第38話 医療廃棄物
「嘘だからっ! アイツは私を陥れようとしてるのっ!!」
千里から憎悪に満ちた視線をぶつけられ、糾弾された俺は、疲労感とでも言えばいい何かを感じずには居られなかった。
千里と俺は、ずっと長い間仲良くしており、様々な思い出を共有している。
楽しかった思い出と嫌な思い出を比べたら、圧倒的に楽しかった思い出の方が多い。
それでも、それら全てが色あせて、どうでもよくなってしまうくらい千里の言葉には失望しか感じなかった。
「安心しろよ、浦木。俺らはアイツら上級国民どもの手口をよく知ってる」
「仲間割れを起こさせて互いに潰し合わせようとするなんて、見え透いた手口ですよ」
仲間たちの言葉で、千里は露骨に安堵した表情を見せる。
「そう、ならいいの」
そもそも俺が悪なのだから、俺が言う事は全て嘘や甘言でなければならない。
俺が真実を言うのであれば、彼らの根底が覆ってしまう。
彼らの結論が先にあるのだから、俺が何を言おうと無駄なのだ。
俺たちは今ここで彼らの慰み者となって死ぬ。
それはもう、男たちの脳内では決定事項だった。
「信じないならそれでいい。いつか俊彦おじさんに会ったら聞いてみるんだな」
千里のことを頭から完全に切り捨てる。
いつか来る別れが、たまたま今だっただけ。
今から千里と俺は一切関係の無い他人だ。
「で、お前達は何をするつもりなんだよ。そこでずっと俺を見上げてんのがお前らのしたいことか?」
自分に気合を入れる目的で、金属バットを壁に叩きつける。
くわぁんと気の抜けた音がして、軽いしびれがてのひらに走った。
「騒ぐなよガキ。ビビってるのが分かんぞ」
その煽りで男たちがどっと笑いだす。
しかし時間をくれるというのならば、むしろ俺にとっては好都合だった――そう、勘違いしていた。
玄関の扉が開き、額に汗の玉を浮かべた背の小さい男が入って来る。
彼は細長い弓道用の弓と、手製の物と思しき矢が大量に詰まった矢筒を背負っていた。
「くそっ」
男たちはわざわざ俺と戦うことなど考えていなかった。
一方的に遠距離から俺をいたぶれる、弓矢の到着を待っていたのだ。
俺は慌てて階段を駆け上がると最上段の壁に身を隠す。
「ははははっ。頭出せよ、そうしたら一発で殺してやるからよ」
「ふざけろっ! 正面からやり合えない卑怯者がっ!」
俺の挑発に対する返事とばかりに矢が唸り声をあげて飛来し、深々と壁に突き刺さる。
もしも俺がこうして隠れていなかったらと思うと、全身に震えが走った。
「ま、待って! 普通に物を奪い返せばいいじゃない。私はそのつもりで――」
「いやいや、それだけで済むわけないっしょ。あいつら罪人だよ?」
千里は物を奪う為にやってきていたのだろう。
しかし男たちは違った。
物資だけでなく、俺たちの命すら奪うつもりだったのだ。
むしろそちらの方がメインであったのかもしれない。
少し考えればそういう連中なのだと気付けただろうが、今の追い詰められた千里には不可能だったのだろう。
「でもっ」
「罪人は裁かれなければいけませんからね。退いてください、浦木さん」
千里の声が聞こえなくなる。
これ以上、俺たちのことを守ろうとすると、千里の身にまで危険が及ぶことを理解したのだろう。
「さーてガキ。何もして来ないのか? ほれほれ、あがっちゃうぞぉ?」
挑発なのか、男はわざとらしく階段を踏みしめて足音を響かせている。
「来てみろ、頭をかち割ってやる!」
「ぶはっ、いいねえ~」
「ひゅーっ、こっえ~」
いくら俺が怒鳴り返したところで自分たちが絶対的に優位なのを分かっているのだろう。
男たちは盛んに俺をはやし立てて嘲笑した。
「じゃあそろそろ行くぞ~。ほら、俺の頭をしっかり狙えよ~」
男たちの足音がゆっくりと、しかし確実に迫って来る。
ほんの数分足止めできれば助かるというのに、それすら出来なかった。
もう矢で射られようが突っ込んで連中と一緒に階段を転げ落ちてやろうかとの考えが頭をよぎる。
そうすれば奴らのヘイトを俺に向けられるはずだ。
そこから少しでも長く俺がやつらのオモチャになれば、史と母さんを助けられるかもしれない。
「……よし」
俺は金属バットを握り締めて覚悟を決めると、意を決して飛び出そうと――。
「お兄ちゃんっ! 鼻つまんでっ!」
思いもよらぬ言葉を投げかけられ、一瞬頭の中を疑問が埋め尽くす。
そんな俺を置いて、史はなにか箱状の物を持って俺の傍まで来ると、その中身を階段へ向けてぶちまけた。
瞬間――。
「おえっ!」
「くせぇっ!!」
鼻が曲がるほどの悪臭が辺りに漂い始め、俺の喉の奥からも灼熱の塊がせり上がって来るのを感じる。
そんなものを目の前にぶちまけられた男たちはもっと悲惨だった。
雪崩を打って階段を転げ落ち、先ほどまで意気揚々と上げていた笑い声の全てが悲鳴に変わる。
そこまで状況をひっくり返したもの、それは……。
「それ、ルインウィルスに感染してた疑いのある人が隔離生活で出したウンチだよ! 近づいたら感染しちゃうかもねっ」
処分を先延ばしにしていた結果、一カ月以上の熟成期間を経て発酵してしまった俺の排泄物だった。
平たく言えばうんこである。
した自分自身が触りたくも無いのだから、他人ならよっぽどのはずだ。
「ざけんなぁっ!!」
あまりにも臭くて汚いが、これ以上ない鉄壁の防御方法と言えるだろう。
奴らがなんと言おうと触れないし近づけもしないはずだ。
俺は自分のずぼらさを、生まれて初めて誇らしく思った。
「暦! あんたちょっとこれはどうなの!?」
こんな時だというのに母さんは鬼のような形相で俺のことを怒鳴りつけてくる。
……ここまで臭う代物をまだ片付けずに居たなんて、母さんからすればあり得ないことなのだろう。
「ごめん、母さん。助かったんだから許して」
「いや、こんなの無理でしょ、お兄ちゃん」
「だよねー……」
悪臭は凄まじく、恐らくは壁紙を張り替えてもなお家全体に染みついてしまうだろう。
助かったは助かったが、この後で母さんからこってり絞られるのは確定してしまったようだ。
「でも良く思いついたな、こんなの」
「……お兄ちゃんなら片付けてないだろうなーって前々から思ってたんだよね」
「俺の事をよくご存知のようで……」
妹にも見抜かれるほど掃除が苦手というのは些か問題があるかもしれない。
いずれは直さないといけないなと心に留めつつ、一旦は胸を撫でおろした。
これで警察か自衛隊が来るまで持ちこたえられる。
俺はそう確信したのだが――。
「お前ら火ぃつけるぞ、準備しろ!」
彼らの殺意を、俺は侮っていた。
放火が重罪というのはもちろん分かっているだろうし、吹っ切れている連中のことだ、気にもしないだろう。
「待って、私の家が隣にあるの! そんなことしたら私の家が燃えちゃう!!」
俺の家の隣には千里の家が建っており、物干しざおを伸ばせば物のやり取りが出来るくらいに近い。
確実に燃え広がるはずだ。
千里がこうまで思いつめたのは、大切な両親が死病に侵されてしまったからなのだ。
そんな両親との思い出が詰まった家を燃やされるなど、彼女にとってどれだけ辛いことなのか、容易に想像がついた。
「アイツらを殺すことは何よりも優先される! 奴らから俺たちの権利を取り戻すんだ! その為に家くらいなんだ! 家なんかいくらでもある!」
「私たちは共にあの校舎で暮らしているでしょう。平等に、同じ場所で。あなたの家は必要ありません」
男たちにためらいはなかった。
千里の抗議など軽く無視して次々と階段下から離れていく。
間違いなく、この家を内側から燃やすつもりなのだろう。
千里の悲鳴は耳に痛かったが、もはやそれにかかずらっている余裕など俺にはない。
どうするべきなのか、どう行動したら全員で生き残る事ができるのか。
それを考えなければならなかった。




