第67話 元の日常へは戻れない
「それで兄貴が、ガキが自分の父親助けるために命張ってんだ。んなガキすら守れねえ様ならなんの為に警官やってんだ! 誇りはねえのかっ!! って怒鳴りつけて警察動かしたんすよ。自分は背中に何発も銃弾喰らってるのに!!」
白一色に染まった病室の中、聞いていた女性看護師から黄色い歓声が上がる。
もう何度も何度も1カ月前からずっと聞き続けている話だというのに、看護師たちも付き合いが良いものだ。
いや、本当は違うことを俺は知っている。
先ほどから看護師がチラチラと視線を向ける先で、不機嫌そうなオーラを漂わせながら横になっている小熊の様な男に興味があってアピールしているだけだ。
もちろん話をしている影山も、それが分かっていてわざと大袈裟に説明しているだけだった。
「影山っ! いい加減にしろっ!!」
いい加減たまりかねたのか、春日が起き上がって見舞いに来た手下へ向けて怒鳴りつける。
まだ傷は癒えていないというのに、驚くほど機敏に動けるあたり、信じられないくらい頑丈だった。
あの時影山と海東が死なないとうそぶいていたのは本心から言っていたのかもしれない。
「あら~、春日さんダメですよぉ。まだ傷が完全に治っていないんですから」
「そぉですよぉ。あんまり動いて傷が開いたら、トイレも禁止にしてカテーテルぶっさしますよぉ?」
「ほら、寝て寝て」
髪の毛を肩のところで短く揃えた綺麗な感じのする女性と、長い髪を三つ編みにしてアップにした、ちょっとのほほんとした感じのする女性が、見事な連携で春日をベッドへ押し戻す。
「いや、けどよ……」
雰囲気だけでヤのつく自営業の方だと分かりそうな外見をしている春日だったが、意外と女性に慣れていないらしく、2人に言われるがまま、すごすごと矛を収める。
この一カ月同じ病室で過ごして知ったのだが、あの外見のせいで今まではあまり女運に恵まれなかったそうだ。
「いいじゃないですかぁ、私たちの命の恩人さんの活躍。何回でも聞きたいですよぉ」
「ですです」
実際、隔離施設は電力が絶たれ、食料も失い、周囲は解放者たちで封鎖されていた。
更に内部では、まともに処置が出来ずに死んでいく患者や、自棄になって暴れ出す者も居て、地獄の様な状況だったらしい。
そこから救われたのだから、隔離施設に閉じ込められていた彼女たちの喜びっぷりは推して知るべし。
12人全員が担ぎ込まれた時は英雄の様な扱いだったという。
まあ、俺は隔離施設に担ぎ込まれた際、完全に意識を失っていたため全く知らないし、全然看護師さんたちから手を出されたりもしないのだが。
「ちっ。結局根絶は出来てねえんだからそんな立派なもんじゃねえよ」
「それでもほとんど倒しちゃったんですから凄いですよ」
総統――山本は逮捕され、現在拘禁中との事らしい。
即座に銃殺されないのは、一部の解放者たちが未だに潜伏しているため、それらに対する抑止力として必要だからとの事だった。
なんとも往生際の悪い話だが、一度成功を味わったからにはそれしかないと信奉してしまっているのかもしれない。
いずれにせよ、もう政府転覆を狙えるほどの力は持ち合わせていないだろう。
体育館で集団生活をしていた使い捨ての信者連中は、予想通りルインウィルスに感染してしまっており、そのまま学校での隔離生活に移行した。
薬や医療従事者による治療は一切施してもらえないらしいが、扇動に乗ってしまった彼らが悪い。
彼ら自身で身を寄せ合って生きて行ってもらうしかなかった。
「あーおい、暦。ぼーっとしてねえで助けろ。恩があんだろ」
顔をしかめた春日が、ベッドの上に腰掛けている俺に助けを求めて来る。
中学校の教室を改造されて作られた、この広い病室は本来4人部屋なのだが、ルインウィルスに感染していない人専用であるため、今は俺と春日しか使っていない。
周りには影山と看護師を除けば俺だけしか居ないのだから当然と言えば当然だった。
「……春日さん、女性とデートした事がないそうなので手加減してあげてください」
「おいっ!!」
味方をすると見せかけて即座に裏切ると、春日は顔を真っ赤にして抗議の声をあげた。
なお、そんな春日の意外な情報を仕入れた看護師2人は「あらっ」とか「まあまあ」なんて声をあげながら目を輝かせる。
あれが獲物を狙う狩人の目なのかな、なんて考えていると、ガチャリと病室に人が入って来て俺の名前を呼ぶ。
「暦」
よれよれの白衣に無精ひげを生やし、柔らかい風貌なのだが頬はこけて目元は落ち込んでいる。
一見病人に見えなくもない感じなのだが、目の光だけは強い光を宿しており、それでこの人がそうではないと知れた。
「……父さん」
俺は咄嗟に口から飛び出そうになった謝罪の言葉を飲み込む。
約束をしたというのに母さんの事を守り切れなかったのは俺の責任だ。
その事を何度も何度も謝り、その都度父さんからお前は悪くないと諭された。
しかし、こうもやつれている父さんを見ると、俺の胸は締め付けられ、息苦しくなってくる。
「前から言ってた通り、今日で退院だぞぉ」
「おいっ! 暦の骨折はまだ治ってねえだろうがっ!!」
確かに俺の鎖骨は未だ折れたままなので、三角巾を使って腕を吊るしている状態だ。
しかし、春日と違って肺や内臓が傷ついていないため、退院することになったのだった。
なお、春日が抗議の声をあげたのは俺の体調を気にしてのことではない。
病室に春日一人だけとなり、看護師たちからのアピール攻撃が過熱することを危惧してのことだ。
「おや、春日さん。元気がいいですね。この分だとあなたのファンに手加減しなくても構わないと言えるかもしれな――」
「ざけんなっ」
父さんはくっくっと笑い、冗談ですよと言い添えてから俺の方へ向き直る。
「暦、午後には桐谷さんと史が迎えに来るはずだから、それまでに準備をしておきなさい」
「分かった」
「それから、新しい家も決まったから、2人について行くんだぞ」
もともとの家は火事で焼け落ちてしまい、住むことなど出来ないし、あの隠れ家は勝手に使っているだけなので長期間住むわけにもいかなかった。
とはいえ基本的に被害者である俺たちが焼け出されたままというのは政府としても都合が悪いらしく、国から新しい住居――とはいえルインウィルスで一家が全滅して空き家になった代物だが――をあてがわれたというわけだ。
「分かった……って桐谷も一緒に住むのか?」
「もちろんだ。お前の将来の嫁さんだろう?」
「ぶっ!!」
当然の様に言われて思わず吹き出してしまう。
確かに桐谷をちょっと意識することはあったが、そんな関係になったことは一度もなかった。
「違うって、父さん」
「いやいや、皆まで言わなくても分かってるぞ。恥ずかしいからって隠さなくてもいいんだ」
「隠してないって!!」
誰か助けてと視線をさまよわせると、春日の「俺の苦労が分かったか」とでも言いたげな顔が目に入る。
残りの三人は……助けてくれるはずもなかった。
「ああそうだ。いくら同棲するからって羽目を外し過ぎるんじゃないぞ」
「外さねえよ……。だいたい史も居るだろ」
頭を押さえて頭痛を堪えていたのだが、そんな俺の手に父さんが何かを握らせて来る。
「父さんも男だから分かる。ちょっとくらいなら自分に正直になってもいいからな」
嫌な予感がして手を空けると、そこにはゴム製の避妊具が3つほど握らされていた。
「だぁーーもうっ!! 桐谷とはそんなんじゃないのっ!!」
「……なら史とか? 父さんそれはちょっとどうかと思うなぁ」
「なんでそうなるんだよっ!!」
分かっている。
父さんは俺に心配をかけまいと、わざと明るく振る舞っているのだ。
そんなに無理しなくてもいいと思うのだが、そうしてしまうのだろう。
「とにかくこれは……返すから」
少しだけ誘惑にかられたなんてことはない。
手の中にあった避妊具を父さんに押し付け、右腕一本で荷物をまとめ始める。
「……そうか。じゃあくれぐれも気を付けるんだぞ」
「分かってる」
しばらく無言で片付けていると、父さんはそれじゃあ、なんて言って出て行こうとする。
そんな父さんへ向けて、俺は何気ない感じで声をかけた。
「父さん」
「なんだ?」
「今週は帰って来る?」
父さんの息を呑む音が聞こえて来る。
もう帰る家は無いし母さんだって居ない。
父さんにとっては辛いかもしれないけれど、俺は父さんに帰って来てほしかった。
まだ、家族を続けるためにも。
「……ああ、帰るよ」
「わかった」
だから父さんがそう言ってくれて、少しだけ声が震えそうになる。
「史と待ってる。……桐谷は料理が上手いから期待しててよ」
「ああ……」
傷はあるけれど、これから時間をかければ癒えていくだろう。
「……わかった」
父さんはそれだけ言い残すと病室を出て行ったのだった。




