と能登半島地震が。

 

 そして中越沖地震からさらに4年後。

 2011年には東日本大震災が発生。

 くわえて、2008年に発生したリーマンショックの影響は、コロナ禍も相まって、現在に至るまで不景気として揺曳しています。


 ※ 2024年の元旦には、さらに令和6年能登地震が発生しました。


 不況は男女格差を強めます。

 2023年ノーベル経済学賞受賞者、ハーバード大学のクラウディア・ゴールディン氏は、200年分の資料を基に「ガラスの天井」と言われる男女格差についてデータ化をされました。

 そして受賞後に、日本社会における男女間給与格差は、長時間労働を強いる労働形態にあるというコメントをされています。

 

 なぜ長時間労働が男女間給与格差を生じるのか。理由は簡単です。

 毎日長時間労働を強いられていたら、まともな私生活やら、家庭の環境維持なんてできないからですよ。

 具体的に見てみましょう。

 定時帰りでも8時間労働の場合は、休憩を1時間とることが法律で求められています。

 なので、実質拘束は9時間。

 それに通勤の往復時間が乗るので、仕事関連で消費されているのが12時間越えるという人もいるでしょう。

 睡眠は一日8時間~10時間、最低でも7時間以上取らないと健康に悪いと言われているので、ここは7時間とします。

 すると、8時間労働でさえ、プライベートで使える時間は一日わずか5時間。

 そこから掃除洗濯風呂その他。家事をして、食事を摂って、家族とコミュニケーションを取ろうとしても、そこまで時短ができますかね?

 そもそも生活時間がずれていれば――子どもと夜勤の大人が生活を完全にともにできるわけがありません――お互い、寝顔ぐらいしか見ることはできなかったりするわけですね。

 TVやスマホ見たり、趣味に励んでいる時間などありません。


 そのため、長時間労働者がプライベートを充実させるためには、家庭内にサポート役が必要になります。家事をして、家庭内の環境をたもち、子育てをするという役割を担ってくれる人が。

 それが、従来型核家族の標準家庭における専業主婦だったわけです。

 ですが、今や『専業』ではなく、『共稼ぎ』、それもフルタイム勤務で場合によっちゃ男性配偶者よりも長時間労働にいそしんでいる女性配偶者にもそれを求めてやいませんかね?!


 時間がないのはいっしょだし。社会人として、職業人として、仕事相手に責任を負っているのはお互い様だし。

 それでも、家庭内の負担を押しつけるという、女性蔑視がばりばりに残った前時代的な価値観の家庭で養育されることにより、労働や給与だけでなく、教育面でも女性格差が生じてしまうわけです。


 くわえて、長引く不景気は、鬱々とした閉塞感を社会に生みました。

 社会的閉塞感や、それに伴う憤懣は、攻撃対象を求めます。

 それが着物警察、サンドイッチ警察、誤用警察など「○○警察」と言われる「正当性を誇示することにより、間違っていると思われる他者を叩く行為」が命名により存在感を強めてきたこと、不倫パッシングが厳しくなってきたことにも関連している、「社会全体がギスギスしている」ことの証左である、というのはやや短絡にすぎるでしょうか。

 

 一方、欠乏感、飢餓感は充足を求めます。

 ここではない場所に逃げ出したい。

 満たされなかった欲求を満たしたい。

 それが、異世界恋愛ジャンルが、そして悪役令嬢の婚約破棄ざまあテンプレが、ここまで大きくなった理由ではないかと筆者は考えています。

 特に、バブル期以前を知っている人には刺さったのではないのでしょうか。


 欠乏も飢餓も「充足した状態」を知っていればこそ、それと比較することで強烈に認識されます。

 そしてバブル期は、就職が売り手市場にインフレを起こしていうた時代でもあります。

 結果、希望する職に就ける割合は高く、給与面で男女格差が縮まるだけでなく、女性でも総合職に就くチャンスが高まっていたようです。

 その一方で、1980年代にアメリカで生まれたという、ワークライフバランスという概念も広まっていきました。それとともに、プライベートを充実させたいという欲求も強まっていったわけです。

 「おひとりさま」という言葉が流行ったのは1999年といいますが、そのようなライフスタイルもまた、女性が一人で行動できる自由と安全があり、また享楽的な消費行動を支えうる所得あってのことだったわけです。

 また、バブル期は「メッシー」「アッシー」「ミツグ」という言葉が示すように、女性であるというだけで男性に何かをしてもらうことが、そして男性はそれをできる力があることを、ステイタスとして誇っていた時代でもありました。

 恋愛にいたるまでの駆け引きすら、楽しめるだけのゆとりがあったともいえます。


 バブルの恩恵を享受している最中に奪われた人。

 バブル当時は幼すぎたり、首都圏と地方という地域格差ゆえに、直接その恩恵を享受することはできなかったけれども、バブルの残り香を嗅いで育った人。

 このようなバブルに取り残された人々は、欲求自体は植え付けられたものの、それを充足される機会が、ほとんどなかったといってもいいわけです。


 バブル崩壊後、クラウディア氏の指摘したように再び男女格差が広がり、独身では「おひとりさま」のようなゆとりある生活など望むべくもない女性も増えていきました。

 結果、結婚するということが、結婚後も仕事を続けることを選んだ女性にも、配偶者の収入に依存するということにも繋がり、あるいは強調されるようになりました。

 その家計にもすでに男女格差が広がっている以上、平等であることを想定して入った家庭も、不平等を強く感じさせるものにたやすく変化しえたことは、想像に難くありません。

 「誰が食わしてやっているんだ」というモラハラテンプレ台詞に代表されるような、封建的な男尊女卑の強調された場へとなってしまう危険をはらんだものになってしまったわけです。


 ちなみに、悪役令嬢ものが作られるようになったのは、2013年ごろなんだそうです。

 もう10年も続いているジャンルなんですね!

 悪役令嬢以前は、「乙女ゲーム世界に脇役転生して傍観生活」が主なブームだったそうですが、それでは時代の産んだ欲求を受け止めきれなかったのでしょう。


 いわく、モテない自分自身の救済――モテたい。

 だけど、不倫はするのもされるのもダメ絶対。リアルでされてしまっても、経済力で殴られることがわかっているから、涙を呑んでも素知らぬふりを通さねばならない、なんてことがありうるのだから。

 いわく、せっかく手に入れた自分の居場所は、獲得するだけの価値があったはずのもの。

 ほかの選ばなかった恋愛対象――モテたかモテなかったはさておいても――よりも、自分の選んだ配偶者は、それだけの価値があるべきもの。

 自分の価値を認め尊重してくれる存在でなければならない。存在に慣れて生活全般を依存し、産んだことのない長男化したり、「誰が食わしてやっているんだ」などモラハラをしてくる相手はいらない。他に心を移すなんて不義理をするなんてもってのほか。

 まして、経年劣化で禿げたり下っ腹が出てきたりすることなんて想定してない。頼りにするべき収入だって、不景気でゆらいだあげく、こちらの収入や実家の財力をあてにしてくるような、頼りないものであるべきではない。


 この、幸せの安定志向とでもいうべき、シンデレラストーリーの、ハッピーエンドのその先を言い換えるならば、

・モテている同性羨ましい妬ましい!→ビッチ死すべし!それに鼻を伸ばす男も死すべし!

・モテるにしても不倫はいや→恋人は愛で満たしてくれるなら一人でも十分。でもどうせならば性格外見地位に資産、すべての面で最高の相手に。→スパダリに溺愛されたい!

 という、悪役令嬢の婚約破棄ざまあの形になるわけです。


 もちろん、悪役令嬢ものが、ざまあが、社会情勢だけが原因で発生したわけではないでしょう。

 ですが作り出される話、小説というものがその時代の鏡となる以上、消費と再生産を繰り返す作者と読者の生活史に、テンプレやジャンルが強い関わりを持つのは、当然のことなのかもしれません。

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