第56話 リア充爆発しろ
俺が練習できるようにと、廃工場の真隣に急遽設けられた練習場の中心に立つ。
夏日に照らされ熱を持ってぬるくなった大気を胸いっぱいに吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。
今朝から何度となく繰り返した動作をもう一度頭に思い描く。
視線の先にあるのは土山と同心円状のイラストが描かれたベニヤ製の的。
俺の手の中にあるのは、真っ黒な塗装をされた人を殺すための道具。
大人たちよりも若干力が弱いと言われた俺は、春日から後方支援を命じられ、現在必死にクロスボウの練習をしていた。
海外においてクロスボウは銃火器に分類され、銃と同じ申請をしなければ手に入れることは出来ない。
しかし日本は違い、なんの申請もせずに入手する事が出来るのだ。
春日組はさすがヤクザというべきか、この物騒極まりない代物を今回の戦闘のために用意してくれていた。
「よし……スタートっ」
自分で合図を告げてから、銃床を右肩に当て、左手で銃身を支えて固定し、左目をつぶってドットサイトを覗き込む。
視界下部にある照門と照星を合わせて的とクロスボウが一直線に並んだことを確認したら、レンズの中心に浮かぶ黒点を的に合わせたのだが……。
「くそ……」
どれだけ静止したつもりでもほんの少しの揺れが大きく増幅され、黒点は的に描かれた円の中をゆらゆらと揺れ動く。
疲労が蓄積してきたというのもあるが、10メートル以上離れた的に当てるのは存外難しかった。
一瞬だけ呼吸を止めて手の動きを小さくしてから引き金を引く。
カシュッという音がして、クロスボウの本体が波打つように跳ね、カーボンで出来た矢が目にもとまらぬ速度で撃ち放たれる。
矢は真っすぐ突き進み、的の下部に突き立った。
しかし、ここからが練習本番だ。
クロスボウは連射がきかない。
だというのに敵はひとりではない上、次から次へと押し寄せて来る。
その為、素早く装填して次に備えることが必要不可欠なのだ。
俺はクロスボウの先端に取り付けられたフックを地面につけると足先を通し、革製のグローブに包まれた両手で弦を掴む。
そして両腕をまっすぐに伸ばした状態で、背筋を使って弦を引っ張り、突起部分に引っかける。
最後に右手で持ち上げながら、空いた左手で腰元に取り付けた矢筒から替えの矢を取り出して装填すれば終わりだ。
撃ってから次弾装填を行い構え直すまでの所要時間は体感で12秒といったところだろうが、それだけあれば確実に次の敵に突っ込まれて殺されているだろう。
一応、春日組の人たちが前衛に出てくれるとのことだが、素早く次に備えられることに越したことはない。
「もっかいだ」
より素早く狙いをつけ、より正確に目標を撃ち抜き、より確実に次へと備えることは、何度も何度も同じ行動を反復して体に覚え込ませることが一番だ。
俺は今一度最初から練習をするために、矢の回収に向かったのだった。
「おにーちゃんっ!!」
背後から史の声が聞こえて来て、俺は我に返った。
空は既に茜色に染まり始めており、練習を始めてかなりの時間が経っていることに気付く。
腕は疲労で重く、指先は負荷をかけすぎたせいか痺れて感覚がなくなっていた。
「なんだ……」
何気なく振り返って返事をしようとしたところで、なぜ史がこんなところに居るのかという疑問が浮かんだのだが、それ以前に感染の疑いがある俺に史を近づけるなどもってのほかだった。
俺は慌てて口元に手をかざすと、史……とその隣に立っていたエプロン姿の桐谷へ静止をかける。
「史、近づくなよっ。もしかしたら感染したかもしれないからっ」
解放者たちの巣窟から帰還した後、感染しない様に最善の注意を払いながら慎重に体を洗ったため、恐らく感染している可能性は低い。
それでも念のために史との接触を二週間以上は断つ必要があった。
「分かってるってば。だから4メートルは離れてるでしょ」
「せめて5メートルは離れてくれ」
喋った時に口から飛ぶ唾液の粒――飛沫――は、だいたい3~5メートルで地上に落ちる。
念のために最大限離れていてほしかった。
「……相変わらず過保護よね」
そんな俺のらしすぎる態度に、桐谷は盛大に嘆息する。
分かっていたろ、との気持ちを込めて胸を張った。
「まあな、大切な史のためだ」
「威張らないでほしいのだけど」
桐谷はもう一度わざとらしくため息をついてから頭を振る。
表情は見えなかったので何とも言えないが、恐らくは指摘するのも疲れたなんて考えていそうだった。
「ご飯。作ったから呼びに来たの」
「ああ……うん?」
桐谷と史は、元俺の倉庫、現桐谷の隠れ家で武器を作り続けてくれていたはずだが、なぜここに居て、その上料理まで作っているのだろうか。
その理由が皆目見当もつかず、素直に尋ねてみると、「材料が沢山貰えるから」という至極単純明快な答えが返って来た。
「それにここの人たち男所帯だから、あまり料理が作れないみたいなの」
春日組は、この廃工場及びこの地域一帯の闇市を取り仕切っているのだが、一応全員がそれぞれ自宅かそれに類するものを所持しており、そこから出勤してくる形式をとっている。
しかし大きな戦争をおっぱじめようというのだからさすがにそんなことはしていられなかったため、俺を含めた12名は廃工場近くの寮で寝泊まりしていた。
そうなれば自然と食事は誰かがまとめて作る事になってしまうのだが、如何せんその12人の中に料理を得意とする人間はほとんど居なかったのだ。
桐谷はそれを自発的に補おうとしてくれたらしい。
「あ~……助かる」
「それは食べてからにして。こんなに量を作ったことなかったから、ちょっと自信ないかも」
とはいえ、桐谷の料理の腕は一度食べて知っている。
野性味あふれる味付けは、母さんとは別方向だが同じくらい美味しかったため、心配はしていなかった。
「わ、私も野菜の皮を剥いたりして手伝ったんだからね!」
「なら美味いな、絶対」
史の主張にサムズアップで応えると、桐谷はまた大きなため息をついたのだった。
人は本当に美味しい物を食べると無言になるらしい。
寮に設けられた食堂に距離をあけて座った大の大人11人、全員が全員、皿と口の間でスプーンをひたすら往復させている。
メニューとしては、カレー味を基本に、少し強めにコショウを利かせたポトフと、茹でたジャガイモだけなのだが、それでも彼らからすればごちそうなんてものじゃなかったらしい。
「あ、あの……お口にあいませんでしたか?」
あまりに反応が薄いせいで心配になったのか、壁際で立ち尽くしていた桐谷がおそるおそるといった様子で尋ねると、スプーンを動かす速度は変わらないまま11人全員が無言で首を振る。
しかし、いかつい顔をした男たち11人が一斉にそんな事をしたものだから、その光景の異様さの方が先に立ってしまい、桐谷にはきちんと伝わっていなかった。
「え……? あの……?」
「美味しかったってさ」
桐谷は眼鏡とハンカチで顔を覆っている為表情は分かりにくかったが、薄い胸元で握りしめられていた拳が緩んだところを見ると、きっと安堵したのだろう。
「俺もすごく美味しいと思うし」
「そう、なんだ」
社交辞令などでなく、素直にそう感じたから言ったのが良かったのか、桐谷の声が僅かに弾む。
普段あまり感情を動かさない彼女がそんな風になるのは、なんとなく面映ゆい感じがした。
「……良か――」
「ヒューッ!! 結婚式だぁー!!」
「一番若い奴が真っ先にカップル成立とか爆発しろこの野郎!」
「良い嫁になるぞ、大切にしろよ!」
桐谷の言葉に割って入るかのように口笛が鳴り響き、突然春日組の連中が口々にはやし立て始める。
先ほどまでの沈黙が嘘のようなお祭り騒ぎが始まり、食堂の中は割れんばかりの騒音に包まれた。
「お前ら今まで黙ってたのにいきなり反応するんじゃねぇっ!!」
俺がたまらずそう怒鳴りつけても返ってくるのはにやけ笑いややっかみばかりである。
たまらず春日に視線で助けを求めても、中指を立てられ、無情にも見捨てられてしまった。
「なんなんだよ、いったい」
「そりゃあ、こんな男所帯で浮いた話もねえ野郎どもが集まってるんだぜ? そこで甘酸っぱい雰囲気出されたら食いつかねぇわけがねぇだろうが」
「出してねぇ!」
力の限り否定したのだが、自分でも説得力がないかもしれないと思わないでもない。
事実、桐谷は顔を抑えて壁を向いて一切否定しないのだ。
ものすごく居心地が悪かった。
「史。お前は俺の味方だよな?」
せめて俺を攻撃してこない人間を探そうと、俺の最愛の家族にして常日ごろから味方になってくれる史に助けを求めたのだが……。
「私、すっごい味見させられたの。お兄ちゃんの好きな味かって」
「はい、青春いただきましたー!!」
秒で裏切られてしまった。
しかも何故か頬を膨らませ、殺気まで込めて睨まれている。
「……史、もしかして怒ってる?」
「怒ってないもん、お兄ちゃんのスケベ」
100%どころか1000%か一万%くらい怒っており、怒髪天を突くとかそういう表現が生温いほどの怒りを感じ、この場に俺の味方は誰一人として居ないのだと理解する。
そんな雰囲気から逃れたくて、つい、
「……マジでちげぇって、死ぬかもしれないのにそんな関係になれるわけねぇだろ」
なんて、口を滑らせてしまった。




