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モブにも五分の魂

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 前回まで、キャラクターを主に四パターンとその派生形に分けて、見てきました。


 無能でありながら、自己肯定力だけは無限大、自分を愛されキャラだと錯覚している脳内お花畑。

 バカ王太子――と、そのバリエーションというか、バラエティパックな攻略対象の側近たち。


 バカ王太子よりもさらに立派なトロフィーハズバンド。ただひたすら女性主人公を溺愛し、自由意志をどこまでも受け入れ、バカ王太子のような抑圧をひとかけらも感じさせないスパダリ。


 実務能力が高く、オフィシャルな場、ビジネスライクな関係では評価が高いけれど、ツンが先立ちプライベートな対人面では不利益を(こうむ)ることも多い悪役令嬢。


 身分的能力的には圧倒的格下でありながら、意地とか根性とか、政争に巻き込まれる時の運といった、ともかく数値では見えてこないような要素はたっぷり。

 恋愛特化型キリングジャイアンツ、ヒロイン。


 そしてヒロインの一形態ではあるが、アクティブ要素皆無の受動態。

 スパダリに庇護される愛し子、ドアマットヒロイン。


 これらのキャラクターたちは、基本的にすべてが主人公格といってもいいでしょう。

 物語世界にあって、その世界をその手で動かしている……とまでは言えなくても、彼らの狭い人間関係においては最上位に位置する者たち。

 乙女ゲーム世界やRPG世界など、原作世界なるものを想定している作品でいうなら、原作世界の主人公と、その周囲にいる人間たち。


 ですが、そうではないキャラクター視点で描かれた作品も、異世界ものには存在します。

 原作世界においては主人公格のように、物語を展開させる力がない者たち。

 いわゆるモブとか脇役といわれる、主人公たちの人間関係からは一歩も二歩も、場合によってはそれ以上離れた存在と位置づけられるキャラクターたちをメインにした物語。


 乙ゲー世界だと、原作では全く触れられていない扱いから、悪役令嬢の取り巻きAやおたすけキャラといった、主人公格のキャラクターたちの認識圏内にかすりもしないか、いないこともないかなー、という、主人公格キャラたちの物語の進行に及ぼす影響などない存在。

 RPG系なら、旅立ちの村で、主人公たちが旅立つきっかけで死亡する曇らせ要員。あるいは、本編が始まるまでに退場している、主人公をいじめていた村人のような、敵役にもなれないヘイト対象。

 劇中劇ならぬ作品中ゲームの設定から考えると、存在価値は皆無に近いモブたち。


 そんな書割一号的な、モブ位置に転生していたことに気がつきました。さて、これからどうしよう。

 このような書き出しを見て疑問に思うことがあります。


 なぜ、そのようなモブ主人公を主役とした作品が書かれ、読まれるのでしょう?


 なぜ、書き手はあえてモブを自分の主人公に据えるのか。

 なぜ、読み手はあえてモブを主人公に据えた物語を読むのか。

 理由がなければ、これらの作品は消費も生産もされないはず。


 というわけで、そんなモブ主人公について、今回は見ていきたいと思います。


 ……しっかし、モブ主人公て。

 モブという言葉の意味が、「主人公以外のその他大勢。ストーリーにおいて重要性の低い出演者、端役など」である以上、矛盾しまくってませんか?

 自分で語義を設定しといてなんですが、言葉の意味が開放複雑骨折してますね。治癒不能。


 セルフですませたつっこみはさておき。


 同じモブ主人公の物語といっても、そのテンプレには大きく三つほどジャンルがあるように見受けられます。

 まずは筆者の独断と偏見により、その一つについて、ちょっと適当に作ったタイトルを見ていただきましょう。


「『ここは○○村だよ』と言い続けていたら、世界が平和になりました~ぼくの周囲が永久に魔王襲来前の『はじまりの村』に設定される言霊使いだなんて知らなかったんです~』

「曇らせキャラ、やめました~推しを庇って死ぬキャラに転生しましたが、目の前で死んで推しのトラウマ原因になるくらいなら、魔王城にカチコミかけたらぁ!~」

「どうも、攻略対象に婚約破棄される予定のモブ令嬢です~なのに溺愛が止まりません!ヒロインはやってこないし、原作崩壊してませんか?~」


 どうでしょう、イメージ湧きましたか?


 このように、モブでありながらスパダリに愛されたり、魔王を倒したり、世界を救ったりという主人公ムーブをかますというのが、モブ主人公のテンプレその1です。

 このテンプレは、なぜ作られるのでしょうか。

 筆者は、モブから主人公への成り上がりを書きたい、読みたいという欲求があるからだと考えます。


 このテンプレの骨子は、一般人、もしくは社会階級や対人関係のカーストでは中位から下位に位置し、優越感より劣等感を強く感じて生きてきたけれど。じつは持っている力が最強クラスで、もしくは無条件に溺愛されちゃって、あれ、なんかやっちゃいました?やだなあ、目立ちたくないのにやれやれ、というところでしょう。

 主人公格とは最初に設定されてなかったように見えるけど、じつは……的な存在。それが、このモブの皮を被った最強君系主人公。

 冒頭カンスト系成り上がり物語の一番最初、ゼロやマイナス地点をモブ状態に設定したと考えるとわかりやすいかもしれません。

 原作の物語世界で主人公格と認められなかったのは、周囲の見る目がなく、もともとあった力量に気づかれなかったから、という設定とも相性がいいので、ざまあ要素もたっぷりと込められるテンプレです。


 このテンプレ、最初が無名キャラ、というパターンだけではありません。

 悪役令嬢やヒロインが断罪により領地や修道院に引きこもったり、国外追放された先でスパダリに見いだされて溺愛される。あるいは、引退した冒険者が田舎に引きこもっていろいろしてたら評判が良くなって、所属していたギルドが対照的に没落。

 これらのパターンも、物語の主役や準主役級からの転落、物語の舞台からは消えたけれども、別の物語の舞台に上がり、周囲をモブという言葉の意味を小一時間問い詰めたくなるようなスペックでぶん殴って返り咲く、という意味では、ほぼ同じといってもいいでしょう。

 これらの物語は、基本的にセットでチート能力がついてくるように思われます。

 俺tueeムーブが、特に短編でサクッと読める構成にするには必須要素だからでしょう。


 このようなモブの皮を被った最強キャラではない、モブ主人公の物語もあります。

 これも適当にタイトルをでっち上げてみましょう。


「壁になって推しのラブシーンを間近で見守る予定だったのに、なぜか自分が壁ドンされて推しにキスされる寸前です」

「幼馴染みと結婚したら、国王になりました~ぼくのために上位王位継承者を全部蹴落としましたって、愛が重すぎる~」

「ただ、他の人よりモフモフが好きだっただけなんです~動物好きな田舎令嬢は、獣人王子の番になりました~」


 こちらは、モブ皮主人公のチート能力がないのに、成り上がりの状態になるタイプ。

 ドアマットヒロインものに近いというか、受動態でいるだけで幸せがやってくるパターンですね。

 ただ、これは主人公にチート能力がないため、ハッピーエンドに導かれるには、外付けチート能力者の存在が必要になります。

 外付けチート能力者とはなんぞやというと、モブ主人公の代わりに有能さを発揮して、モブ主人公から「モブ」という接頭語を取ってしまうキャラクターです。

 一番わかりやすいのがスパダリでしょう。どんなモブでもスパダリが手を取ってくれれば、流れのままにヒロインへと押し上げてもらえるというわけです。


 この、モブ主人公のテンプレその2の特徴は、その1とは対照的に、モブ主人公が能動的に動くことがほとんどないというところです。

 あえて努力して、原作という世界構造を変革しようという意思もなく、行動も取らず、それでも勝手に世界が都合のいいように変わってしまったという。

 そんなつもりじゃなかったのにという、消極的俺tueeとでもいうべきテンプレ。

 これは、モブ主人公が行動することで取らねばならない責任も回避するため、息してるだけで全肯定されると揶揄されることもあるようです。

 が、何かをしたつもりがなくてもおいしいとこどりができて、幸せになれるというのも、それなりに需要の多いテンプレのようです。


 では、最後のモブ主人公テンプレを見てみましょう。

 今度はあらすじも添えてみました。


「白バラたち:バカ王太子が悪役令嬢の聖女を冤罪でつるし上げ、婚約破棄をした。近隣の強国が聖女を保護、戦争が起こるが平民である主人公たちは、白バラを旗印に、この機に乗じて王権打倒の狼煙を上げるのだった」

「おお、死んでしまうとは情けない:魔王に挑むたびに死体になって戻ってくる勇者。蘇生拠点の神官がグロに耐えながら、ひたすら蘇生を繰り返すブラックな日常」

「牢番の溜息:刑が確定するまで、囚人たちの生命は維持されなければならない。手当をした囚人たちは口々に無実を訴えるが、牢番はその中に含まれる国家機密を酒の肴に、ひっそりと職務を遂行し続ける」


 イメージは湧きましたか?


 モブ皮最強主人公に対し、これらの物語のモブ主人公は、何の力も持っていません。

 基本的に平民。貴族であっても、低位だったり没落気味だったり。権力らしいものは皆無。

 魔法は使えず、スキルもないか、応用で化けるような隠れチートではありません。

 

 また、これらのモブ主人公たちには、誰も幸せを運んできません。

 自動的にハッピーエンドに導くデウス・エクス・マキナ、バカ王太子より強大な権力を持つスパダリや、それこそ(デウス)といった外付けチート能力者――「神」を「者」カウントしていいかはちょっと迷いますが――が降臨し、国全体やバカ王太子に裁きを下すことで救われる、というわけでもない。

 原作世界の主人公たちに書割扱いされたり、家に不法侵入された挙げ句、壺を割られたり、箪笥を荒らされたりしながらも、その世界の隅っこでひっそり、たくましく生きていく姿だけが描かれていきます。

 

 筆者が特に疑問に思うのは、この日常系モブ主人公とでもいうべき物語の構造です。

 異世界という派手な道具立ての中で、なぜこうも平凡なモブの、ある意味平凡な日常を描いた物語が読まれ、書かれるのでしょうか。


 理由はいくつか考えられます。

 一つは、作品世界の強度増大。

 テンプレを敷き詰めた作品世界は、悪役令嬢とピンクブロンドのヒロイン、バカ王太子とスパダリとしか描かれなくても、十分それで成立しているのです。

 キャラクターの周囲だけは。

 それ以外の政治的な思惑、社会情勢、民意、そういったものは、描かれない限り存在しない。

 だから薄い。


 前にも書きましたが、テンプレに頼る話作りはけっして悪いことではないと筆者は考えています。

 けれど、それだけではものたりないのも事実。


 書き手の一人として言うならば、主人公回りしか描かれないテンプレは、一枚絵にもならない線描イラスト、いやデッサンに近いのです。

 たしかにそれでも十分見るべき価値はあるのでしょう。

 ですが、複数視点からぐるぐると眺め回せる3Dデータの方が、イラストでも彩色されたものの方が楽しめたりはしませんか?


 読み手の一人としても同様。テンプレに沿った薄くて軽い話はさくさく何作品でも読めます。短編ならなおのこと。

 でも、ポテチのパーティサイズを一人でそれだけ食べてたら、同じ味では飽きるように、別のものがほしくもなるのです。


 同様に、同じ婚約破棄からのざまあでも、貴族の一部の視点だけでなく、平民視点から見たらどうなるのか。

 RPG世界の勇者が、魔王に少人数で立ち向かう、その意味は何か、とか。

 使い古されたテンプレ設定も、違う立場の、より多角的な視点から描かれていれば、それだけで目先も変わります。

 ですが、そのような作品を書こうとすれば、テンプレだけでは足りないのです。さらに作品世界を深掘りし、描写範囲も広げる必要がある。

 これら、『この異世界でも片隅で』的なシチュエーションというのは、その結果でもあると言えます。


 もちろん、他にも理由があります。

 もう一つの理由は、モブ主人公に書き手が、読み手が自己仮託するため。

 ただ、これも二つに分けることができると筆者は考えています。

 とことん傍観者スタイルを貫きたい場合と、逆に自分の人生という物語の中で、自分の主役を張りたい場合に。


 傍観者スタイルを貫くというのは、モブ主人公が、第三者視点からへーほーふーんと主人公格キャラたちの動向を見ている、というパターンです。

 華やかな宮廷舞踏会に参加できたとしても、壁の花になっていたい。むしろ壁こそ我が人生。そこで婚約破棄だなんておもしろいイベントが起きるのならば、見逃すわけがないでしょう、という。

 一人称であっても極めて三人称に近いという、ちょっと特殊なこの視点は、書き手読み手が自己を仮託するアバターとしてのモブ主人公と、主人公キャラたちの距離がめちゃくちゃ遠くなるという特徴があります。

 ザ・他人事オブ他人事。対岸の火事。

 ま、それが、「聖女が国外追放されて国が崩壊します」というように、主人公格たちのやらかし余波に巻き込まれるという社会状況にもつながったりするわけですが……。


 逆に、自分の人生の主役を張るパターン。

 筆者が見た限りでは、このパターンには、モブ主人公が転生者や転移者であってもなくても、それが日常生活に関係することはほとんどなく、周りの人間関係と折り合いながら淡々と過ごしていくものが多いようです。

 そこに、主人公格のキャラクターたちの姿はほとんど感じられません。

 ちょっとした紆余曲折が過去にあっても、それはそれ、そんなこともあったね程度で流せてしまう。

 

 モブ皮を被った最強キャラ系、特にその死が原作世界で意味があるネームドモブ――これも相当自家撞着がひどい表現ですが――が、根拠もなく、作者の設定した世界を原作世界であると認識し、「自分が死にたくない」から、「死んでしまえば自分の物語はそこでおしまいだ」から、という、切羽詰まった精神状態で、原作世界の改編に挑もうとするのと大きく違うのは、「未来なんて予測していない」から「運命改変」なんて狙わない、という点でしょうか。


 俺tueeもざまあも溺愛も、誰もが一度は夢想する、大きな力を持つ個人の、世界の中心に立つ者の物語です。

 しかし、主人公という、読み手も書き手も感情移入するアバターが特殊能力なしの、周囲に埋没できるモブにわざわざ設定される、この二つのタイプのモブ主人公が設定されるのは、誰も世界の中心に立ち続けることなどできないこと、そして読み手も書き手もそれをよく自覚しているからのように思われます。

 誰かの物語の脇役、主役になれないポジションにある圧倒的大多数の共感。


 それは、悪役令嬢とバカ王太子のように、産んだ覚えのない長男が何もしないことに苛立つ共稼ぎ家庭の女性のように、はっきりした不満を感じているわけではないからこそ、選ばれる主人公であり、作者読者の視点であるように思われます。

 社会的にトップランナーなんて目指せるほどじゃないけど、社会全体に不適応を起こしているわけではない。むしろ、もともと変化が激しい部分には追いつくのも大変だから、性急に変わらないでほしい。

 変えようとしてもそれだけの余力がない、めんどい、成功するという保証がないからしょうがない……。

 でも、ぼんやりとした不満がないわけではない。

 この漠然とした不満が、あえて世界設定を異世界ものにする意味だ、というのはうがち過ぎでしょうか。

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