急ぎの仕事と王子。
身分ある婦人の告白本を、翻訳するようにと教会から仕事を持ち込まれた王子。
「この御婦人は現在、縁を頼り隣国にお引き籠もりになられて居られますが、売り上げでこの国に孤児院を創りたいと、そう仰っています。王室からのお墨付きを頂くと売り上げがよろしゅうございます故、どうかお引き受けを」
神父からの依頼を断る事など出来ない立場の王子は、急ぎの仕事だというその話を受けるしか生きる道は無い。一体、何時になったら背負ってる借金が消えるのだろうかと思いつつ、差し出された本を受け取った。
「はぁ。えっと、急ぎの仕事から先に済ませよう、ん。隣国の出版か……」
読みながら下書きをしよう、書き間違いをせぬよう気を付ければそれで通るし。急ぎだという仕事の段取りを組むと、早速机に向かい表紙をめくる。
そして、冒頭の一文を読んだ途端。
天空から放たれた善良なる神の雷が、少しばかり足りない脳天を直撃したような衝撃を受けた!
羽ペン持つ手がぶるぶると震える。
――、「マチルダ・シャーロット・エチレンラック。君との婚約は今日、この時。終わりとする!」
頭の中がぐわんぐわんと回り、リンゴンリンゴンと、時の鐘が時刻でもないのに鳴り響いている。
――、そうなると知っておりました。わたくしに仕える影達が、不穏な動き有りと知らせて来ておりましたから。なのでこの場に相応しい、ライラック色に銀糸の刺繍、特別に取り寄せた黒薔薇ノアールを髪にもドレスにも飾り付けた、哀れなわたくし。
「はうえ?」
蛙を踏み潰した様な声を王子が上げたのは、そのセリフに覚えがあったから。そして主人公らしき女性の身なりにも覚えがあったら。
「ぐ、偶然」
変な汗が吹き出すのを感じつつ、仕事に取り掛かる王子。
カリカリ、カリカリ、カリカリ、カリカリ……。
心の震えが連動するのか、僅かに歪む文字。
――、「マチルダ、残念だが君に捧げる愛は無い! そなたのような無慈悲な悪役令嬢と結婚は出来ない!」
「くぅぅ。よ、よくある台詞」
続きを読みながら、ジワリ。無意識に、目に涙が浮かぶ王子。物語は女主人公のモノローグへと移る。
――、愛がない事など、既にわかっておりましてよ、貴方は側に引っ付いている、ふわふわ巻き毛、ピンクブロンド、紫水晶の瞳の女がお好きなのですものね。
たわわに膨らむ胸が、特に!、お好きなのですものね。知っていましてよ。今もですが、側にその女を侍らせている時は、すきを狙い、だらしなく鼻の下を伸ばし、チラチラと斜め下の柔らかな谷間に視線を送っていることを。
「は、はひ?」
書く手が止まる……。