第50話 思わぬ味方
俺は今告げられた言葉の意味が分からず、ぽかんと口を開けて春日の事を眺めていた。
あまりに驚きすぎて、無意識に流していた涙が止まってしまったくらいだ。
「チッ……あー……なんだ、クソッ」
それは春日も同じだったのか、一分の隙も無く整えられている頭をガシガシと掻いて乱してしまったり、何度もためらいをみせている。
彼がいったいどういうつもりでそんなことを言ったのか、傍から見る限りでは分からなかった。
「ああ、もう構うかっ。吐いた唾飲まねえって決めてんだ!」
春日はくるりと体を90度ほど回転させて手下たちの方へと向き直ると、サングラスを外して彼ら全てをぐるりと見回す。
一方、手下たちは荷物を手にした状態で忙しく働きながら、ちらちらとこちらを窺っている。
手下たちの視線が集まる中、春日はゆっくりと深呼吸をしてから、
「俺は組を出る。後はてめえらで好きにしろっ!」
そう、宣言した。
「あ、兄貴……? なにを?」
その唐突過ぎる言葉に、自体を上手く呑み込めないのか手下の1人がおずおずと申し出る。
「俺は以前コイツに情けをかけちまっただろうが」
確かに春日が言った通り、俺がバイヤーに巻きあげられた金を返してもらったことがあった。
ただそれは、偽物の薬が売られるのを止めた対価だとも言える。
「途中で手を放しちまったら、筋が通らねえ」
春日の本心がどこにあるのか定かではないが、なんとなく無理やり作った理由のようにも聞こえた。
「こいつ等に最後まで付き合ってやらなきゃなんねえだろうがよ」
「兄貴……」
呆ける手下たちを放って、春日は再び俺たちの方へと向き直る。
とはいえ、俺たちの誰もが手下たち以上に呆然としているのだが。
「ってことだ。分かったろうが、早くしろ!」
なにを分かればいいのだろう。
俺だけでなく、史も桐谷も処理が追い付いていなかった。
「お前の親父を助けたかねぇのか! ……えぇと、名前すら聞いてねえじゃねえか、このタコ!」
呆然としていた俺だったが、親父という単語を聞いて背筋を伸ばす。
唐突な状況の変化に驚いている暇などない。
時間は有限だし、利用できるものはなんでも利用しなければならないと、父さんを助けることなんて夢のまた夢。
俺は心の中でそう断ずると、無理矢理頭を切り替えた。
「俺は、天津暦……です」
先ほど怒鳴った時は敬語などつけていなかったのに、助けてもらえるとなれば口調を変えるなど、都合が良すぎると我ながら思う。
「妹が天津史、こっちが桐谷桃花です。ありがとうございますっ!」
お礼のため、それから謝罪のために、俺は気を付けの姿勢から深々と頭を下げる。
「それから八つ当たりで殴りかかろうとしてすみませんでしたっ」
さすがに手のひら返しが過ぎたかと思ったのだが、
「……筋を通そうとする姿勢は嫌いじゃねえな」
なんて声が後頭部に降って来る。
もしかしたら俺の事を気づかってくれたのかもしれない。
大人と子どもとしか表現のしようがないほど器の違いを思い知り、俺は恥じ入るほかなかった。
「あ、兄貴? なに言ってんですか? 冗談にしてはちょっと笑えねえっすよ?」
本当は、なにとち狂ったのかとでも言いたげなくらい、困惑した様子で手下のひとりが声をかけて来る。
彼らからすれば、こどもひとりに筋とやらを通すため、いきなり見捨てられたに等しいのだ。
「冗談じゃねえ。お前らは早く逃げろっつってんだよ。持つ物持ってりゃどこででもやっていけんだろうが」
「正気すか? どう考えても無駄死にですぜ?」
解放者たちは100を超える大人数で、こちらは俺と春日の2人。ただ特攻するだけならば、絶対に死ぬだろう。
だが俺は完全に無策だったわけではない。
一応だが、ある程度の考えはあった。
俺は頭を上げ、春日と手下との会話に口を挟む。
「頭を潰せば、たぶん連中は瓦解する」
民衆を扇動し、計画的に物事を進められるのは、物事を冷静に俯瞰して見つめ、分析して策を練っている奴がいるからだ。
単純に上級国民が全て悪いと決めつけ、略奪や殺人を楽しんでいるような連中が出来ることではない。
これらの計画を立てたヤツさえいなくなってしまえば、連中は目標を失った烏合の衆に成り下がる。
そうなれば、付け込む隙も出てくるだろう。
「一人か、数人か。とにかくそいつらを……」
殺す、と言いそうになったところで、俺は慌てて口をつぐむ。
俺の隣には史が居て、背後では桐谷が立っている。
共犯意識のある桐谷はまだしも、史にはあまりそういう面をみせたくなかった。
「そういうのは出来るかどうか、分かってから話すことだ。つーかお前は鼻血拭いて口元を隠せ」
どちらもあなたが殴ったせいだろうにと文句をつけたかったが、言われた通り鼻をつまんで血を止め、史から落としたハンカチを受け取る。
俺は先ほどから散々喋りまくっている為、今更ハンカチで口元を覆ってもあまり意味はないのだが、気分の問題もあるので、言われた通りハンカチで鼻血を拭ってから鼻と口を覆っておいた。
「おい、奴らの情報探ってた野郎はどいつだ? ちょっと来い」
春日はそう言いながら俺をしっしっと事務所の方へ追いやっていく。
作戦会議でも開いてくれるのだろう。
ひとりがふたりになったところで出来ることはあまり増えないのだが、それでもヤクザのカシラを張っていた男が味方をしてくれることは、とても心強かった。
だが、もはや足ぬけするのは決定とばかりの行動をされては、手下もたまったものではないのだろう。
兄貴っと、悲鳴にも似た声が上げる。
「兄貴が居なかったらオレらどうにもならねえですよ!」
「俺も兄貴が居たからここまでやって来られたんです。こっから先、兄貴なしでなんて無理でさぁ」
先ほどまで訴え出ていたのとは違う男が悲痛な声で叫ぶ。
それを皮切りに、同じような悲鳴が方々からあがり始める。
どうやら春日は相当手下たちから慕われているようだった。
「ガキがどうにかしてんだ。てめえら恥ずかしくねえのか……ったく」
不満げに舌打ちする春日の顔は、だらしなくにやけそうになるのをなんとかして堪えているのか、頬肉が痙攣を起こしていた。
「よし、ちょうどいい。俺らのシマを荒らす野郎どもを追い払うついでに、国に恩を売ってやろうじゃねえか」
「おぉっ!!」
あれよあれよという間に味方がどんどん増えていったのだが、それでも20強程度の人数しか居らず、三桁を越える解放者たちには太刀打ちできない。
しかし、俺一人の時よりは随分出来ることが増えていて、父さんを助けられる可能性が少しはあるんじゃないかと思えたのだった。




