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第45話 へそくり

「……ん……」


 強い光を感じて無意識に手をかざそうとするが、なにか抵抗を感じて腕がうまく動かない。


 仕方なく俺は光から逃れるために体を転がそうとして、今度は何か大きくて柔らかい物が俺にしがみついているのを感じた。


「なんだよ……」


 しかもその大きなものは、なんだかあたたかくて心が落ち着く不思議な匂いがただよってくる。


 このままで居たくもあるのだが、眩しすぎてその心地よいなにかに浸ることが出来ないでいた。


 体は動かず遮る事もできない、と来たのならば俺に残された選択肢はひとつしかなく、しぶしぶ俺は目を開けたのだった。


「まぶし……」


 視界が真っ白な太陽の光で染まり、辺りの様子を全くうかがい知ることが出来ない。


 仕方なく、体を拘束しているなにかへと視線を向けて――。


「…………史」


 俺が動けなかった原因にたどり着いた。


 史は俺の胸元に顔を押し付け、両手でしっかりと赤ん坊のように抱き着いている。


 その上から布団が掛けられていたのは桐谷の配慮してくれたのだろう。


 どうやら俺と史は、母さんの話を聞いてから泣きに泣いて、そのまま泣き疲れて眠ってしまったみたいであった。


「どおりで……」


 なんだかまぶたが厚ぼったいし、喉もいがらっぽい。


 けれど心の方は前に向かって踏み出せる程度の力は戻っていた。


「起きたんだ」


 さっと影が差し、光が遮られる。


「桐谷……」


 俺の顔を覗き込むために体を傾けているせいか、彼女の長くまっすぐな髪の毛がカーテンのように広がり、その隙間から陽の光が零れ落ちる。


 逆光で見えないはずの顔は、感情が乗っていないように聞こえる彼女の声に反して、慈しむような柔らかい笑顔に満ちていることが感じられた。


「体、痛くない?」


「あ?」


「床に直接寝てたから。それに、妹さんも」


 言われて気付いたのだが、史は俺の腕を枕にし、体のかなりの部分を俺に預ける様にして眠っている。


 俺の手が動かない理由は、片方は拘束され、片方は枕にされていたために感覚が消失してしまったからだった。


「平気だ」


「それって、痛いけど耐えられるっていう意味?」


 桐谷は、この短い期間に俺の特性を正しく見抜いているらしい。


 彼女の言葉を肯定するとまたシスコンと罵倒されそうだったため、軽く肩を竦めてノーコメントを貫く。


「……朝ご飯はじゃがいも一個だけど、大丈夫?」


 やはり配給なしで暮らしていくのはかなり無理があるらしい。


 昨夜は俺たちを気遣って大盤振る舞いをしてくれたのだろう。


「食べられるだけでありがたいよ。本当は桐谷の分なんだろ?」


「否定はしないけど、あなた達にもらった種芋から増やしたじゃがいもだから遠慮しないで」


「そうは言うけど――あ」


 なんとかして桐谷の分を減らさず自分たちでまかなえないかと考えて、ふとある事を思い出した。


「桐谷、冷凍庫を開けて中身を見たか?」


 この世界は電気がまともに使えなくなって久しい。


 当然冷凍庫の中身はどの家でもぐちゃぐちゃに腐ってしまっていた。


 桐谷は開けた時の悪臭でも思い出したのだろうか、思わずといった感じで口元を両手で覆う。


「オッケーわかった。じゃあ……」


 一瞬開けてもらおうか迷ったが、嫌な事を女の子に押し付けるわけにはいかないと考え直す。


「史が起きたら俺が開けるよ」


「……妹さんを起こすって言わない所がやっぱりシスコンだよね」


「…………」


 結局その言葉を言われてしまったのだが、自分でもその通りだと思ったので何も言い返すことが出来なかった。






 史が目覚め、俺の腕のしびれが無くなるのを待つついでに朝食をすませる。


 メニューはピンポン玉よりひと回り大きいゆでたジャガイモで、食べようと思えば一口で丸のみにしてしまえる程度の大きさしかなかった。


「お兄ちゃん、食べさせて」


 史は悲しみを紛らわせるためか、起きた後でも俺にくっ付いて離れず、更には幼児化したのかと思うほど甘えて来るようになっていた。


 今も朝食だというのに俺の腕を抱きしめ、食事を待っているひな鳥のごとく大口を開けている。


 ただ、俺の袖を握りしめている手は未だ細かく震えている為、まだショックから立ち直りきれていないのだろう。


「まったく、今日だけだぞ」


「んあ」


 桐谷の表情がやや引きつっている気がしないでもないが、俺は気付かないふりをして史の口元にまでジャガイモを運んでやる。


 史がジャガイモにしっかりとかぶりついたのを確認したところで、俺は本題を切り出した。


「それで、昨日の話の続きなんだけど……連中のことで何か分かったことはないか?」


「…………」


 桐谷はたっぷり十秒ほど冷たい視線で突き刺してきたのだが、俺がじっと我慢していると、やがて気持ちを切り替えたのか、表情が真剣なものへと変わる。


 これは闇市の人たちから聞いたものだけど、という前置きをしてから桐谷の話は始まった。


「あの集団は、解放者を名乗って政府系機関を中心に襲撃を繰り返してるらしいの。聞くところによれば、いくつかの派出所を支配下に置いて、銃も所持しているそうよ」


 俺たちが見かけたのも制圧されてしまった施設のひとつだったのだろう。


 あの時に助けを求めなくて正解だった。


「驚くのは、あの組織が出来て一カ月程度しか経っていないってこと。それなのにもう100人以上に膨れ上がっているらしいの」


 ほんの数週間でそこまでの組織が生まれるものなのかと思ったが、一部の権力者が物資を独占していて、それによって自分たちは苦しめられている。


 それらを取り戻して平等に分け与えれば、今よりも生活が楽になるという思想は、追い詰められた人々にとってそれだけ甘美なものに感じられるのかもしれない。


「だから、隔離施設には絶対近づくなって言われたわ」


「……なんで?」


「多分、現時点で連中の最終目標だから。みんなが一番欲しい物を持ってる施設でしょ」


 隔離施設にはいろんなものが集まっている。


 電気は優先的に使えるし、患者を運ぶための車と燃料、マスクも防護服も検査キットも治療薬もあった。


 ルインウィルスに感染した患者というお荷物こそあるものの、それを除けば宝物庫と表しても過言ではない。


「……近くの派出所は無理、隔離施設はこれから危険になる、か」


 俺たちの身を守るだけならばある程度遠くの派出所や警察署などの政府機関へ逃げ込めばいいだろう。


 一方的な被害者であり、間違いなく保護してもらえる。


 父さんとの再会が相当先になるかもしれないというデメリットを除けば、それしかないというくらいの解答だった。


 ただ、ひとつだけ問題があった。


 それは、父さんの居る隔離施設がこれから襲撃されてしまうという事。


 もしも守って貰えなければ、母さんに続いて父さんまでも失ってしまう。


 そんなことは絶対に受け入れられなかった。


「……どうすりゃいいんだよ」


 無力感に苛まれた俺が特大のため息をつけば、心配そうな様子の史が体を寄せて来る。


 まだ、史の心はようやく出血が止まった段階なのだ。


 これ以上のショックがあれば、間違いなく壊れてしまう。


 どうしても父さんを失うわけにはいかないのに、俺は無力な高校生で、史は病弱な女の子だ。


 何も出来なかった。


「……とりあえず、あなたたちが無事だってことを知らせるのは意味があると思う」


「そうだな」


 襲撃された日に母さんが通信機で助けを求めているため、父さんにも伝わっているはずだ。


 絶対、気が気じゃないだろう。


 ただ、母さんが死んでしまったことを言うのは気が重いけれど。


「でもどうするの? 何も連絡手段がないよ」


 史の言う通り、今俺たちの手元に通信機はない。


 隔離施設であるため、公衆電話という方法もあるが、予約は再来月まで埋まっている。


 災害掲示板か政府施設にしか繋がらなくとも利用希望者は山のように居るのだ。


「誰か通信機を持ってる人に借りる」


 通信機はタクシーにも搭載されていたため、比較的持っている人が多い。


 闇市であればそういう人への伝手など簡単に見つかるだろう。


「お金はどうするの? 魚は全部物々交換に利用しているから、あいにく現金の持ち合わせはないわよ」


「そこで冷凍庫が出てくるわけだよ、桐谷」


 史は寝ていたため、俺たちの会話に取り残されてキョトンとしている。


 だが桐谷は俺の言葉の意味を理解して、さび付いたロボットのような動きで視線を冷凍庫に向けた。


「史。俺と俊彦おじさんは、買って来たって嘘をついてただろう」


 食料を買ったという嘘をつくためには、必然的にお金を家から持ってくる必要がある。


 そしてそのお金は家に持って帰る事ができないため、どこか安全な場所に保管しておかなければならかった。


「その、冷凍室の中に?」


「ああ」


 俺はその場で立ち上がると、史には玄関を、桐谷には窓を開ける様に指示をする。


 2人が指示通りの仕事をしてくれている間に、俺は桐谷に貰ったばかりのハンカチとゴーグルを装着してから冷蔵庫の前に立つ。


「行くぞ」


 女性陣がしっかり部屋の奥に退避したのを確認した俺は息を止め、禁断の扉に手をかけたのだった。 



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― 新着の感想 ―
[一言] これはシスコンの汚名はかぶらざるを得ませんよね。 w
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