第68話 ありがとう
俺が自分の荷物を全てまとめ終わり、ようやくベッドに腰を下ろしたころには既に見舞いの影山も、雑談に来ていた看護師たちの姿も消えていた。
すっかり静まり返った病室に、少しだけ感傷を覚える。
なんだかんだで一カ月もお世話になったのだから、この部屋にも愛着がわいていた。
いや、この部屋だけでなく……。
「春日さん」
春日は普段ならカーテンを閉めているのだが、今日だけはずっと全開にしている。
きっと俺の退院を見届けるためだろう。
俺は最後の時間を使って春日へ話しかけた。
「なんだ?」
「少しお話いいですか?」
「堅苦しい話なら断る」
有り余る時間を使って俺は何度も春日とその仲間であるヤクザの皆さんに感謝し続けた。
それでもなお返せないくらいの恩を受けたと思っている。
しかし春日はそれをなんでもないとでも言わんばかりにまともに取り合ってくれなかった。
「これでお別れってわけではないですけど、けじめだけはつけさせてください」
そう断りを入れてから、春日のベッドの横にまで歩いていくと、つま先を揃えて立ち、びしっと背筋を伸ばす。
そして何度も俺のお礼を跳ね返して来た背中へ向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございましたっ」
「……だから何度も言ったろうが。国から貰うもん貰ってるから気にすんなって」
春日が言っているのは、この辺り一帯における物品販売許可のことである。
解放者たちは政府直轄のスーパーを襲って略奪の限りを尽くしたため、政府は物品を販売するための手段を失してしまっていた。
ただ、そこに折よく店舗がなくとも管理、販売するノウハウを持っている集団が現れ、しかも政府の利益になる行動をしてくれたのだ。
ならこれを取り込もうとするのが自然な考えだろう。
「でも……」
「んなに言うなら俺の後を継ぐか?」
「それは……」
春日たちのやっていることは別に悪くなどない。
手伝えるのならば、手伝っても構わないとさえ思っているのだが、将来の仕事となると話は別だ。
俺はやりたいことがあった。
「……すみません」
人的リソースを大幅に失ったこの世界は、技術を持っている人間を必要としている。
特に、医療に関する技術者は絶対的に必要とされていた。
だから俺は、父さんの背中を追おうと考えていた。
「謝るんじゃねえよ。そうやってもっと大勢の人間を救え。それが俺たちへの恩返しだ」
「…………はい」
一か月間も共に居て知ったのだが、春日は意外と趣味の映画に影響を受けやすいタイプで、いかにも堅気に見えない雰囲気も映画の真似をしているとのことだ。
もしかしたら今回の言動もなにかの真似をしてのものなのかもしれなかったが、なんとなく似合っているのが素直に格好いいと思えた。
「ああ、酒のことは覚えてっからな。そいつは持って来いよ」
本当にお酒が飲みたいだけなのか、それとも俺に気を使ってのことなのかは分からなかった――多分両方だろう――が、俺はもう一度お礼と返事をしてから病室を後にした。
患者の治療や医療従事者の休憩を優先するため見送りはない。
その代わりに、二人の少女が隔離施設の外で俺を出迎えてくれた。
「お兄ちゃんっ」
長い髪の毛を揺らしながら、小さな家族が俺の胸に飛び込んでくる。
史は三角巾で吊るした腕ごと俺のことを力いっぱい抱きしめ、何度も何度もお兄ちゃんと涙ながらに呟いた。
まだ骨折が治っていないのは知っているだろうが、それでもこうして手加減抜きで抱き着いて来たのはそれだけ感情的になってしまっているからだろう。
なにせこうして面と向かって顔を合わせられたのは、あの襲撃以来はじめてのことなのだから。
「史、髪の毛伸びたか?」
「ばかぁっ」
何気ない話題を振ってみたのだが、史は罵倒しながら顔を俺の胸元に押し付けてくる。
まるでただ泣きじゃくるだけの赤ん坊みたいなんて失礼な感想を抱いてしまったが、それだけ俺のことを心配してくれていたのだから悪い気はしなかった。
俺は無事な右手を史の腕から抜くと、そのままあやすように史の背中をポンポンと叩く。
「ただいま」
なるべく優しく言ったのだが、今度は言葉すら帰ってこなかった。
史との会話を諦め、俺は史の背中を撫でながら視線をもう一人の少女へと向ける。
「桐谷。いろいろとありがと」
「……どういたしまして」
桐谷は一度ストレートの髪の毛をかきあげると、あまり感情の乗らない視線を向けてくる。
少しだけ口調に不満が見え隠れしたのは俺が桐谷を後回しにしたからだろうか。
桐谷は史と違って何度か俺のお見舞いに来てくれていたので、史を優先したのは大目に見てほしかった。
「あ~えっと、今住んでる家はどんな感じ?」
「二階建ての一軒家。ちょっと古めかな」
「部屋割りとかは……」
胸元で史が何事か叫ぶ。
その声はくぐもっている上に嗚咽交じりだったので何と言ったのか分からなかった。
ただ、なんとなくだが想像はつく。
今みたいに駄々っ子状態になっている史の言うことだから……。
「シスコン」
俺が結論を出す前に桐谷がすぱっと切って捨ててしまう。
「俺まだ何も言ってねえよ!?」
「でも断らないんでしょ」
「…………」
久しぶりに数日間同じ部屋で過ごすくらいは普通の兄妹の範疇だと思いたい。
「妹さんだからってズルい」
「…………」
俺がなにも言えなくなるようなことを言う方がズルいと思います。とは胸中だけにとどめておく。
こういう時には何を反論しても男が悪いのだと、なんとなく理解していた。
「妹さんだからってズルい」
「二回も言わなくても聞こえてるよ!」
それとなく桐谷のアピールが激しくなってきたように思えてくる。
ちょっとときめいちゃったとか言ったらさらにややこしくなってしまうから、その事は絶対に口外できなかった。
「ああもう、なんだ。2人に会えて嬉しいのは確かだからちょっと待っててくれって」
会えて、というよりは守れての方が正しい。
この世界が壊れてしまってから、俺はいろんなものを失ってばかりだった。
失わないことを喜ばなければいけないなんて、思ってもみなかったが、これが現実なのだ。
俺は史の体を、ぬくもりを抱きしめ返し、その存在をしっかりと体に刻み付ける。
「ふたりとも、生きててくれてありがとう」
「お兄ちゃんもだよ」
史の俺を抱きしめる力が強くなる。
「お兄ちゃんも、生きててくれてありがとう」
生きている。
こんな世界でも、俺はまだ生きている。
誰かの命を踏みにじっても。
この罪は一生許されることはないだろう。
それでも、ただ生きていることが、大切な存在が生きていてくれることが嬉しかった。
得たものもあるけれど、失ったものの方が圧倒的に多いこの非情な世界で俺は――これからも生きていく。




