努力のドは激怒のド
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
ここまでテンプレ……物語の構造と世界設定、キャラクターについて見てきました。
今回は、キャラクターの能力について考えたいと思います。
といっても、財力や地位はもちろん、能力といってもキャラクターが持っているのはわかりやすいものがほとんどです。
攻略対象でいうなら、頭脳や筋肉。
筋肉は能力かい!というツッコミが聞こえてきそうなので、個人レベルでの物理的戦闘能力、とでも言い換えておきましょうか。
悪役令嬢の実務能力は、事務的な書類仕事というより、政策の立案から実行までの管理と見るべきでしょう。
ですが、いまいちわかりにくいものがあります。
それが、主にヒロインの持つ対人コミュニケーション能力。
短編だと字数の問題もあるのでしょうが、バカ王太子や攻略対象がヒドインに落ちる理由が「魅了が使われた」の一言だったり、あるいはボディタッチなど、いわゆる女性を売り込む方向の肉体言語のみということがよくあります。
ですが、それだけでいともたやすく行われる陥落というのは、物語の中における、そのキャラクターの価値を下げます。
ちょっと想像してみていただきたい。
あまりにちょろく落ちすぎるバカ王太子と、その取り巻きである攻略対象たちが繰り広げる婚約破棄現場を。
「○○との婚約を破棄する!」
どや顔で言い渡すバカ王太子とそのお取り巻き。さらに彼らを取り囲む令嬢集団。
「××、◇◇、▲▲……を愛しているから、○○とは婚姻できない!」
「我々もだ!」
なんと彼らはちょろすぎるあまり、あっちの令嬢でもこっちの令嬢でも『真実の愛』を見つけてしまっていたのだった。
……ハーレムと逆ハーレムが融合してたこ足配線化。ギャグにしかなりませんね。
ここまでくると、むしろ一周回ってちょっと見てみたくなりますけど。
定番のいじめフルコースは、じつは競争相手を互いに蹴落とそうとした、令嬢集団の内部抗争だったとかいうヲチで。
やがて、令嬢集団とその家門によるバトルロイヤルが、バカ王太子だけでなく、王家全体をも巻き込んでいく。
まさしくロイヤルになるわけですな!
などという冗談はさておき。
チョロいキャラクターというのは、話のテンポを速めますが、そのぶん話も軽く薄くなります。
主人公であるヒロインがチョロインを称したりすることもありますが、ヒロインの自虐的評価として思考内容地の文で使われる自称の場合はいいんです。
それだけ自分を客観視できるほどには冷静だってことなんですから。
ですが、他者からの評価である場合、やはり微妙に残念なニュアンスが入ってきてしまいます。
もちろん、キャラクターのちょろっぷりにも意味があります。
たとえば、バカ王太子をちょろくすればするほど、悪役令嬢側の、「なんでこんなのと婚約者をやらなきゃいけなかったんだろう……!」という恨みを強く描く材料になるわけです。
ですが、価値を低めすぎると、今度はその周囲のキャラクターたちの価値も下がってしまうわけです。
たとえば「バカ王太子がちょろい」を例にしてみましょう。
バカ王太子がちょろい。
↓
王太子にまともな教育もできない王家が、そもそも残念すぎ。
↓
そんな残念な王が統治している国って残念。
そんな残念な王を止めきれず、服従している悪役令嬢の家も残念。
↓
残念な家の子の悪役令嬢も残念な可能性。
↓
残念な悪役令嬢を愛するスパダリも残念。
ぐだぐだな人たちが、複数の国家単位で、ぐだぐだなことをしているだけのお話になってしまうわけです。
「悪役令嬢を救いに来たはずなのに、ゲームの中に入ったと思って攻略逆ハーしてきたヒドインに魅了されちゃったスパダリ」ぐらいに残念な状態にすることもできそうですね。これ。
テンプレ崩しの一例を提示してみた以外に、あんまり需要がなさそうですが。
ならば、バカ王太子たちの価値を上げるには?
彼らが落ちた理由を「それならしかたないよねー」と、ある程度納得できるだけのものにする必要があるわけです。
もちろん「魅了が魔法で行われた」「薬が使われた」というのも、毒味役とか防御の魔道具といったレジスト手段がなければ、「しかたないよねー」枠に入れることもできるでしょう。
ですが、それだけではあまりにバリエーションがなさすぎる。落ちていく過程をよほど上手く描かないと、これまでたくさん同じシチュエーションで話が作られているので、「まーたこの話かー」という慣れをもって迎えられてしまうのです。
ならば他に理由を、ボディタッチからの肉体言語による親密な会話以外に求めるのであれば……?
そう考えると、ヒロインの持つ、人の心を奪うに足る「話術」とか「コミュニケーション能力」って、なんなんでしょうね?
最近になって、筆者は「カーネギーの法則」なるものを、じっくり読む機会がありました。
基本原則は「批判や非難をしない」「相手の自尊心を満たす」。
人に好かれるためには、「純粋な関心を寄せる」「笑顔の価値を知る」「聞き上手になる」「心から賞賛する」。
……これ、ヒドインがよくやってる「さしすせそ」とよく似てますね。
違うのは「純粋」で「心から」のものであるという点。
ですが、カーネギーの法則って、簡単に言うと「コミュニケーションの技術」なんですよ。技術。
技術で「心から」「純粋」に言っているように演技することはできるでしょう。
ですが、「心から」「純粋」に、人に関心を寄せることのできる技術って。
……それって、自己暗示とかいいませんかね?
そもそも、カーネギーの法則に代表される、これらのコミュニケーション技術って、「ビジネスシーンにおいて、対人関係を和やかにすることで、仕事をスムーズに協同して行えるようにするためのもの」なんですよ。
ある意味ビジネスマナー的なものとも言えます。
ビジネスの関わらないところでも、「人間関係を良くするためのもの」ではありますが、抱かせるのは『好意』ではあっても『恋愛感情』ではないはずなんです。
なのに、このカーネギーの法則に類似したコミュニケーション技術によって、どんどん恋愛感情を強め、最終的にヤンデレなどにも発展するほど、愛が重くなるバカ王太子アンド攻略対象集団って。
……さては、相当、拗らせてますね。
だって、ほんの数回、数ヶ月程度の会話で落ちるって。
たとえそれがどんなに肯定をくれて、自尊心を満たしてくれるものであっても、いや、それだからこそ、自己肯定感もなく、自尊心も大きく摩滅しているからこその依存としか思えないんですが。
ということは、それまでは自分の立場を誇示し、虚勢を張ってても中身が空っぽに近い状態であり、それを本人も薄々感づいてたってことですよね、それ。
このあたりの因果関係を丁寧に描くというのも、ひとつの手法だと思います。
ビジネス的な0円スマイルを向けられたからとヒロインにストーカーを始めたり、逆に「自分が好きだから相手が笑いかけてきたんだ」的な感情の投射をしたりするようになった、攻略対象たちの理由を掘り下げてみたら、ものすごい闇が噴出しそうではありますが。
ヤンデレ系を描きたい人には、行動の理由を無理なく設定しやすくなるのではないでしょうか。
それでは、たとえ自己暗示であろうがなかろうが、このカーネギーの法則を、ヒロインではなく悪役令嬢が王妃教育で身につけ、各場面で応用したとします。
さて、その場合、ハッピーエンドは訪れるのでしょうか。
真面目な話、「ビジネスシーンにおいて、対人関係を和やかにすることで、仕事をスムーズに協同して行えるようにするためのもの」である以上、このコミュニケーション技術は悪役令嬢にとっても有力な武器になるでしょう。
いや、むしろ、ヒロインよりも強い影響力を広範囲に与えることができるはず。
貴族同士の社交でも、使用人相手の家政でも好感度を上げられるだけではない。
相手を説得するための原則というのも、国家間交渉、各部署との政治交渉、そういったところで使われるようすがすごく理解できます。
人を成長させる原則というのも、有能な部下を育てるには大切なこと。
でもこれ、冷え切った家族やバカ王太子にはどうでしょう。
あるある設定で、実母の死後にやってきた、継母と異母妹を中心にまとまった家庭だったら。
初っぱなから『叩き潰すべき敵』として、ターゲットロックオンしてきた継母と異母妹はともかく。実の父親とはワンチャンですがとってもビジネスライクな、無関心に近い友好関係が結べそうですね。
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式に、実母が憎いからついでに憎む、という状態だとアウトですが。
バカ王太子も『不本意な婚約』で『押しつけられた相手』と敵視していた場合、『気に食わない相手から得た情報は受け付けない』ということがあります。
原則にのっとって、「批判や非難をしない」としても、「相手の自尊心を満たす」というのは……婚約者に優秀っぷりに、勝手に心が折れてるとか言われても困りますね。劣等感まみれで八つ当たりとか。知らんがな。
そう、あくまでもカーネギーの法則に代表されるコミュニケーション技術って、スタート地点がほぼニュートラルであるか、たとえマイナスでも回復できる程度の関係性ありきなんですよ。
これが激しい負の感情により、バイアスがかかりまくっている対象が相手だと、それだけで機能しなくなるようなものなんです。
それでは、攻略対象に対するこのようなコミュニケーション技術はヒロイン専用で、悪役令嬢には使えないものなのでしょうか。
筆者は、バカ王太子などには使いたくても使えないか、使えるけれど使いたくないかのどっちかだと考えます。
使いたくても使えない、は、前述のように関係がとうにこじれてしまった場合。
それに対し、使えそうだけど、悪役令嬢の心情的に、ないわーという場合。
それがカーネギーの法則でいうところの、「人を成長させる」原則に相当する部分であると筆者は考えます。
(「人を変える」と訳しているものもあるようです。)
いや、法則自体は、とてもいいことがまとめられてるとは思いますよ?
「褒めてから注意しよう」とか。「相手の面子を守る」「小さいことでも見逃さずに褒める」とか。
ただ、これって幼児期の教育方針から変わってないんですよ「叱らない育児」「褒める子育て」ってやつですね。
なんで、養育の義務のない人間――それも婚約者という、いつでも関係性をぶっちぎれる人間が、婚約相手どころかそのお取り巻きにまで、幼児期レベルから順繰りに教育を施さなきゃならないんですかね?
逆紫の上状態のように、年下の子を育てるんじゃなく――『女性』が『男性』を育てなきゃなんない?設定されてる世界観で、婚約者がいる妙齢の令嬢が子育てを任されるとかありなんですか?てかその場合の『女性』の適齢期を考えると、『婚約者』ではいられないと思うんですが――、同年代の『男性』を育て、その地位にふさわしい成人としてふさわしい振る舞いをさせるよう、心を配らなきゃならないとか。
やってられるかぼけぇ、というやつですね。
ソレを考えると、悪役令嬢のするヒドインへの苦言の意味も変わってくるかもしれません。
ある意味聞く耳持たないことが前例でよくわかってしまったバカ王太子より、まだ話を聞いてくれるかもしれない。
たとえそれが、派閥や家を舐められないため、「うちのモンに手ぇ出さないでもらえませんかね?」という意味合いを含んでいてもと。
バカ王太子の婚約者――いわゆる悪役令嬢は、将来の王妃として完璧であることを求められている、という設定が鉄板です。
美貌も、プロポーションも、外交から内政に至る知識も、知性も、困難な判断を下さねばならない決断力も。
それらを得るために、将来の王妃として選ばれたがために、悪役令嬢は、自らも切磋琢磨し、さらにその能力に磨きをかけようとする。言わば大人に成長せざるをえなかったわけです。
悪役令嬢の妹設定が、いわゆるクソ妹によく設定されるのは、将来の王妃としての努力を義務として課せられていない、つまり成長を強いられることなく、子どもでいることを許容されているからというのもあるのでしょう。
それが姉という立場から妹へ向けた書き手読み手の恨みつらみをいい具合に刺激し、作品の消費と再生産につながっているのだと推測できます。
ですが、ほとんどの作品世界で王妃は国王と同等の統治者、あるいは合同統治者としては扱われていません。
冷遇王妃が仕事に追われる、という設定の作品もありますが、国政を大きくゆるがすような政策に携わっている描写は、筆者は寡聞にして知りません。
女王の王配が実質的支配者として政治に深く関わっている、という設定が多いのとはまるで違います。
つまり、王というのは、王妃のサポートを受けていたとしても、国の統治をするたった一人の人間なわけです。
それが王妃より未熟で劣等感満載なお子さまとか。
育てようとしても反感で聞く耳持たないとか。
ないわーとしか言えませんね。努力しようという意欲ががりがり削られて当然。
悪役令嬢にとっては、たまったもんじゃないですね。
協力し合って一緒に成長していこうとする『人生の伴侶』だと思ってた相手が、まさかおしめの始末レベルの尻拭いを押しつけてくる、『大人赤ちゃん』だったとか。
育児というよりむしろカウンセリング。いやどっちかというと介護。
しかもワンオペ。
婚約破棄ざまあの後、悪役令嬢にバカ王太子への未練がなければ、むしろ、『大人赤ちゃん』を引き受けてくれたヒロインありがとう!という感謝の気持ちすら抱いていたりしませんかね。
今日もどこかで消費再生産される悪役令嬢による婚約破棄ざまあからは、おかんあつかいすなや!という、これまた産んだ覚えも育てた記憶もない長男の尻拭いに追われる、既婚の書き手読み手の怨嗟がだだ漏れているのかもしれません。




