誰にも必要とされていないと思い込む少年は、誰も必要じゃないと噓をつく
俺はこの世界で誰よりも必要とされていない。
そして同時に、俺は誰も必要としていない。
未来へ歩く意義すら分からないまま、
いつもの様に無感動に過ぎていく朝。
今日も何も変わらない。
そんな事を思いながらも、オレは起き上がった。
ふと目に映るのは、過去の姿。
……視線の先にある額縁には、少年一人とその両隣に立つ男女の写真が埋め込まれている。
不変的な風景と共に、部屋のカーテンから差し込む陽光に目が覚めた。
「もう、朝か。それに七時って、早く行かないとな」
遅刻寸前。
と思いつつも体は動かない。
何故だろうか。今日はいつにも増して体が気だるいのだ。……でも、それは言い訳である。ちゃんと学校に行かなければ、それが俺の使命。
その無理やり使命感を作り出した俺、『夏希錬』は欠伸をしながらベットから立ち上がった。
早く着替えなければ。
学校に遅れてしまう。
高校生として、遅刻は由々しき事態だろうしな。
しゃんとするのが、立派なヤツというモノだ。
「…………」
それにしても、あまりにも静かな部屋だ。
いいや、この家全体がそうだろう。
なにせ、この街の一角にある一軒家を管理していたオレの両親はどちらも事故で他界してしまっているのだから。
思い出すだけで悪寒が襲ってくる。
二年前。
遊園地へ両親たちと行こうという話になり、車で向かっていた時だった。交差点で信号無視して突っ込んできたトラックに、俺たちが乗っていた車と運悪く衝突したのだ。
運転席、助手席に座っていた両親はどちらも即死。
そして後部座席に座っていたオレだけが運悪く生き残ってしまった。
残ったオレが一人で生き残れるワケはなく。
今の俺の学費や、この家の管理は二週間に一回ぐらいやってくる、どこかの会社の社長をやっている母方の祖母が金銭的に支援してくれている状況である。
「う、……気持ち悪ぃ」
スマホを目の前に配置してある勉強机に置く。
こんなのは悪い夢だ。そう呟きながら、クローゼットに収納してある制服を取り出し着替え始めた。
朝だからか、口呼吸で寝ている所為か、喉が渇いて痛みがある。
着替え終わった頃、スマホが鳴り響いて。
俺はそれを手に取った。
なんだろうか。
こんな時間に電話を掛けてくるヤツなんて…………。
いない。だって俺は誰にも必要とされていないんだから。
「もしもし?」
それは学校からだった。
凛とした女性の声が聞こえてくる。
「葛木だ。朝、お前に話がある。今日は早めに登校してきてくれ」
「…………成績のコト、ですか」
「ん? まぁ、それもある」
「分かりました。覚悟、しておきます」
担任の葛木からの話となれば、もう目の前。あと数か月に迫ってきていた大学受験、勉強、成績のコトで間違いないだろうと思ったのだ。
高校一年生で両親を失ってから、生きる気力が消えたオレは……一年生の頃、優等生と言えるほどだった成績がどんどん落ちていってしまい。挙句の果てには、もはやどの大学も合格圏外だって言われる様になってしまった。
溜息は漏れない。
当然の結果だ。
現実は理不尽なのだから。
個人の問題なんて気にしない。
罪があるヤツを決めるとしたら。
それは分かりきっていた事実だというのに、勉強を再開せずひたすら現実逃避し続けていたオレだろう。
分かっていた。このまま逃げ続けていても進展が無い事だなんて。
落ちぶれる事だって、分かりきっていた。
……だけど、ここから立ち上がるなんて。
オレには、無理だ。
「もう、嫌だな。学校に行くのも、何かするのも」
特に才能はなく。あるとすれば、いつも元気だった事が取り柄だった俺……。だけれど、今の俺にはその取り柄すらない。
俺を信じてくれていた幼馴染の彼女も、二年前。急激に自信が無くなってしまったオレは、自主的に別れようと提案した。
もう何も残っていない。
だけれど、それを責める権利も俺にはない。
活路なんて、何も無いのだ。
俺はもう誰にも必要とされていないのだ。
俺は無能なのだから。
俺は凡人よりも落ちぶれた劣等生なのだから。
「学校に……行くか」
脚も腕も心も、全てが重いけれど。
今日も学校に向かう。昨夜コンビニで買ってきた菓子パンをそそくさと食し、玄関へと向かう。
玄関を開けると、登校している小学生などの姿を見つけた。
「はやく家に帰ってゲームしてー!」
「ちょ、早くない勇気くん。まだ学校に向かってる最中なんだよ?」
「まぁそうは言ってもさぁ、ゲームしたいだろ。ほらほら、ダダダダ!! って銃を撃ってさ」
「勇気くんは随分と大人なゲームをやってるんだね!」
「おうおう! もっと言って!」
そんな子供らしい会話を続け、外を賑わせていた。
勇気と呼ばれた少年は、仁王立ちして自分語りに夢中である。
俺が向かっている方向も彼らと同じ方角だったので、彼らが通り過ぎてから俺は後ろを歩く。
この時間帯は小学生が多く、騒がしくて懐かしい感覚を覚えつつ。
感傷に浸るオレは、ゆっくりと足を踏み込んだ。
車が走る音は遠く、まるで時間が停滞しているような平穏が訪れる。
「ま、まぁオレはまだ大人じゃないけど。心だけは大人だぜ!」
「へぇ、僕も勇気くんと同じゲームやってみようかなぁ」
「お前にはまだはえーよぉ」
「えぇ、そうかなぁ」
相変わらずそんな会話を続ける少年諸君。眼前を歩く少年たちは健気だ。まるで昔の自分みたいで苦しい。
そう思って彼らを一瞥した、その刹那だった。
オレはソレらを目視した。
子供たちが歩くその先にある交差点は青を示していて、彼らはそれを跨ごうとしている。そして、横から走ってきているのは信号無視して交差点に侵入してきていた軽自動車が。
不幸中の幸い、横断歩道を歩いていたのは小学生の中で一番前を歩いていた……勇気という少年のみ。
されど軽自動車の運転手は、どうやらスマホを見ているようで今にも轢こうとしている命に気付いていない様子。
まずい、そう直感的に思って体が動いた。
「危ないっ!!!!」
「っわ⁉」
喉から掠れた声が出て、俺は前のめりになりつつ少年の背負っているランドセルを掴み後ろへと引っ張る。「うわっ」と驚愕の声が背後から鼓膜に到達し、同時に少年は後ろへと転んだ。
そして同時に。
オレは高速で迫ってきていた鉄の塊に衝突する。
◇◇◇
「う、あ」
視界に映るのは白い床。違う、天井だ。白い天井が目に入る。こういう時は、見知らぬ天井。とでも表すのだろう。
そんな事をぼんやりと考えながら、起き上がろうとすると途端に体に激痛が走った。
「痛っ、あ……、ぁあ、そうか」
そうだった。そうして思い出す。
オレは少年をかばって、軽自動車と衝突したんだっけか。
ま、そう言っても庇うなんて自己満だ。
そう表すけれど、別に彼を恨んでいるワケではない。
というか、俺になんて彼は無関心だろうし。俺もあの少年には別になんとも思っていない。
オレは誰にも必要されていないのだから。
別に、っというハナシ。
それよりも……驚きと悲しむ。
ここまで俺の体は痛んでいるというのに、心の中ではどこか……俺は未だに自分自身を必要としていないのだ。
それに、ここで死ねなかった。
また生き残ってしまった。
という絶望と悲しみ。
そちらの方が、どちらかと言えば大きいだろう。
「あっ、まだ動いちゃダメだよレンちゃん!」
「……、え。なんで、梅雨宮がここに」
「なんでって、何? 私の弟が事故に遭いそうな所を助けてくれた人がいたって聞いたから来たら、貴方だったの!」
「そう、か。……アイツって、お前が昔言っていた弟だったんだな」
そして今更気付く。
俺のベットの隣で、椅子に座っている黒髪の美少女の存在を。その少女を、俺は知っている。梅雨宮紗枝。
俺が高校一年生の頃、別れた元カノである。
なんでコイツがこんな所にいるんだと思うが、即座に分かった。
俺が助けた少年『勇気』はコイツの弟だったのだ。
偶然、か。
「そうか。それは嫌な偶然だな」
「うっ。ってそんな事より。ほらレンちゃんは自分の体を気にして! あのね、お医者さんが言ってたよ? あとちょっと当たり所が悪ければ、死んでたかもしれないって」
「そりゃあ、残念だったな。俺が死んでなくて」
「…………」
彼女はあはは、と苦笑いする。
当然だ。俺なんかともう会いたくない、ぐらい思っていただろうに……俺がコイツの弟を助けたもんだから。嫌でも感謝するハメになったのだし。
俺もこの事故で死ねれば、どれだけ楽だっただろうか。
想像してはいけない事を想像する。
倫理観には違反しているのかもしれない。
だが関係ない。
あんなのは偽善だらけの偽善者が勝手に決めた、偽善をする為だけのルールに過ぎない。
結局は俺たちの感情原理と何一つ変わらない。
自己満足の為のルールだ。
「取り敢えず、ほらこれっ」
「なんだこれ」
「見ての通り、花束だよ。お見舞いといったら、これでしょ!」
「そういうもんか」
……よく分からないけれど。
俺はソレを受け取っておいた。
赤や青、紫といった様々な花が添えられた花束だ。
「じゃ、私はまだ学校があるからっ!」
そう言って、そそくさと彼女は去って行ってしまった。
やっぱり、直ぐに退散したかったのだろう。
彼女は食い気味にそう言っていたのだし。雰囲気から、それはよく伝わっていた。やはり俺という存在は他の人間にとって、癌でしかないのだ。
分かり切っている。
オレだって、もう……誰も必要としていないしな。
俺は孤独に慣れ過ぎている。
もう充分だ。
独りでも、問題ない。
「っ、はぁ」
それにしても、身体が痛い。その中でも胸が痛いと感じるのは、果たして気のせいだろうか。
病室に壁掛けしてある時計を見ると、十二時を示していた。
昼休みの時に、彼女はわざわざ来たのだ。
────何故わざわざそんな手間をかけるのだろう。
もしかして、嫌いな元カレの俺に嫌味を言うためだろうか?
その疑問が解決する事は、いくら考えても到達する事象ではなかった。
◇◇◇
「えーと、まぁ両足首骨折。だね」
「そうですか」
「大学受験も近いのにこんな事故は辛いだろうけれど、頑張って治していこう。まぁ全治三ヶ月程度というところなんで、まだ受験にも間に合うかもしれません」
「……分かりました」
あの後、入ってきた医者から話を聞いた。
どうやら軽自動車に轢かれて吹き飛んだ俺は、着地する時に足首をやってしまったらしい。不運だな。
ただでさえ必要とされていない人間だというのに、さらにその下……マイナスな存在になるなんて。
辛くはない。
けれど、申し訳なさが出てくる。
俺はどうすればいいのだろうか、これから。
死ねばいいのだろうか。
自殺すればいいのだろうか。
迷惑をかけるぐらいなら、いっその事そうしてしまいたい。
「取り敢えず、最低でも二ヶ月程度は入院なので、覚悟しておいて下さいね」
白髪の眼鏡をかけた老人はそう言った後、カルテを持って部屋から出ていく。今更だが、俺の病室は個室である。
それは少し嬉しい。
だけれど、入院費は……余計にかさばるだろう。
支援してくれている母方の祖母には、更に迷惑をかけることになる。
悪い気がしてならない。
俺はたとえ大人になっても、イイヤツにはなれないだろう。
良い会社に入れるワケもないだろう。
金を稼いで、自生出来る大人になれるワケもない。
オレはダメ人間なのだ。クズなのだ。
だからこれからも、きっと祖母には迷惑をかけ続ける。
「……ああ。俺って、本当に生きる価値無いな」
必要とされていないし、誰も必要としていない。
オレはそう心に命じる事で心を保つ。
オレは無機物だ。
オレは空気ですらない。
オレはそこらに散らかるゴミでしかない。
厳かに首だけを動かして、横に広がっている窓から外の景色に視線を走らせた。駐車場と、そこに停滞する車。そこから先へ進むと広がっているのは街の景色である。
深くは考えない。
何か、こんな汚らしい景色を見ていると。
感傷的になって、現実に言い訳をしてしまいそうだったから。
俺は目の前から目を背け、体を休ませて天井を見た。
ベットのマットレスはとても硬く、寝心地は良いとは言えない。
石みたいで、人の心の様に冷たい気がする。
「ま、だけれど。これでもオレには充分すぎるよな。俺みたいなゴミには、これほどの豪華さはてんで似合わないってのに」
痛む体の中で、右こぶしを握りしめて自身の頬を思いっきり殴った。だめだ、これでは。と体が思っていたのだろう。
これほどまでに自身の体は傷ついているのにも関わらず、自分の意識はまだ眠っていて、どこか溺れている。
微かに覚える頬の痛み。
視界が、頭がクラクラする。
貧血気味な様だ。
もしかすると事故した時に思ったより出血していたりしたのかもしれない。
目から出てくる水滴が綴る感覚なんて、もう忘れている。
これ以上、俺は何を意義に生きていけば良いのだろうか。
その気持ちの共に目を瞑る。今日はあまり疲れていない。
だけれど、人生には疲れている。
これぐらいの休息は許さていて欲しいと思いたい。
オレだって……少しぐらい休みたいのだ。
────なんて、許されるワケないだろう。
停滞してきた人生。
既にオレは歩みを止めているこの人生。
もう、歩く力は残っていない。
「……」
それから黙って数十分、唐突に扉が開いた。
「よぉ、大変そうだな。夏希」
「はは、そうですね。災難です、アレで死ねなくて」
「……全く、お前はつまらん冗談を言うな」
現れた闖入者の正体は、オレの通う学校の担任、女教師。葛木である。苦笑交じりに煙草の匂いを纏わせながら目の前に着席する彼女は、なんだか気持ちが悪い。
いつも学校にジャージ姿でいた葛木は、何故か珍しく黒スーツを着ている。
もしかして、オレが死んだとでも思っていたのだろうか? 葬式だとでも思っていたのだろうか?
そうだったら、俺も嬉しかったけれど。
残念ながら、違う。
「ま、お前のやったコトは褒められる事だ」
「自己満足ですよ、こんなのは。それに、今回は別に意図的ではなく偶然の産物です」
「それでも、人を助けたという事実は変わらない。現に、一つの命が救われているんだ。まずはお前を褒めてやる、凄いな」
「お世辞は結構です。俺は別に……そんなの求めていませんから。というか、何の用ですか。朝話すとか言っでた成績についてですか」
「んー、まぁ。それも一割ぐらいあるかもな」
「?」
彼女は小さく口を開く。
俺はすぐに俯き、葛木の顔は決して見ずに白いベットだけを見つ続ける。そうだった。彼女にも自分は多大な迷惑をかけている。
彼女が来ている所で言うのはおかしいかもしれないが、合わせる顔なんてないのだ。
「お前はさ、本当に自分に無関心なんだな」
「いいや、そんな事ないですよ。自分が可哀想だなぁとか、自分すげぇって思ってますよ。心の中では」
「いいや、それは嘘だろう。どう見ても君は矛盾している」
「……、そんな事は」
「あるよ、うん」
どういう事なのか。
俺が矛盾しているなんて。
……無い。
脳裏に映るのは、懐かしきカラーの世界。
それに対して、今の視線に映るのはモノクロの世界。
「君はね、君が思っている以上に傷ついているんだよ。夏希。現に証拠がある。お前は今日が何の日か分かるか?」
「今日? 事故にあり、死に損ねた不幸な日。じゃないでしょうか」
「ほらな、お前は自分に対して全く興味がないじゃないか。なぁ、今日はお前。夏希錬の誕生日だろう?」
「ぁ」
その時、やっとこさ彼女の言っている意味が多少なりとも分かったのだろう。理解する。そういえば確かに、何気ない今日と思って過ごしていたけれど。
確かに、今日は自分の誕生日だ。
「まずはおめでとうと言っておくが。……それから分かっただろ、夏希も。私は君と担任として三年の長い付き合いだ、君という生徒の事は自分なりに理解しているつもりだよ。だからこそ言えるよ、今の君は『壊れている』と」
「はは、壊れている。ですか、じゃあどうすればいいのですかって。こんなの、壊れるしかないじゃないですか。だって、俺が大好きだった両親はいきなり亡くなって。取柄もない自分はそれでダッシュをミスって、落ちぶれて。勉強もできなくて、やる気もなくなっちゃって、何もかもする気力が湧かなくなって。何にもすがれなくて、何にも頼られなくて。自分が必要ないんだなって分かったんですよ。そんなの、壊れるしかないじゃないですか」
「一理ある。だがね、君は視野が狭いよ。大丈夫、安心しろ。君という存在は、確かに全員に好かれる程のステータスは持ってないかもしれない。だが案ずるな、君を必要としている人間は少なからずいるんだ。だから、君は君自身をもっと大切にした方がいい。君が傷つく行為を君自身がするのは、私が許さない」
「なんだよ、それ」
やっぱりダメだ。
この人の考えは理解出来ない。
俺なんて、この世界で誰にも必要とされていないに決まってるだろ。俺が必要とされている世界なんてあるとしたら、それは空想か、偽物だ。
ありえない。本当に有り得ないが過ぎる。
赤い糸なんて夏希錬には無い。
────溜息は無い。
あまりにも幻想すぎて考えられ無い。
「君は確かに大切な存在を失ってしまった。だがそれはもう、取り返しのつかない事なんだ。でも君は違う、まだ歩ける。君は今を生きる存在だ。それが、今を諦めるなんて言ったら……きっと両親は悲しむよ。これは想像上の答えに過ぎない。でもきっと君の両親はこういうだろうさ。『両親らの分も生きてくれ』ってな」
そんなの、甘い言葉だ。
「子供が嫌いな親なんているものか。いるとしたら、それらは親なんて失格しているよ。そして少なくとも、私は知っている。君の父親も母親も立派な親だよ。私が保証する。言っておくが、私は君の親と知り合いだったんだからな? 彼らは凄いイイ人達だよ」
知っている。俺も充分に知っている。自身の親が立派だったことは。
「だからこそ私は安心して、君をそこから救い出したい。君の背中を押してあげたい。だけど、それはきっと私の仕事ではないからな。…………私には私には仕事がある。それに君の背中を押す存在の枠は既に埋まっているからな」
そう言って彼女は立ち上がった。
そして同時に、また別の声が聞こえてくる。
「や、ど、どうも? レンちゃん。数時間前ぶりだね」
その正体は、梅雨宮紗枝だった。
ふと顔を上げて、その美少女の姿を目視する。
壁掛け時計を確認すると、時刻が午後六時半を指していた。
…………なんでまた、コイツが。
ここに来たのだろうか。
困惑を通りこして、硬直する。
いや、そんなの分かっている。
どうせこの空気は、俺の事を────。
「もしかして、俺を慰めにでも来たのか?」
「うん、そうだよ? 悪かった、かな」
「……好きにしろ」
調子が狂う。
人とは本当に良く分からない。必要としていないのに、なんで来るんだ。お前だって、俺の事が嫌いなはずだろ。
俺は自分で勝手に落ち込んで、彼女にわざわざ自分から別れを告げたんだぞ。
分からない。分からない。分からない。
脳内がクエスチョンマークで埋め尽くされる。
理解不能。
紗枝は先程まで葛木が座っていた席に座り、担任は部屋を後にした。彼女に視線を向けるのは難しい。だからか、俺は床を眺めていた。
そして直後から、何も言わないまま時間が流れ始めた。感覚がズレる。
一秒が非常に長く。
空気は非常に不味い。
それに静寂が恐ろしい。
そのせいだろう。
指針の進む音が煩く聞こえた。
されど、静寂はあっさりと終わりを告げる。
「ねぇレンちゃんってさ、今をどう思って生きているの?」
そんな彼女の素朴な質問か。
いや、思いっきり考えてやっと出てきた重いコトバか。何とも言えない。俺には判別がつかない。
だが正直に言っても。
……一瞬でも『意味なんてないだろう』なんて思ってしまった自分が憎い。
「どうって、分からないな。……俺は、もう何も思わないで生きていたいと思っているけれど。いっそのこと、楽になりたいって思う事もあるかもしれないな」
「そう、なんだ」
「まぁな」
会話はそこで途切れる。
再び静寂が流れ始めた。
空気は先程より重く、緊迫する。
まるで時間が凍結した様だ。
自分の人生に似ている。
きっとこの時間も短い。
夜が必ず明ける様に、この時間もいつか終わりを告げる。もしその終焉から逃れようとするならば、人生の終焉を選ぶしかない。
「レンちゃんはさ、何も思わないの? 悲しいとか、そこから抜け出したい。とかさ」
「そんなのどうだろうな」
「濁さないで。心の中では分かってるんじゃないの? 言わなきゃ伝わらないんじゃない、伝えたいから言うんだよ。レンちゃんだってきっと……!」
彼女の言葉が高く登る。
それに柄にもなく感化されたのか。
俺は痛みながらも目を瞑り、声を荒げて叫ぶ。
「────オレだって、言える相手がいれば言えたって!!!! 俺だって苦しい、俺だって悲しい。両親が事故で亡くなった事故に遭った時、今まで感じたことないぐらいの喪失感に襲われたんだよ! でもそんあの、誰に言ったって理解出来ないだろ! もし共感出来るなんていうなら、それは偽物だ! この世界に同じなんてないんだから。俺は誰にも必要とされていない、だから俺も誰も必要としていない。俺の気持ちは胸に秘めたまま、これで充分だろ! 誰にも迷惑をかけていないんだからさ! 下手に誰かへ相談するより、うんとマシだ!!」
気持ちが爆発する。
いや、今まで秘めていた己の感情が気化してゆく。こんな感情、久しぶりに奮い起こす。
誰かに共感されたい、とかそんなくだらない感情を思い出す。
合理性のない。それこそあまりにも自分だけを満足させるだけの自慰行為。
「俺だって、俺だって、最初は誰かに伝えたいと思った。誰かに共感してほしいって思った! 一回、元々いた友達にだって相談したことぐらいある。でも少し冷静になって気づいたんだよ。他人とのソレに対する熱量を、想いの格差をな。まぁでもそりゃ当然だよな。相談相手たちにとってオレの事なんてどれだけ足掻いても他人事だからな!」
そうだ。
極論を言えば、そうなのだ。
誰しも本質的に他人事なんて興味がないのだ。
もし他人事に興味があるのならば、それは他人事に興味があるのではなく。自身の知識を増やしたいという知的好奇心から出ている感情に過ぎない。
つまり、想うってのは偽物の感情だ。
紛い物だ。いや、贋作というのすらおこがましいかもしれない。
ただの汚物に過ぎない感情。
それが、興味というモノだ。
だけど。
「違うよ! それは、レンちゃん。それは違う!」
「どこが、違うってんだ」
「確かに私たちにとって、レンちゃんの事を考えるのはレンちゃんの考えには劣るかもしれない。でも、少なくとも私はこの気持ちは偽物じゃないって思うよ! 紛れもない、私の本心だよこれは!」
「……なんだよ、それ」
彼女は反論を続ける。
「だって、レンちゃんが私をどう思っているかは分からないけれど。少なくとも私は────レンちゃんの事をまだ必要としてるんだよ! 私はまだ貴方の事が好きなの!!! 元気だった貴方が大好きだった。だから、前とように……というのは酷かもしれない。だけど、前を向いて歩いて欲しいの!!」
「……え? 俺が、好き? 嘘だろ」
紗枝から漏れた言葉が信じられず、思わず顔を上げて俺は彼女を見た。
そこに映っていた元カノの姿は────崩れていて、瞳からは何かがキランと輝いていた。眼から零れているのは水である。
というか俺を好き?
俺の事を必要としている?
「私の気持ちは、本心だよ!」
「なんでお前、泣いて……」
「レンちゃんが信じてくれないからだよ!! もう、好きだって言ってるのに!!! 私はあれから一度もレンちゃん以外好きになった事なんてないのに!」
「え、あ……有り得ない。おかしい、オレはダメな奴で。ゴミで、魅力なんてない。勉強も出来ないし、今はもう何の気力もない……クズだぞ」
「もう、そんなに信じられないっていうなら。本当だって証明してあげるもん!」
そう彼女が告げると同時に、美少女はいきなり近づいてきた。顔が俺の眼前へと寄ってくる。そして、唇に暖かい感触が伝わってきた。
鏡が無いから確信はないけれど、きっと今の自分は目が点になっているだろう。
「ん」
「……どう、これで信じてくれた⁉」
「分からない。実感が、湧かない。こんな風になってしまったオレでも、必要としてくれるなんてさ」
日が沈み、夜になっていく。
窓から光を反射させる月光が俺たちを照らし始めた。
「レンちゃんは全然クズでも、ダメ人間でもないよ。……だって、私の弟を助けてくれたじゃん! そんなの、ダメ人間がする行動じゃない。他人想いな人がやる事だよ」
「そんな事……、ない。だろ」
「そんな事あるよ! 他の人を助けるのって、勇気がいる行動なんだよ。それが出来るレンちゃんは、貴方が思っている以上に凄いの!」
「はは……、まさか。そんな言われる、ってのはま」
決壊していく。
沈んでいた心は、明かりを見つける。
俺の瞳から零れる物体は、落下点を求めて沈んでゆく。まさか、……ここまで懐かしい感覚にさせられたのも久しぶりだ。
「私は貴方の事を必要としているよ。いつまでも、もし貴方が私を必要としていなくとも」
「…………そんなの、分かり切ってるだろ」
「ん」
「オレだって、出来る事ならお前と。紗枝、君と復縁したい。俺だって、別れを切り出した自分からなんて到底言える事じゃないけれど、俺だってまだお前の事が好きなんだ。俺だって本心を言えば、お前のことを必要としている! 例えこれが許されない行動でも」
それはきっと、許される行為ではない。
その通りだ。正論すぎる。
だけれど、目の前にいる存在は蜜よりも甘かった。
「……私はね、たとえこれが世間一般でダメだとしても。私は抱擁する。私はレンちゃんの彼女になりたいよ、また。……ダメかな?」
「そんなの、断れるワケないだろ……ぅ……よ」
「嬉しい!」
同時に、俺は抱きついてくる紗枝を抱きしめた。
これもまた懐かしい。古い感覚だ。
暖かく、抱き合っているだけで幸せな空気が溢れ出てくる感覚に襲われる。
こんなの、冗談だろう。
俺に、こんな贅沢良いのだろうか?
あまりにも都合が良すぎるだろう。
これなら天罰が下ってしまうかもしれない。
「うああ、ああ……はは。やばい、滅茶苦茶泣きそうだ」
「泣いてもいいんだよ。私だって、泣きたい気持ちだもん。もちろん、嬉しくてね」
「同感……だよ。まさかオレも、ここまで思い起こされるなんてさ。思っていもいなかった。あぁ…………はは」
「大好き、レンちゃん。ああ、私も抱きついていると懐かしい感じがしてきて、泣きそう。はは、うう……ぅ、ひぐ。こんな気持ちになったの、初めてだよ」
「オレも」
都合が良すぎると思うんだ、俺は。
だけど同時に、やっと分かったのだ。
そうだよ。
なんで俺はこんな事を考えられなかったのだろうか。
生きる意味なんて、目の前にあるじゃないか。
必要としていてくれる存在がいて、俺が必要としている存在がいるんだ。それを満たせるように足掻く。
それが俺の生きる意味だろう。
それで、理由としては充分すぎるはずだ。
--彼女を幸せにする。それ以外の行動原理とか有り得ない。
偽物の気持ちは壊れていく。
「ありがとう、紗枝」
「うん。これからリハビリとか、大変だろうけど。私も出来る限り助力するよ!」
「……こりゃ、感謝しかないな」
「もちろん、滅茶苦茶褒めてくれてもいいんだよ? 私は君の自慢の彼女になってみせるからね! だから頑張って足を治して、私と一緒に……」
腕から離れた紗枝。
彼女は屈託のない笑顔で。
微笑みながら、言った。
「共に、未来へと歩いて行こうよ!」
────瞬間。
俺の世界は変わった気がした。
いいや、正確には戻ったと言うべきか。
過去を取り戻す事は出来ない。
だけれど、知った。
いや、過去を取り戻す事が出来ないこそ。新しいモノを創り出す為の未来があるのだろうと。
己の視界に色彩を取り戻す。
過去の彼女との思い出がよみがえってくる。
その日。
二人で病室から見る夜景は、あまりにも美しいモノだった事を俺は覚えている。吐き気がするほど美しい、人間の人工物の集大成。
俺は幸せだ。
◇◇◇
あれから数年が経過し、共に社会人となった俺は紗枝と結婚する事になった。
あの年、大学受験にはリハビリに精を出していた為失敗してしまったが。次の年、浪人生ながら受験勉強に励みなんとか志望校に合格する事が出来たのだ。
そして社会人になり、一応しゃんとした大人に成り上がったオレは……オレから紗枝にプロポーズして結婚を決めてもらった。
ありがたい。
本当にオレは恵まれていると思う。
でもまだ俺たちは親の分までしっかりと生きれてはいないだろうな。
きっと彼らはずっと長生きしていただろうから。
だから俺たちは歩き続けるのだ。
オレは忘れない。
あの出来事を。あの時の彼女を。あの時の感情を。
しかし歩き続ける先が、どんな未来かは分からない。
茨道かもしれない。地獄かもしれない。終焉への一歩かもしれないし、天国への一歩かもしれない。もしかすると、幸せへの一歩かもしれない。
どんな未来は決して分からない。
だけどそんなの関係ない。
必要とし、必要とされている存在だからこそ。
辛くとも感傷しあい、痛みを分かち合い、共感を得て、伝えて、知って、支え続けあって。
明けない夜は無いと信じて、────今日も俺たちは未来へと進み続けるのだ。
◇◇◇
私は本当に幸せ者だなと最近改めて思う。
二年前。彼に別れを告げられた時、私は自分のことばかりを考えていた。悲しい悲しい悲しいと、感じていたのだ。でもそれは身勝手すぎるモノであり、酷く自己中的過ぎる。
彼だってそうしなければやっていけない、そんな程の心境なのに。
そうなのに。
当時の私は……、彼を酷いヤツだなんて思ってしまっていた。
本当に私は愚かで、バカだ。相手の置かれている立場を理解し、その状況に自分がもしなったらどうするのだろう? そんなコトすらも考えられられない愚かな女だ。
彼は私に対して許して、なんて言っていたが。
謝るならコッチの方だ。
私だって彼に寄り添えなかったのだから。
確かに彼には非があるのかもしれない。でもレンちゃんだけではなく、私だって十分悪い。
彼は私が悩んでいるモノよりも、ずっと重く悩んでいたのに。
理解できなかったのだから。でも、その後悔があるからこそ、今は想っている。自分自身で言うのはこっぱずかしいけれど、今では彼を真に愛していると言える。
私はレンちゃんを愛している。
彼は気付いていないのかもしれないが、レンちゃんは自分が思っている以上に優しい人間なのだ。
こんな私なんかよりも、ずっと。
でも彼は成長して、今や自分の良いところも、悪いところも理解している。
どうやら担任に視野が狭いとか言われた事がキッカケで自分の醜いぐらいの自己肯定感の低さを分かったそうだ。自己肯定感が低いのは悪くない、でもそれだけじゃ見えないものもある。
と、彼は言っていた。
確かに、物事を多角的に見るためにはそういうコトも必要なのだろうな。
つまるところ、彼は変わってくれた。
私の胸を張って自慢の夫ですといえる存在に。私を愛してくれて、優しくて、時に私が間違いを犯した時は諭してくれて、でも時々弱い所を見せてくれて。
あんまりにも文句のつけようのない、しゃんとした大人だ。
勉強が出来るとか、お金を稼げるとか、そういうのじゃないけれど。彼はとっても優しい。私にとっては、それであまりにも十分で幸せすぎる。
でも、彼だけに任せるのは間違っている。
私は彼を求めているが、彼だって私を求めてくれているのだ。
彼が成長してくれたのなら、私だって成長しなければならない。
彼が私を自慢の嫁だって言えるぐらいには。
宣言したのは自分だ。
生涯、一緒に未来へと歩き続けようと言ったのは私自身だ。
……色々な事があった世の中であるが、それでも私たちは荒波に立ち向かっていく。カッコイイじゃないか、どうだろう?
「ねえ、レンちゃん」
「どうした」
「私はさ、レンちゃんの事を愛してるよ?」
「……改めて言われると、ちょっと照れるな。まぁ俺も同じ気持ちだけどな」
「はは、レンちゃんって案外恥ずかしがり屋さんだよね? 結婚式での誓いのキスの時、体ぶるぶるで顔がめちゃくちゃ赤かったもん!」
一軒家。
うちのソファーに座りくつろいでいた夫に対して、そんな話をする。彼はまたしても、結婚式みたいに初々しく頬を赤く染めていた。
それで私を視線から外して、目が泳いでいるのも可愛い。
「あ、それとね」
「?」
「私もさ、これから頑張るから」
「ははっ、なんかオレ、心配されちゃったか? ……まぁ紗枝が頑張ってくれるなら、俺ももっと頑張らなきゃな」
そうやって、共に笑っていた。
私も、これから頑張っていこう。
生涯を共にする彼と一緒に、未来へと支え合いながら歩いていく。そうして、私は今日も変わらない素敵な一日を夫と過ごのだった。
不幸の中にも、歩き続ければ希望はある。みたいなテーマで書きました。文章が粗末なのは、まだ自分が学生という事で許して下さい。
もし気に入ってくれたり、面白いと思った方は下の所から評価していただけると、これからの励みになってとても嬉しいですので、よろしくお願いします。