第66話 囮作戦
「……どうします」
音楽室で銃を構えている誰かに声が聞こえない様、出来る限り声量をひそめる。
影山と海東。2人のヤクザは顔を見合わせて頷き合うと、
「音楽室の野郎を先に片付ける」
「だな」
無情にもそんな決断を下した。
「春日さんを見捨てるって言うんですか?」
「兄貴なら死なねえよ」
「そんなわけないでしょうっ」
思わず大声をあげてしまい、撃ち込まれた銃弾に慌てて口を閉ざす。
どうやら向こうからもこちらのことは見えていないのか、俺たちに弾丸が当たることはなかった。
「兄貴はもっとヤバい橋いくらでも渡ってんだよ。銃で撃たれたくらいじゃ死なねえよ」
「でも……」
「だいたい、兄貴を心配してアイツを取り逃がしたら、俺たちの方がどやされる」
影山は軽い口調でそう言いながら、俺の肩をポンポンと叩く。
それで、影山の手が小さく震えていることに気付いた。
考えてみれば、俺なんかよりもよほどこの2人の方が春日との関係が深い。
今すぐにでも春日に駆け寄って助け出したいはずだ。
いや、それどころかお前のせいで春日が死にそうだと責められてもおかしくない状況だった。
それなのに2人は黙って俺に協力してくれている。
義理も恩もあるであろう春日を放置して、縁もゆかりもない、数日間寝食を共にしただけの、俺なんかの為に……。
「……はい」
俺は影山の震えを指摘しないまま、深々と頷いた。
「分かりました。じゃあ、俺がやります」
「やる?」
「はい、気付きませんでしたか? 銃声はひとつだけなんです」
もしかしたら銃撃しているのがひとりだけという可能性もないではない。
しかし、複数人の護衛にライフルを持たせ、更に音楽室の中にも複数人配置するなんて、それほど余裕があるのだろうか。
変電所の襲撃に維持、警察署の封じ込めなど、銃が必要な場所は山ほどある。
総統の護衛にばかり使っていいはずはない。
今銃を持っているのは、山本ひとりである可能性が高かった。
「だから……俺が囮になります」
2人の返事を待たず、俺は足音を忍ばせて廊下へ出た。
死がすぐそこにあるというプレッシャーから、胸が高鳴り、体が呼吸を欲し始めるが、それを意志の力でねじ伏せる。
「ドアを……」
開けてくださいとの意味を込めて指さし、そのまま歩きだす。
俺の頭の中で描いている作戦は単純なので、細かく言わずとも行動で示せば伝わるだろう。
慎重に、腰をかがめて足音を殺しながら進む。
途中、春日の横を通る際、鉄サビと似た血の臭いをかぎ取った。
きっと、春日のものだろう。
今すぐに生死を確認したい衝動に駆られるが、敵の銃撃を受けるかもしれない場所でそれをするのは自殺行為だし、なにより危険を取り除いてから処置した方が確実に春日の命を助けられるはずだと自身を納得させて前に進んだ。
そうしてようやく扉の前までたどり着く。
たった5メートルの距離を、これほどまで神経を使いながら歩いたのは初めてだった。
俺はたどり着いた扉の一番右端に体を寄せて伏せると、クロスボウを構える。
作戦は単純だ。
合図で開けてもらい、俺がクロスボウを使って銃を持っている相手を射抜く。
例え射抜けなかったとしても、俺が撃たれている間に他の2人が突入して制圧してくれるはずだ。
それで終わり。
山本を捕縛したら警察が本格的に動き出す。
司令塔を失い、総統も捕まったとあっては、解放者たちは確実に有名無実と化すだろう。
そうしたら隔離施設は襲われず、父さんも助かる。
史だって父さんに会える――生き延びる。
桐谷だって安全に暮らせるはずだ。
だから……。
「…………」
俺は伏せたまま、扉の左端を指す。
それで意図は伝わったのか、俺の後ろについて来てくれていた2人とも左端に待機してくれる。
目線を交わして頷き合うと、影山が俺の目の前の扉に手をかける。
海東は俺の視界に入るように手を開いてカウントダウンを始めた。
3――。
走馬灯とでも言えばいいのだろうか。
母さんの顔が脳裏に浮かぶ。
2――。
それに続く様に、千里の顔も浮かんできて……。
1――。
俺はその二人に、謝罪する。
もちろん、まだまだ会えそうにないって――。
「ゼロッ」
声と共に扉が開かれ、俺の視界が一気に広がった。
音楽室の中は放送や通信用と思しき様々な機械が設置され、意外にもベッドや机などの生活用品は隅っこの方に追いやられている。
そんな生活感のない空間にたったひとり、銃を手にした男が俺の正面に立ち尽くしていた。
元町内会長にして千里の家に火をつけようとした男。
己の身の安全を確保するため、不満を持っていた住人達を焚きつけ、治安を崩壊させようと画策した犯罪者。
俺の母さんを殺した、仇。
「あああぁぁぁぁぁっ!!」
俺の口から無意識に雄叫びが上がる。
スコープを覗き込んで照準を合わせられなかったが、何度も何度も練習して磨いた感覚を頼りに左手だけを動かして狙いを定めた。
だが、それは山本も同じで、懐中電灯が銃身にテープで固定された不格好なアサルトライフルをこちらへ向けて来る。
そして――。
俺たちは同時に引き金を引いた。
彼我の距離は5メートルも無く、銃弾と矢に速度の違いがあろうとほぼ変わらない時間で互いの元まで到達する。
山本が放った弾丸は合計で三発。
一発がヘルメットに当たって明後日の方向へ飛んでいき、一発が左の耳元を通り抜けながら衝撃波でもって俺の頭をぶん殴ってくる。
最後の一発は、俺の左肩口に喰らいつき、鎖骨を砕いて停止した。
痛みは感じず、ただ熱いという感覚だけを訴えて来る。
命の危険だとか、怖いといった感情は湧いてこなかった。
ただ、やらなければという使命感と、守るんだという意思があるだけだった。
「のぉっ」
俺は歪む視界の中、片目をつぶって必死に山本へと視線を向ける。
俺の放った矢は、ちょうど山本の胃の辺りに突き立っており、致命傷とまでは行かないものの、それなりの痛痒を与えている様だった。
山本は顔をどす黒くして怒り、俺に向けて銃を構え直して来る。
ほんの少し、山本が人差し指に力を込めるだけで俺の命は終わるだろう。
だが……俺の役目は終わった。
「おらぁぁぁぁっ!!」
「死ねやぁぁぁっ!!」
視界の端に、棍棒を振りかぶって突進していく影山と海東の背中が映る。
山本が慌てて銃口を2人の方へ向けようとするも、その行動はあまりに遅すぎた。
影山が上段から叩きつけた棍棒が山本の右肩を砕き、海東がフルスイングした棍棒が、山本の鼻っ柱を叩き折る。
これで、奴の身柄は確保できるだろう。
やったと確信した瞬間、どっと疲労感や痛みが押し寄せて来て、意識が遠のいていく。
いくら、まだ終わっていないと自身を叱りつけても抗う事すら難しい。
まぶたが下がって来て、世界が闇に包まれていく。
そんな中で、「ガキが無理すんな」なんて、聞きなれた温かい言葉に包まれた気がしたのだった。




