第62話 壁は高く、道のりは遠い
俺たちは体育館を脱出した後、扉を閉めてからその場を離れ、火炎瓶を投げてテルミットに着火する。
火柱が立ち上り、出入り口周辺のコンクリートがドロドロに溶けていく。
これで三か所の出入り口を封鎖した。
残るは一か所のみ。
体育館そのものが燃える事は恐らくない。
ならば体育館に居続ける事が山本にとって最も安全なはずだが、矢で射られ出入り口の火柱が目視できるとなれば、小心者の山本は一刻も早く安全地帯に逃げ出したいと思うはずだ。
何時になるかは分からないが、恐らく体育館から逃げ出すはずだった。
「坊主、お前は援護射撃だけしてろよっ」
「はいっ」
俺と影山は共に武器を構えながら体育館から離れ、校庭へと走ってゆく。
ほんの数メートル離れるだけで体育館から伸びる光は途切れ、真っ暗な闇が全てを支配する。
黒いライダースーツを身に纏っている俺たちは、容易に存在を溶け込ませることができた。
「行け行け行けっ!!」
体育館唯一の扉からは、多くの信者たちが雪崩を打ってあふれ出して来る。
何人の人間が出て来てしまったのだろうか。
4人で相手に出来る人数を大幅に超えてしまっている。
阿久津の言葉通り、膨大な数の暴力で磨り潰されて終わりだろう。
ただ、それはまともに見える時の話だ。
俺は双眼鏡の様な形をしている暗視ゴーグルを下ろしてスイッチを入れる。
ほんの少しの待機時間の後、目の前に緑色の世界が広がった。
「……春日さんたち、割とやつらの近くにいますね」
「ああ」
視界は狭いが闇の中を自由に動くことが出来る。
このアドバンテージはとてつもなく大きかった。
「いくぞっ」
「はいっ」
先行している二人を援護するために、俺たちも信者たちの集団へ突っ込んで行った。
大小様々な光がサーチライトの如く横切っていく。
俺たちのことを探しているものもあれば、襲われ、むやみやたらと振り回しているだけのものもある。
俺はその中のひとつ、その根元に狙いを定め、トリガーを引いた。
カシュッという弦がレールを擦る音と、弓が跳ねる感触が腕を揺らし、矢が勢いよく発射される。
「がっ!」
息が詰まった様な声が聞こけ、光が天に向かって伸びていく。
懐中電灯を持っていた信者が倒れたのだ。
死んだかどうかは分からなかったが、胴体の中心に矢が突き刺さっては生きていられないだろう。
俺はもう2つの命を奪ってしまっている。
その事に罪悪感はあるが、それよりも奴らに対する怒りと嫌悪感の方がはるかに上回っていた。
「気を付けろ! 飛び道具で狙われているぞ!」
「そうかい」
俺が作り出した闇を利用して、春日たちがあっという間に信者たちを黙らせていく。
さすが暴力に慣れた連中なだけはあり、二桁に近い人数をたった三人で叩きのめしたというのに息を切らせている様子もなかった。
「暦っ!」
春日が点灯したままの懐中電灯をこちらに向かって蹴り飛ばして来る。
懐中電灯は数に限りがある大切な道具であるし、それが無ければ闇を味方につけられるこちら側の方が有利になる。
俺は懐中電灯を拾って消灯した後に、信者たちに回収・利用されない様に適当な方向へ投げ捨てた。
「急げっ! 次が来るぞっ!!」
慌てて振り返ると、今しがた倒した信者の数の3倍程度の人数が体育館から湧き出てきている。
戦況は元に戻るどころか解放者たちへと傾いていく。
数は力。
俺はその意味を肌で理解した。
「……まだか?」
まだ、山本は体育館から出て来ないのか?
俺は焦れながらも懐中電灯や松明などの光源を持つ相手を積極的に狙って攻撃していく。
そうして生まれた闇に乗じて春日たちが信者たちの数を減らしていくも、明らかに増えるスピードの方が早い。
それならばいっそ最後の入り口を燃やし、中の連中を蒸し焼きにすべきだろうかといささか物騒な方向に思考が傾いた時――ようやく俺が待ち望んだ相手、解放者たちの総統にして最も自分勝手な男が姿を現した。
山本は身の回りを解放者たちで固め、こそこそと入り口から出てくると、そのまま校舎の方へと逃げ出していく。
恐らくは防備を固めた三階奥の音楽室にでも逃げ込むつもりなのだろう。
今捕まえてしまえればいいのだが、百人に達しようかという信者たちが自由に動き回れる場所では不可能だった。
「大柄な男が中心になって隊列を組んでいる。そちらは手ごわいぞ。校舎手前から数えて二つ目の部屋からまっすぐ30メートルほど行ったところに居るガキを狙えっ」
唐突の指名を受け、何事かと思って声のした方へ視線を向ける。
そこにはハンディカメラらしきものを手に、出入口の中心に立って指示を飛ばす阿久津の姿があった。
恐らくハンディカメラに搭載された、暗視モードで俺たちのことを確認しているのだろう。
なんとも厄介な物を持ち出されてしまったのだが、遠すぎてどうすることも出来なかった。
「暦!」
春日が俺の名前を呼んで手招きする。
その指示に従って春日の下へと急ぐが、その様子も全て阿久津に中継されてしまっていた。
「固まって動け! 全員で人のロープを作って包囲するんだ!」
それまでとは違い、指示されたことで信者たちの動きが格段に良くなっていく。
群れで行動してこそ人は真価を発揮するその典型と言えた。
「テルミット、行けるか?」
春日は、もう数十人の信者を地面に沈めていたが、それでもあとからあとから際限なく湧いてくる相手を前に消耗の色は隠しきれなかった。
化け物のように強い春日ですらこうなのだ、他の2人は言うまでもない。
早々にケリをつけなければこのまま押しつぶされてしまうだろう。
その為には信者たちが出てくる体育館の入り口を潰さなければならないのだが――。
「ダメだ、ここからじゃ信者たちに当たる」
現時点でそれは不可能であった。
着火する方法はあるのだ。
俺の矢筒に残された7矢の内、2つの先端に、矢じりに変わってメタルマッチが取り付けられている。
テルミットをバラまいたコンクリートに先端が当たれば、大きく火花が散って着火できるという寸法なのだが、如何せん今は人の波が射線を遮ってしまっており、着火は難しかった。
「あのキザ男は殺れるか!?」
「おいっ」
信者をひとり殴り倒したばかりの影山が俺に問いかけて来て、春日がそれに批難がましい声を上げる。
ここまで追い詰められていても、まだ俺に人殺しを命じる事にはためらいがあるみたいだった。
「遠いっ」
練習して得た感覚で判断するに、阿久津が居る場所は有効射程から少し外れている。
それにヤツはずる賢く、脇に人を控えさせて俺からの盾に利用しており、そうそう射抜けそうになかった。
「くそっ」
このままだと何もできずに負ける。
それは俺の死だけでなく、父さんの死、ひいては史や桐谷の危機をも意味していた。
「突入するぞっ」
出来ないと分かり、春日はすぐに思考を切り替える。
やぶれかぶれの決死行だが、無駄死によりはマシだった。
「兄貴、奴を殺っとかねぇとヤバくねえですか? 総統ごと校舎を燃やして自分がその座におさまり兼ねねえですぜ」
確かに阿久津は一見山本に対して忠実に見えた。
しかしああいうタイプの切れ者は、腹に何を抱えているか分からないのが定番だ。
心酔しているふりをして寝首を搔くチャンスをうかがっていたなんて言われても十分に納得できた。
「音楽室には三階から降りられる非常用のハシゴがあるはずです。それを使えばたぶん……」
「それで行くっ。ここでグダグダ言っても死ぬだけだっ」
どんな危険があってもそれしか道は残されていない。
なら悩む暇すら行動するために使うべきだ。
俺はそう覚悟して自分を奮い立たせる。
「はい!!」
「おうっ!」
勢いよく返事をしてから俺はリュックに手を伸ばし――。
「あああぁぁぁぁぁっ!!」
悲鳴にも聞こえる雄叫びが、暗闇をつんざいた。




