第43話 食事の後の歓談は
「……そういえば、そろそろ桐谷が帰って来てもおかしくない思うんだけどな」
俺と史がこの部屋に逃げ込んでから、5時間以上は過ぎ去っている。
それに日も暮れて来たことであるし、偵察に出た桐谷が戻ってきてもいい頃合だ。
桐谷がなにかトラブルに巻き込まれたとはさすがに思わない。
なにせ彼女は長い間たった一人で逃げ延びてこれたわけだし、先ほど再会した時には肌艶もよく、健康状態は良好に見えた。
もし万が一のことがあったとしても、うまく切り抜けられるはずだ。
ただ、帰って来られるにしても今ではないかもしれない。
実際俺も何度かその日のうちに帰れなかったことを経験している。
桐谷もそういう状況に陥っているとしたら、何もせずに漫然と待つのはやめておいた方がいいだろう。
「懐中電灯とかどこにあるんだろう? あいつどうやって暮らしてるんだ?」
「パッと見ただけじゃ分からないね」
手回し式のLED電灯など、様々な方法で光を確保できていた家とは違い、この部屋にそういった類の物は見当たらない。
一応、俺が予備として電池式の懐中電灯を置いていたのだが、それは桐谷がどこかへやってしまったようだ。
「史、すまないけど棚の中とか探してくれ。俺はクローゼットを探すから」
「うん」
いくら悲しいことがあっても、生活するために必要な物を揃えなければなにも出来なくなってしまう。
腹は減るし喉も乾く。
感情を抑えてでも、俺たちは生きるために動かなければならなかった。
俺たちがそうやって夜に備えていると、ガチャガチャと鍵の開く音がして桐谷がようやく帰って来る。
「お帰りなさい」
桐谷が部屋の中に入って来た瞬間、史はいつも通り俺や父さんにするように笑顔で声をかける。
それが桐谷にとってよほど衝撃だったのか、動きを凍らせ、その場に立ち尽くしてしまっていた。
「桐谷、どうした?」
まっさきに出迎えようとする史を制し、俺が玄関先に出る。
桐谷はそんな俺に視線を送ると、小さくため息をついた。
「……別に。天津くんがシスコンになる理由が分かったってだけ」
俺を罵倒していることを怒ればいいのか、史を褒めていることを喜べばいいのか悩むことを言われ、俺は言葉につまってしまう。
「ま、まあとにかくなんだ。遅くまで出歩いて疲れただろ」
桐谷は、ゴーグルなどの備えは基本として、手にはスーパーのビニール袋をぶら下げている。
俺はいつも出迎えてくれていた母さんの真似をして、いささか生臭い感じのする袋とリュックを受け取りながら桐谷をねぎらった。
「そうでもないわ。買い物は早く終わったし、情報もすぐ手に入れられたから」
「ならなんでこんなに遅くなったんだ?」
闇市に行き、そこから隔離施設へ向かったとしても2時間程度あれば往復は可能だ。
5時間も外に居るのはリスクにしか感じなかった。
「罠を見に行ってたの」
「へ?」
思わず手の中にある生臭い袋を凝視してしまう。
パンデミック前の感性を未だに引きずっている俺としては驚きしかないのだが、罠を使って捕らえるものの中で一番多いのは……なんと、野良の犬や猫なのだ。
以前は保健所が捕らえ、殺処分をして調整していた。
殺処分される個体の9割近くがそういう野良の個体なのだから、人間が果たしていた役割がどれだけ重要なのかは想像がつく。
それが無くなって以降、犬猫は爆発的に増大してしまったのだが、いかんせん食料がない。
となれば、それらが食料の持っている人間を、はたまた人間そのものを食料とすべく襲いかかってくるのは当然のことと言えた。
もっとも人間側も食料をあまり持っていないため、それらを捕らえた後殺して食べるという選択に行きつくのも自然の流れだろう。
今や犬猫の肉は、闇市でも売っているのをよく見かける程度にはメジャーな代物と化していた。
「なに勘違いしてるの。それは魚」
「うぇあっ!? あ、ああそうか、良かった」
ほっと胸を撫でおろしつつも、二重になっている袋を開ける。
中には頭を落とされ下処理を施された小ぶりな川魚が7、8匹は入っていた。
「こんなに捕って来たんだ、凄いな」
「別に。ちょっとした仕掛けでも沢山捕れるの」
漁師や釣り人がほとんど居なくなり、川や海では魚が溢れて釣り放題だとは聞いていたが、実際こうして目の当たりにすると俺も盗むのではなく釣りをすればよかったと後悔の念が先に立つ。
「なにを考えてるのか分からないけど、そんな暗い顔をしないで」
「……ごめん、分かった」
桐谷の表情はハンカチで隠れて分からない。
それでも、ゴーグルで覆われた瞳の奥には柔らかな光が宿っていた。
「ところでそのリュックの中にあなたたちの荷物が入ってるから、広げておいて」
「ん? ああ、ありがとう」
そう言われて桐谷が買い物に行っていたことを思い出す。
ゴーグルと口元を隠せるハンカチなどが無ければ、悪目立ちしすぎてまともに外を出歩くことも出来ないのだが、その問題はこれで解決したようだった。
「今度、代金を払うよ。いくらだった?」
気遣いからの言葉だったのに、返答はため息で行われる。
意味が分からず戸惑っていると、桐谷はゴーグルとハンカチを外してからその理由を教えてくれた。
「あのね。それの代金は、あなたの物だった一升瓶のお酒で支払ったの。あなたは私に貸ししかないの。ちょっとぐらい返させて」
桐谷はそう言って唇を尖らせているが、内容は不満でなくて好意なのでなんともくすぐったい。
それにお酒は盗んだ物で、俺の物でもないのだからなおさら変な感じがした。
「手洗い済ませたら晩御飯を作るから座って待ってて」
「え?」
「私が料理するとダメなの?」
意外そうな顔をしたら、桐谷から仏頂面で睨みつけられてしまい、俺は慌てて首を左右に振って彼女の勘違いを否定する。
「違う違う。なんでそんなにしてくれるのかなって」
またも、ため息。
ただ、今度は先ほどのような不満に加え、呆れも若干混じっていた。
「私は二回もあなたに助けられたの。そのことを自覚してよ」
反論は聞かないとでもいう様に、桐谷は俺の手にゴーグルを押し付け、バスルームへと入っていく。
ぽつんとその場に取り残された俺は、軽く肩をすくめてから奥の部屋へと戻っていった。
それからバスルームから出て来た桐谷と史は自己紹介をすませ、そのまま2人仲良く晩御飯を作ってくれた。
メニューは魚肉にベランダで育てた小葱とゴマをあえた炒め物に、小麦粉と水を練り合わせ、餃子の皮の様に薄くのばしたものをフライパンで焼いたものだ。
久しぶりに食べた魚の味は、史と一緒に思わず声を上げてしまうほど絶品で、2人して夢中で貪り食ってしまった。
「ごちそうさま。魚ってこんなに美味かったんだな」
史も同意だとばかりに首をコクコクと何度も縦に振る。
お腹が膨れたことで余裕が生まれたのか、史の表情が心なし明るくなったように見えた。
「私はちょっと食べ飽きちゃったけど、美味しかったのならよかった」
食事はひとりでするのと複数人数でする――もちろん心を許せる相手であることは大前提だ――のとでは、なにもかもが格段に違ってくる。
もしかしたらだけど、俺たちとこうして雑談をしながら食卓を囲めることが嬉しいのかもしれない。
桐谷の顔も、いくぶんか安らいでいるようだった。
だから、俺は決断する。
今ならば、どれだけ悲しいことでも史は受け止められると信じた。
「なあ、桐谷。母さんはどうなってた?」




