第55話 もともとは
「いやー、しかしやるなぁボウズ。なかなか肝が据わってんじゃねぇか」
「ボウズって……もう17なんでそんなガキじゃないですよ」
クラスターから帰還した俺たちは、報告よりなにより先に、工場脇に三つ並べて設置されたドラム缶風呂へと叩き込まれた。
「そうそう、なかなかデカかったからガキじゃねえな」
「どこ見てんすか!」
「いやいや、男なら大事だろうが。褒められたんだから喜べって」
いくら初夏で真夜中とはいえ、外で全裸になって体を洗うのはなかなか勇気が行ったが、慣れてしまえば大したことはない。
かがり火に照らされたドラム缶風呂に浸かりながら駄弁るなんて体験は、行けなかった修学旅行の様な気分を味わうことが出来てむしろ浮かれてしまったくらいだ。
「コラ、お前ら俺を待たせてることを忘れちゃいねぇだろうな」
「あっ、兄貴!」
さすがに騒ぎ過ぎたのか、夜中だというのにオールバックを崩さないヤクザの頭領である春日がやって来る。
ただ、手には衣服らしき物を持っていたので、もしかしたら注意ではなく心配してきてくれたのかもしれなかった。
「すんません、今すぐ出ます」
手下の内、スキンヘッドにしている背の低い男が慌てて立ち上がり、ドラム缶風呂を上がろうとする。
だが春日はそれを手で制すると、
「いいから出るんじゃねえっ! 俺に変なモノ見せるなこのタコっ!」
なんて怒鳴りつける。
タコというのは意識せずに出た罵倒なのだろうが、あまりにもらしすぎて危うく吹き出しそうになってしまった。
「ったく」
春日は、台代わりにしているコンクリートブロックの上へと適当に着替えを放ると、予備の薪を拾い、ドラム缶の下に突っ込んで行く。
なお、この薪は持ち主の居なくなった家を勝手に解体して得た廃材を薪にしているらしい。
今はもうガスが使える様になっているのだが、それでも値段はバカ高いため、こうして節約をしているのだろう。
「ぬるかったら言えよ」
「大丈夫っす!」
「ありがとうございますっ」
もう何となく気付いていたが、春日は非常に面倒見のいい性分らしく、威圧的な言動をしつつも実際にはこちらを気づかうようなことばかりしている。
本当にヤクザなのかちょっと疑わしいくらいだった。
「それで、なにがあった? ずいぶん早かったが」
「早かったというか、これで限界だったと思います。さすがにあの場所に2、3日も居たら、確実に俺らは感染してました」
とはいえ、感染していないという確証はないのが怖い所であった。
「ふむ」
まずは潜入したヤクザ2人が起きたことを説明していく。
参加者だけでなく、解放者には一人身の者が多いなど、いつの間に調べていたのだと感心してしまう有用な情報をいくつも上げていった。
それが終われば俺の番で、千里から得た情報を報告していく。
春日はそれらを静かに聞き続けたのだった。
「……なるほど。クソだな、連中は」
開口一番そう断じられてしまったのだが、おおむね俺もその感想には同意しかない。
「恐らく体育館のクラスターはわざとだ。一回で警察署を落とせないことは分かっているから、感染している信者そのものを武器にするつもりだろうよ」
「マジかよ……」
春日の信者という表現は、まさに言い得て妙ではあったが、それよりも人を人とも思わないやり方に思わず慄いてしまう。
確かに相手がルインウィルスに感染しているとなると、血が出るような手段は早々使えない。
捕まえるのにも相応の装備が必要不可欠で、更に負担は増える。
しかも感染者は三か月から半年は無自覚無症状で、動きに制約は一切無い。
使い捨ての道具としてはこれ以上ないくらい優秀な性能だった。
「で、でも自分たちが感染した事を知ったら、さすがにキレるんじゃ……?」
「そのために口頭確認をしたんだろ。それだと嘘をついたやつが悪いと言い張れる。それに信者たちは治療して欲しくて政府施設の奪取に、死に物狂いで参加してくれるだろうよ」
俺は、一部の人が薬を独占しているからお母さんたちを治してもらえないと叫んでいた千里の事を思い出す。
同じようなことを言えば、洗脳状態にある信者たちならコロッと騙されてしまうかもしれなかった。
「俺の知ってることはこれで全部です。そっちはどうでしたか?」
春日は片眉を上げて、笑っているとも困っているとも取れる、中途半端な表情を作る。
「警察署に行かせることはできたし、メッセージを持って帰っても来た」
「なら一応成功じゃないですか」
「そうでもねぇ」
どうにも歯切れの悪い言い方をしてくる春日に、最悪の想像が頭をよぎり、俺の心にさざ波が立つ。
「まさか、見捨てるなんて……」
「いや、医療従事者に関してはヘリでの救助作戦を考えているらしい。だからその援護をしてくれ……いや、しろと命じられた」
医療従事者を助けるとなると、父さんのことは助けてもらえるだろう。
しかし、今の春日の言い方から察するに、それ以外の人たちは見捨てるつもりだと聞こえた。
「……お前の父親は、お前がなにもしなくても助かるってわけだ」
それが春日の表情の理由。
俺の行動は完全に空回りでしかない。
よくよく考えてみれば、医療従事者なんて希少極まる人材を、政府が守らないはずがなかった。
どうする? と春日の瞳が問いかけて来る。
これは俺の想像になるが、ここで俺が降りても春日は決して責めたりしないだろう。
そうか、とだけ呟いて俺を許してくれるだろう。
もしかしたら部下が死なない事を喜ぶかもしれない。
彼は見た目に反して情に厚い男なのだ。
だがら、俺の返事は既に決まっていた。
「春日さんは俺の父さんのこと知らないですよね」
「ああ」
「父さんが患者を置いて逃げるはずないですよ」
ほぼ一日中患者のために働き続け、一週間に一度だけ家に帰ってきて、史の診察をしてからまた患者の手術をしに戻る日々を過ごしている。
誰よりも命の尊さを知っていて、誰よりも命を大切にする人で、俺が一番尊敬する人なのだ。
そんな父さんが患者を見捨てるなんて、するはずがなかった。
「だから、俺が父さんを守るんです」
「…………」
春日が分かっていないとばかりにわざとらしくため息をつくと、まっすぐに俺の瞳を見据えて来る。
「お前がお前の親父を守る。それはお前が人を殺すかもしれないってことだ。それは理解しているか?」
「……もう、一人殺してます」
忘れたくても忘れられない感触が俺の心を疼かせる。
なるべく考えないふりをしていても、この罪はいつも俺の隣に在るのだ。
きっとこの十字架は、これから一生ついて回るだろう。
「そうか。なら俺たちが人を殺すかもしれないってことは理解しているか?」
「あ……」
俺が人を殺すかもしれないのだから、当然春日たちにもその可能性はあった。
俺はなるべくそれらを考えない様にしていたから、どれだけこの考えが身勝手であるか気付けなかったのだ。
現実はゲームやアニメの様に倒すだけなんてできはしない。
手加減しようとしても、少し殴っただけで当たり所が悪くて死んでしまうこともあるし、ほんの少しの切り傷から菌が入って死ぬことだってある。
殺したくなくても殺さざるを得ない状況に追いやられてしまうことだってあるのだ。
そして俺は春日組のみんなを、俺を助けてくれる人たちを、そんな状況に追いやってしまっている。
最低最悪な事を他人に押し付けてしまうことすら意識出来ないなんて、奴らとなんの違いがあるのだろうか。
「俺は実はな、こうなる前はタクシーの運転手やっててな。なんの因果かこうなっちまったが、こんな顔して真面目に働いてたんだぜ」
「マジですか兄貴!? ずっと本物だと思ってましたわ」
「それ、仕事になってたんですかい? 絶対客に逃げられたことあるっすよね」
場の雰囲気を和ませようとしているのか、ドラム缶風呂に浸かったままの二人がわざと混ぜ返す。
この2人ももしかしたら、本当はヤクザなんてものじゃなく、こんな状況になったから、仕方なく暴力で身を立てることになってしまっただけなのかもしれなかった。
「お前らな……ったく」
春日は苦笑した後で、柔かい視線を向けて来る。
サングラス越しで、しかもかがり火の頼りない光の下だというのに、それでも彼の気遣いが伝わって来た。
「だからこれから一人でやろうって考えるんじゃねえぞ。あんま人殺しに慣れんな。こんなご時世だから仕方ねえ面もあるだろうが、だからって仕方ねえで受け入れていい事でもねえ。それだけは忘れんなよ」
「…………」
俯いた俺の頭に、大きな手が乗せられて、ぐしゃぐしゃとかき回される。
「アイツらは平気で殺し、平気で奪う。そんな世界にさせないためにも、矛盾してるかもしれねぇが殺してでも守らなきゃならない。お前は間違ってないから、そんな顔すんな」
「…………」
「そんな顔出来るんだから、大丈夫だ」
俺は今どんな顔をしているのだろう。
水面は震えて俺の顔を映し出してはくれない。
でも、この大きい人が大丈夫だと言ってくれる人であり続けようと、俺は心に誓ったのだった。




