第48話 新世界の扉が開く
「んだぁ……?」
春日が足を止め、いぶかし気な顔をしながら振り返る。
ただ通信機から反応があっただけでは春日が止まるはずがない。
これは、そのくらいの異常事態なのだ。
『この声を聞く全ての者に告げる。我々はこの地域一帯をこの手に治めた』
「緊急用の周波数帯だぞ。それで呼びかけなんて何考えてやがる?」
この周波数で通信を行っても、出るのは本来警察だけだ。
今は解放者を名乗る一員が応えるだけのはずで、仲間に向けて呼びかけたところで無意味だろう。
俺は一体なんの意味があるのかを考え、それとは別の違和感に気付く。
「……この声、二重に聞こえませんか?」
「んぁ?」
春日と二人して聞こえて来る世迷言に耳を傾ける。
この世界を政治家や官僚などの利権を貪る云々かんぬんと、千里や俺の家を襲った連中と同じような事を偉そうな口調で何度も繰り返しているだけで、中身があるとは思えない。
ただ、今内容などは関係なく、重要なのは音の方。
「……確かに」
春日は頷き、外に繋がる窓を開けると、明確に聞こえて来る音が大きくなる。
どうやっているのかは分からないが、電柱などに取り付けられているスピーカーからも音声が流れ出ているらしい。
「全チャンネルで放送して、しかも外にも放送してるだと? んな電力をいったいどこから――――」
『――我々こそが真の平等を諸君らに与えることが出来るのだ! 旧態依然の――』
春日は何かつぶやいていたのだが、騒音があって聞き取ることが出来なかった。
「何かに気付いたんですか!?」
入って来る騒音に負けない様、声を張り上げると、春日は振り向いて怒鳴り返して来る。
「変電所だ!」
「はい?」
「やつらが制圧したのは警察署じゃねえ、変電所だ!」
その言葉でようやく春日の考えが俺にも理解できた。
通信機を動かすのには膨大な電力が必要なのだが、警察署は一般家庭と違って電気が供給されている数少ない施設のひとつだ。
しかしその警察署に電力を送るのには必ず変電所を通さなければならない。
その変電所を制圧してしまえば、警察の電気を使う設備は全て使用不能になり、警察に成り代わることが出来る。
母さんが通報した相手が警察ではなく解放者の仲間だったとしたら、確かにつじつまがあう。
ただ――。
「警察だって馬鹿じゃありませんよ! 電源装置くらい準備してるんじゃないですか!?」
春日が電源装置を使って通信機を動かしている様に、警察だってそのくらいできるはずだ。
「分からねえ。情報が足りねえんだから全て可能性になる! 想像でしかねえが、警察署が占拠されたってよりは可能性が高ぇだろうが」
確かに警察署と変電所を比べれば、後者の方が圧倒的に制圧は容易いだろう。
だが、それをした所で何の意味があるのか。
発電所からの電力供給が絶たれれば、意味の無い施設を抱えるだけになってしまう。
いずれにせよ結論を出すのには春日の言う通り情報が足りなさすぎた。
「こいつらの目的はなんなのか、このまま放送を聞いてりゃ分かる」
「……はい」
あまりにも身勝手にすぎる解放者の主張を聞くのは、比喩でなく耳が腐る気がするのだが、仕方なく放送に耳を傾ける。
放送はしばらく自分たちが如何に尊い存在であるかを散々自慢した挙句――。
『諸君。私たちは新たな世界を築く。そのための力を貸してほしい』
ようやく目的を語り始めた。
『我々は旧態依然の腐った豚どもの生き残りを叩き潰す。そして検査キットを手に入れるのだ』
父さんはこんな連中のために昼夜問わず働き続けていたのに、その挙句に豚と罵倒されるのだ。
あまりにも理不尽すぎて、怒りがふつふつと湧いてくる。
『そうすればあまねく全ての人を調べ、彼の災厄であるルインウィルス保持者をあぶりだすことが出来る。全ての病原体を取り除けば……我々は自由だ。分かるか? 終わるのだ、この地獄が!』
「んなわけあるかぁっ!!」
俺は無意味と分かっていても放送に怒鳴り返してしまった。
そんな素人考えが通るのならば、とっくの昔に政府がやっている。
検査は100%分かるわけではないし、そもそも人数が多すぎるのだ。
全ての人に検査などやり切れるはずがない。
この地獄が始まって60%もの人が死んでしまった。
それでも40%、つまり五千万人程度は生きているのだ。
一日五千人の検査をすると仮定しても、全員の検査が終わるには一万日、27年以上かかる。
全員検査は現実的に不可能なのだ。
『終わらせたければ我らに続け! 集え! 武器を持って戦うのだ!!』
そうやって放送は人の心を煽りに煽って終了した。
冷静に考えればこの放送がむちゃくちゃな事を言っていることくらい判別がつくだろう。
だが、自粛を続け、辛い日々を送り、食べ物がほとんどなくなって苦しい思いをしている人が聞けばどうなるか。
きっと、それが正しいと思ってしまう人も現れるだろう。
蜘蛛の糸であろうと、それが救いと勘違いすれば縋りつくのが人間なのだから。
「ヤバいな」
春日が端的に感想を漏らす。
俺もその意見には全面的に同意するしかなかった。
もし警察署が落とされていなかったとしても、もう関係ない。
圧倒的な数の暴力で制圧してしまえるだろう。
「……連中はこっちが思ってた以上に賢かったってわけだ」
「そうかもしれませんね」
俺たちが気付かない内に連中は牙を研ぎ澄ましながらあらゆる場所に忍び寄っていて、本日、たった今、全てを顕わにしたのだ。
賛同する者も居るだろう。
力に押されて参加せざるを得ない者も居るだろう。
母さんのように殺される者も居るだろう。
いずれにせよ、解放者が全てを染め上げてしまうのは間違いなかった。
このどうしようもない状況に対して、俺は自分の出来ることが何も見つけられずに居たのだが、春日は違った様で、身を翻すとずんずん入り口の方へと向かっていく。
「なにをするつもりですか?」
一切の返答はなく、そのまま春日はドアを開けて出て行ってしまう。
そして、
「おい、ここ畳むぞ! 逃げる準備をしろ!」
部下たちに強い口調で命令を下す。
確かに春日たちヤクザは、闇市にて利益を得ている。
この事務所にある物資にはあまり価値があるように見えないけれど、財産は財産だ。
平等に分け与える事を是としている解放者とは相いれなかった。
「待ってください、抵抗はしないんですか!?」
俺は足元に転がる物資にも構わず、春日の元へと走り寄る。
「出来るわけねぇだろ。連中は既に100人以上居たんだ。その時点でこっちに勝ち目はねぇ……ほら、さっさと追い出せ! もう市はしまいだ! お前らも逃げだす準備でもしろっ!!」
春日の命令で、手下やバイヤーたちが慌ただしく動き出す。
彼らも先ほどの放送は聞こえていたのだろう。
その動きは明らかに焦っていた。
「お兄ちゃん、どうだったの?」
史と桐谷がこちらに近寄って来る。
俺はそんな二人に対して首を横に振ることしかできなかった。




