悪役令嬢から通り名が進化しましてよ。
カリカリ、カリカリ、カリカリ、カリカリ……。
貴婦人が独り。艷やかに磨かれた、オークの一枚板の机に向かっていた。優美な仕草で時折、頬に空いた手を充て小首を傾げ、羽ペンを空に動かし物思うそぶり。
「お疲れでしょう。今宵は、ローズヒップをご用意致しました」
侍女が野薔薇の模様を描いたティーセットで、お茶の支度。
「それにしても、お返事が来ないとは。大丈夫でしょうか。お嬢様」
案じる声に貴婦人が返す。
「大丈夫よ、メアリー・アン。英邁なる陛下からはお許しを頂いてますもの。それにもう、お嬢様と呼ばれる年でもないわ」
「私にとっては、お嬢様はお嬢様なのです!」
カリカリ、カリカリ、カリカリ、カリカリ……。
ペンが走る音が静かに広がる。侍女はコポコポと、ポットからお茶を注ぐ。
「これ、ね。きっとベストセラーになってよ。わたくし、解るの。こういうお話って、みんな大好きだもの」
「でも真実を書いて叱られやしません?」
不安な声に朗らかに再び返す。
「真実だからこそ、いいのよ。庶民はこんな馬鹿な事は無いと思い、身分あるものは、こうはならないと襟を正すから」
書く手を止め、差し出されたティーカップに向かい、銀の匙でクルクルとお茶をかき混ぜる彼女。
「でも……、残念です」
しゅんとした侍女の声。
「なにが?」
「だって、読んでもらいたいんです! あの御方様に!そのせいで、お嬢様は、よりもよって『悪役令嬢』と、通り名がついちゃって! 婚期を逃してしまわれた今はさらに進化しちゃって……。いくら流行りの物語に似ていたからって、失礼なのです!」
幼い時よりお側仕えとして、一時も目の前の主の側を離れた事が無い侍女は、過去を思い出し腹を立て、少しばかり大きな声を上げた。
「もういいの。そのおかげで楽しめてるから。うふ、これはね、わざとこちらの言葉で書いたのよ。うふふ、『鬼婦人』らしく、そのままに書きますわ。あの御方の柔な心をぶった斬る様にね。こうこう、書きますが構いませんこと?と、お便りを出したのに。わたくしの手紙など、放置しているに違いありません。良い通り名だと喜んでいるのよ」
「ええ? 鬼婦人のどこが?」
頓狂な侍女の声に、ころころと鈴を転がす声を上げた彼女。
「ろくでもない男達が寄ってこないから」
「そう言われたら。そうですわ」
「馬鹿な男はもうこりごり、わたくしはお前が幸せになり、そしてこれから叶えようとする夢が現実になったら。それでいいのよ」
クルクル。白い指で扱う銀の匙が、ティーカップの中にざわめく渦をぐるりと作っている。