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第61話 元タクシードライバーって本当ですか?

 俺が話している最中に割って入って来た声は、えらく気取り屋で鼻についた。


 声の(あるじ)は長髪で細身、頬はこけており、いかにも頭脳労働といった雰囲気の顔をしている男で、パンデミック前ならば教室に一人は居る陰キャをそのまま大人にしてカビを生やした感じである。


 ただ、眼球だけがやけにギラついており、狂的な印象を与えて来た。


『総統閣下が選ばれなかった者たちに慈悲を与えようとなさっただけであろうに』


 マイクによって増幅されているのは声だけではないらしく、聴くだけでめまいと頭痛がこみ上げて来る。


 この男は、心の水底から山本のたわごとを信奉しており、それこそが世界の真実であると欠片も疑っていなかった。


「旧人類って……ならお前らはなんのつもりだ?」


『ふんっ。そんなことも想像できないのか?』


 マイクの男は鼻高々と得意そうに語っているのだが、言いたいことはだいたい想像がつく。


 だからこそ俺は聞いたのだ。


「新人類はクロマニヨン人のことだぞ、アホ。ちなみにネアンデルタール人が旧人。高校の歴史で習うレベルの知識すらないヤツが、選ばれし者気取ってんじゃねえ」


『皆のもの。その男を捕らえ……いや、処刑しろっ』


 マイクの男は我慢が出来ない質なのか、挑発一発目だというのにもうこちらを潰しにかかって来る。


 もう少し会話で時間を潰したかったのだが、それも難しいみたいだった。


 命令を受けた信者たちが一斉にこちらへと向き直る。


 彼らは一様に加虐者特有の捻じ曲がった愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。


「おいボウズ。もう少し下がれ」


 その声と同時に、火のついていない火炎瓶が宙を舞い、俺と信者たちの中間地点に落ちてその中身をぶちまける。


 瞬間的に気化したガソリンの臭いが鼻の奥をガツンと殴りつけ、俺が慌てて命令に従って下がると、声をかけてくれたヤクザが火炎瓶の中身――ガソリンと灯油の混合燃料――を周囲に振り撒いていく。


 即席で生み出された燃料の川は、俺たちと信者たちとの間を断ち切るかのように床に広がっていった。


『早く行けっ』


 ヒステリックな命令が信者たちの背中をどやしつけるが、全員が全員、二の足を踏んでいる。


 俺と信者たちの距離は、10メートル以上あるのだ。


 走り寄って来るのを確認してから火をつけても、十分に間に合うだろう。


「ありがとうございます」


「命令だからな」


 影山はこちらに視線を向けずにそう言うと、新たな火炎瓶をバックパックから取り出して先端に火をつける。


 おかげさまで形勢逆転とまでは行かないが、拮抗する状態にまでは持って行くことが出来たのだった。


『お前たち――』


 突然、俺と反対側にある二つの入り口付近で激しい閃光が生まれ、次いでバヂッと圧力すら伴った轟音が信者及び解放者たちを飲み込んでいく。


 正門側に潜んでいたグループの襲撃が始まったのだが、それを知りようのない信者たちは何が起こったのか理解できず、大きなどよめきを上げ、入り口から離れていった。


「おい、お前ら。何をとち狂ったか知らねぇけど、政府に逆らうってことはこういうことだっ。さっさと投降しろっ」


 逮捕したら動くなんて自堕落すぎる警察が動いたわけではないし、俺たちの背後に政府が居るなんてことも無い。


 今言ったことは完全に俺のハッタリなのだが、目の前で飴のように溶けていく鉄の扉というのはなかなかに衝撃だったらしく、信者たちの間に動揺が広がっていった。


「阿久津っ。わ、私は部屋に帰るぞっ。後の処理は任せたっ」


 肉の壁に守られた山本が、威厳もへったくれもない声で命令を下す。


 曲がりなりにも解放者たちのトップのはずだが、小市民的なところは変わっていない様だった。


『はい、お任せを。ですが、今そちらから出て行かれるのは少々お待ちになった方が良いかと。一か所だけ空いているのは少々きな臭い』


 ――まずい。


 三か所の入り口を塞ぎ、遠距離から狙う。


 そうなれば残る一か所から脱出しようとするのは自明の理。


 なんとなく察してはいたが、春日だってそのつもりで待ち構えているはずだ。


 それが、見破られてしまった。


 今気づいたが、このマイクの男……阿久津の声は、ラジオから聞こえて来た声と同じ。


 察しの良さといい、狂い具合といい、恐らくコイツが全ての計画を主導した、解放者たちの要とも言える存在ではないだろうか。


 ならコイツを殺せば解放者たちの戦力は大幅に削れるはずだが、一番の問題はそうやすやすと殺されてくれるタマではないということだった。


『同志たち、そいつは囮だ。そこの入り口に異変が無いか調べよ!』


「チッ」


 阿久津は芝居がかった物言いで、最もされたくない指示を飛ばす。


 どうにかして奴を黙らせたかったのだが、クロスボウの有効射的は10~20メートルで、阿久津が立っている場所に届きこそすれ、殺傷できる可能性は低かった。


「どうします?」


 態度が不自然にならない様に努めながら、隣にいる影山にだけ聞こえる程度の声で話しかける。


「……兄貴ならなんとかするさ」


 あまり参考にならない答えだったが、実際こちらから出来ることはない。


 俺たちは俺たちに出来ることをやるしかなかった。


「借りるぞ」


 ヤクザは手持ちの火炎瓶に余裕がないからか、俺のバックパックに片手を突っ込んでゴソゴソと中身を探る。


 俺は隙を見せないようにするためにも、クロスボウの先端を左右に振って信者たちを牽制した。


 そんな中、一部の信者と解放者たちが唯一の脱出口へと群がっていく。


 入り口にはテルミットがばら撒かれているため、じっくりと探られれば間違いなくバレてしまうだろう。


 どうなるのか。


 春日はどんな判断をするのか。


 俺は気が気ではなくて、眼球だけを動かして入り口の様子を窺った。


「おいっ、誰かいんのか!?」


 威勢のいい怒声を響かせながら、信者のひとりが入り口に達した瞬間――。


「ふっ」


 物陰から紺色の布を巻きつけられた棍棒が顔を出し、気合と共に信者の頭部へ叩きつけられる。


 それだけでは終わらず、棍棒は宙を舞い、その隣、後方と、次々に信者を叩きのめしていく。


 その威力はとんでもなく、たった一撃で信者たちを戦闘不能に追い込み、しかも一発すら外さない正確さも持ち合わせていた。


「は?」


 あまりの強さに俺の口から間抜けな声が漏れる。


 隣の影山が誇らしげに「兄貴はすげえだろ」と呟いているが、それになんの反応も返せない。


 これほどの暴力を振るえる男がタクシー運転手をやっていたなんて、才能の無駄使いもいいところだろう。


 瞬く間に4、5人の信者たちを叩きのめした棍棒は、持ち主の姿を見せることすらなく再び闇の中へと帰っていく。


 もちろん、それを追える猛者は誰も居なかった。


『お、追えっ!! ヤツはひとり……いやっ、2人だっ! 数で押せば圧殺できるだろうっ!! いけっ、武器も出さんかっ!!』


 阿久津の命令で、信者たちは慌てて体育館右側中心近くに設けられている体育用具室の鉄扉を押し開ける。


 千里から得た情報によれば、その中には信者たち用に作られた槍などの武器が納められているのだが、信者たちを出迎えたのは勇壮な槍列ではなく、真っ白な煙と赤い炎だった。


 正門から入ったグループが、右側の入り口を封鎖するついでに体育用具室へ火炎瓶を投げ込み処理してくれたのだ。


 ゲホゲホとせき込みながら慌てて扉を閉める信者たちを横目で捕らえ、俺は目論見が上手く行った事をひとりほくそ笑む。


 だが――。


「勝ち続けなきゃ負ける戦いをしてんだ。ちょいとうまく行ったからって気を緩めるんじゃねえ」


 俺の護衛についてくれている影山が叱責してくる。


 まさにその通りだったので、俺は素直にはいっと返事をして気を引き締め直す。


「退くぞ。兄貴の援護に回る」


 現状、春日と武器庫破壊のインパクトがあまりに強く、阿久津たちの意識はそちらに向いているのだが、信者たちは600人以上は居るのだ。


 一部のやつらはこちらへ襲い掛かる機会を虎視眈々とうかがっている。


 もう、ここで睨み合いをしている理由はない。


 俺は影山の言葉に従い、警戒を解かないままジリジリと後退っていった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 今の所、襲撃は順調。 だけどこのままうまくいくかどうかですね。 敵側にも厄介な奴がいそうですし。
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