猫屋敷の退屈な逢魔ヶ時
山に沈む陽が、辺り一帯を淡いオレンジに染め上げる。
未理は車のカギを持って、庭先に出てきた。都市部から離れたこの辺りでは、バスや電車より車の方が便利なのだ。
「主、荷物持ちは必要っすか?」
「うん、来てくれると助かる」
未理に声をかけたのは、猫又の虎太郎だ。普段はしっぽが二つある、茶トラの猫の姿をしている。今はだぼっとしたシルエットの、今風の若者らしい服装だ。
「あ、未理ちゃん。これから買い物?」
郷が玄関の方へ戻ってきた。いつもと同じように、黒い化け猫である萩と牡丹を連れている。
ふたりはそれぞれ、郷の服のすそをぎゅっとつかんでいる。そうしているとまるで、郷の年の離れた弟妹のようだ。
「サトさんは……、ファンレター届いたんだね」
「うん。こんなにもらえて、ありがたいことだよね。これから読むんだ」
なにげなくすれ違った、その刹那。未理は反射的に振り返った。郷の抱える手紙に、違和感を覚えたのだった。
「萩! 牡丹!」
未理が叫んだ時、すでにふたりの化け猫は敵に反応していた。それはあいまいな黒いもやの姿で、鋭い鉤爪を振り下ろしていた。
牡丹が郷を抱えて後ろに下がり、萩はもやの爪を弾き返す。オレンジの光の中に、パッと色とりどりの手紙が散った。
「な、なに……?」
「萩たちのサトに近づいたら引き裂く」
「牡丹たちのサトに手を出したら切り刻む」
ふたりに威嚇され、黒いもやは庭の奥へと逃げていった。
「未理ちゃん、今のはなんだったの?」
「生き霊、に近いモノかな。手紙を依り代にして、ここまで来たみたい。時間帯のせいもあるかも」
「逢魔ヶ時、だね?」
「さすが、サトさんは物知りっすねぇ」
もやの去った方へ視線を向けた虎太郎には、猫耳としっぽが現れていた。
あのもやは、郷への好意が執着となって形をとったものだ。おそらく、ファンの一人からなのだろう。
「それにしても、ああいうモノは初めて見たよ。話には聞いたことあるけど」
「たとえ好意だって、暴走すれば悪いモノになるっすからねー」
「サトさん。アレは消しちゃうけど、いい?」
確認をとる未理に、郷の後ろでふたりの化け猫が文句を言った。それぞれ違うリズムで、不満げにぶんぶんしっぽを振る。それをなだめるように、郷はふたりの頭をなでた。
「話とか、できないかな」
「やめた方がいいっすよ。アレにそんな意思はないっすから」
「……そう。じゃあ、任せるよ」
郷の腕の中に残った手紙から、一筋の黒い影が伸びている。おそらくそれが、先ほどのもやとつながっているのだろう。
未理と虎太郎がもやを追い、狙われている郷はその場に残る。もやの去った方を見て、子猫たちはいまだに毛をさかだてていた。
「サトは変なのに好かれやすくてやだ」
「でも、ああいうのからは萩たちが守ってあげる」
「うん。ふたりとも、ありがとうね」
萩と牡丹は、まだ不満げだ。しかし子供っぽくすねながらも、まるで年上であるかのように郷を守ろうとするのだ。
少しして、未理と虎太郎が戻ってきた。手紙から黒い影はなくなっている。
「好かれやすいってのも、考えものっすね」
「それは……、職業柄しょうがないかな」
「サトさんには、だいたいいつも萩と牡丹がついてるから大丈夫だとは思うけど、気をつけて」
「えっと、そんなに?」
首をかしげる郷に対し、萩と牡丹をはじめとした猫たちがそろってうなずく。
「そっかぁ。手紙、ちゃんと読んで返事しなきゃね」
「そういうとこだよ、サト」
「美点でもあるっすけどねぇ」
太陽は沈もうとしていた。今日最後の光が眩しく輝き、ゆっくりと辺りは暗くなっていく。人とあやかしの交わる時間が、静かに終わった。




