第60話 総統
その男は壇上に、多くの解放者たちの前に立っていた。
『我々が作る。新たなる世界を! 安全で、自由で、平等な世界をっ!』
「なんで、お前がそこに居るんだよ……!」
一瞬で思考が頭の中を走り回り、点と点を繋げていく。
そこから導き出される答えはひとつ。
全ては保身のためだ。
自分の身を守るために、誰かを利用し攻撃する。
あまりにも当たり前で……許されない。
吐き気を催すほどの悪意。
俺は激情に駆られて手に持っていたテルミットをその場に捨てると、右腕に提げていたクロスボウを持ち上げる。
銃床を右腕にあて、左手で銃身を支え、照門と照星を合わせて目標に対して真っすぐに構える。
覗き込んだドットサイトの黒点は、男の心臓を捕らえていた。
何百何千回と練習したおかげで、もはや意識しなくとも体が自然に動いて殺すための準備を終えていた。
『そのために明日聖戦を行わなければならない。選ばれなかった者達を切り捨てることは辛いだろう。いくら我々の血をすすって来た寄生虫であろうとその手にかけることは罪悪感が生まれるかもしれない。君たちは人として優れた存在なのだから!』
「お前が死ね」
扉の陰から身を乗り出し、標的の男を射殺そうとした瞬間――。
「なにやってやがる……!」
俺は春日に背後から組み付かれ、物陰に引きずり込まれてしまう。
一瞬、離せと怒鳴りそうになってしまったが、目的を思い出してぐっと飲み込んだ。
「馬鹿野郎っ。誰か一人を殺したところで意味あると思ってんのかっ」
「…………」
幸いなことに俺のことは問題になっていないのか、騒ぎ声こそ聞こえて来たものの、それは解放者を称える言葉であり、侵入者を咎めるものではなかった。
「すみません、頭に血が上りました」
「作戦を台無しにするつもりか? 父親を助けたいんじゃなかったのか?」
春日の言う通りだ。
俺が今奴を殺したところで止まらない。
予定通り隔離施設は襲撃され、父さんは奴隷として使い捨てられるか、上級国民として処刑されてしまう。
最悪の結末を頭に思い描いた瞬間、氷のナイフが頭にスッとつき込まれた様な気がして一瞬で冷静になった。
「分かってます。俺が間違ってた」
「よし」
春日から解放された俺は、クロスボウを腕に引っかけ直すとテルミットの袋を拾いざついでに振り撒いていく。
灰色のテルミットがコンクリートの上に落ちてところどころに小山を作る。
よくよく注意してみればおかしい事は分かるだろうが、意識しなければ気付かれないだろう。
俺と同じくテルミットを仕掛け終えた春日が、今度はリュックから火炎瓶を取り出して右手に持つと、左手にジッポライターを準備する。
後は正門側に居る8人が突撃して体育館の入り口をふたつ閉鎖するのに合わせてこちら側も燃やせばいいのだが……。
今それをすることは出来なかった。
「春日さん」
「なんだ?」
「多分、今壇上で余裕ぶっこいてる奴が総統です」
「…………⁉」
春日が息を呑んだのが気配で伝わって来る。
まさか顔すら分からなかった相手の事を、俺が知っているなどと思わなかったのだろう。
俺自身もヤツが解放者たちを操る総統だとは思ってもみなかったのだから、知っていたとは言い難いが。
「多分ですけど」
補足を入れた俺の言葉を肯定するかのように、体育館の中からは総統を称賛する声が響く。
間違いなく壇上の男が、千里の家に火をつけようとした元町内会長が、総統だった。
「……教えてくれてありがとよ、クソ野郎ども」
「あいつが……」
壇上に立つ男、山本重則は、逃亡時に突き出ていた腹はすっかり引っ込んでいたが、人の好さそうな顔と40代にしては薄い頭は記憶そのままだ。
俺と史はアイツのせいで母さんを失った。
千里はアイツのせいで人生を狂わされた。
それだけじゃない。もっと多くの人が山本の扇動のせいで死に、外道へと堕ちたりしてしまったのだ。
絶対に許されていいはずがない――けれど、この世界がやった者勝ちなのは自明の理。
ならば、罪を償わさせてやると、俺は心に誓った。
「この状況はまずいな……」
春日が呟いた通り、この状況は想定外だった。
本来ならば、体育館を封鎖した後に校舎三階まで攻め上がり、隠れている総統を拘束する作戦だったのだ。
それが今現在、山本は信者という強力な防壁に囲まれているため捕縛は不可能だった。
ならば殺せばというと、それは更にまずい。
今、解放者たちの目の前で山本が死ねば、ヤツは永遠の英雄となってしまう。
そうなれば、解放者たちは目的など忘れてひたすら周りに襲い掛かるだけのイナゴとなり、この世界に更なる災厄をまき散らしてしまうだろう。
「一旦後ろと合流だ」
「はい」
すっかり頭の冷えた俺は、春日の指示に従って体育館後方のドアで待機していた二人と合流する。
これからどう動くべきなのか、流れの読めない俺ではなんの判断も出来なかった。
それは残りの二人も同じようで、起動しないまま額に引っかけている暗視ゴーグルを弄ったり、心配そうな視線を春日へと向けている。
そんな中、春日は腕の時計板を睨みつけて必死に思考を巡らせている様であった。
残り時間は少ない。
もう間もなく正門のグループが動き始めるはずなのだ。
そうなれば……。
「暦。今すぐ中に入って好きに暴れろ」
「はい?」
「総統を除く解放者以外、誰も殺すなよ」
その意図を知りたかったが、それを聞く前に春日は他の連中へ指示を飛ばしているため聞きようがなかった。
「そら行けっ」
春日はそう言うと背中から布を巻きつけて強化した棍棒を取り出し、もう一人の手下を連れ立って前方入り口へと走っていく。
残った一人――かつて俺と共にこの体育館へ侵入した事のある、ハゲ頭が特徴的な男、影山は火炎瓶の口をいじくっている。
どうすればいいかよく分からなかったが、とりあえず俺が囮になる事だけは想像がついた。
「ああもう、自棄だっ」
俺はクロスボウに矢が装填されていることを視界の端で確認しつつ体育館の中へと飛び込んだ。
体育館の中は熱気で溢れかえっており、ぬるりと全身を舐められた気になって来る。
その熱の発生源である信者たちは、もう感染などどうでもいいのか1ミリの隙間もないほど密集して前方に固まっていた。
「山本ぉっ!!」
俺は怒鳴り声をあげつつクロスボウを構え、壇上へ向かって適当に撃ち放つ。
矢は信者たちの頭上を飛び越え、本来国旗や校旗が掲げられている場所ではためいている意味の分からないマークが描かれた赤い旗の中心に突き立った。
「誰だっ!?」
即座に解放者と思しき連中が、誰何の声を上げながら、山本の前に肉の壁となって立ち並ぶ。
その様は映画のワンシーンの様であり、思わず大統領気取りかよと内心で吐き捨てた。
「てめえの女を警察に引き渡したガキだよ。隣の家を放火しようとしてくれてありがとよ、クソ犯罪者」
静まり返った体育館の中、腹の底から恨みの籠った声を上げる。
ちょっとばかり口が悪くなっているのは春日たちガラの悪い連中の影響を受けているからかもしれない。
そんな風に心の内と外で罵倒しつつも体は練習した通りスムーズに動き、クロスボウの次弾を装填していた。
「なにを言っている!?」
「だからそこの元町内会長のクソジジイのこと言ってんだよ!」
俺がクロスボウを向ければ、解放者たちが一気に気色ばむ。
それでもその場を動こうとしないどころか更に壁を厚くするという忠誠心を見せるあたり、相当に洗脳が進んでいるのだろう。
相手はただの逃亡犯であり、間違った正義感で意図せず俺たちを殺そうとした、人間のゴミだというのに。
「いいから早く――」
『これだから旧人類は度し難い』




