第37話 俺の罪
もし今ここで千里が俺の味方をするようなことを言えばどうなるだろう。
恐らく目の曇った裏切り者として処分されて終わり。
そして俺のことを、仲間を買収した汚い権力者とでも言いがかりをつけて殺しにかかる。
結末は絶対に変わらない。
「私は見たわ。そいつの父親が自分の娘を診察して、私たちが貰うはずだった薬を娘に買い与えているのを」
千里もその事をよく分かっているのだろう。
感情の乗らない声で俺たちの告発を始める。
「おいおい、医者だって立場を利用して薬を横領かよ」
「私たちは診察を受けるのだってままならないというのに……。職権の乱用ここに極まれりといった感じですねぇ」
自分たちの望む証言が千里の口から語られた事で、その場にいる男たちが口々に責め始める。
平等に扱わない。
それだけで彼らにとっては最低最悪の罪なのだ。
――しかし、俺はそれに異論しかなかった。
例え俺が父さんの息子でなくとも、きっとこの考えは変わらないだろう。
なぜなら俺は、父さんの苦労を知っているから。
「ふざけんなっ! なんもしてねえてめえらが、父さんのことを語るなっ!!」
俺は激情のままにバットを男たちへと突きつけ、怒鳴りつける。
「父さんは一週間のうち6日間ずっと働き続けるんだよ。もちろん休憩だってほとんどないし、まともに眠る時間も貰えない。食事だって野菜をジューサーで砕いた味気も無い物を飲み込んで終わりだ! 休日だって呼び出されて潰れる事の方が多い!」
父さんがどれだけ人のために尽くしているか。
検査をして欲しいと言われれば検査をし、手術をして欲しいと乞われれば手術をする。
言われるがままに、患者のためならどんな要求だって呑んで来たのだ。
「てめえらがゆっくり飯食ったり眠ったり文句垂れたり女相手に腰振ってた間、父さんは自分がいつ感染するのか分からない場所でずっとお前らのために働いてたんだよ!」
人は相手の都合を考えず、いくらでも要求をしてくる。
だって自分はされる身だから、してもらう方だから、相手はやって当然としか思わないのだ。
こちらの都合などお構いなしに要求して、それが通らなければ不当だと怒る。
パンデミックが起こる前もそうだ。
検査が出来るから最大限の数をやり続けろ。
自分たちのために不眠不休で働いて、検査をやり続けて当然。
それが出来ないのがおかしいと、政治家が、マスコミが、世論が、好き勝手に騒ぎ続けた。
「それなのに、一週間にたった一度、家に帰って自分の娘とガラス越しに会うことだって許されないのか!? 月に一回、自分の娘の命を救う為に薬も貰えないのか!? これだけ他人のために働いても、それでもまだ他人のためだけに働かなきゃいけなくて、自分のために働くことは許されないのか!?」
緊急時だから特別な技能を持っている人が頼られるのは分かる。
しかし頼るのが当然というのは違う。
わざわざやってくれているのだという最低限の感謝の心だけは決してなくしてはならない。
もしも忘れてしまえば目の前に居る男たちと同じになってしまう。
自分の都合だけを考え、不都合だけを他人に押し付けて来る恩知らずになり果ててしまうのだ。
「なにが平等だよ! お前らが感染に対して何か役に立ったか!? 何か力になれる様に働いたか!? 自分の義務をきっちりこなしてから文句を言いやがれ!!」
しかし、これだけ言っても彼らには響かない、届かない。
彼らの嫌らしい笑みが深くなるだけだった。
「それが仕事だろ」
「望んでその仕事を選んだのに、忙しくなったらやめたいとかなに言ってんだ? お前がやりたくて始めたんだろうが」
「医者になった時から他人の命を救う義務があるんですよ。診療拒否は違法です。もちろん、診療対象を自分の都合で変えることも」
男たちに届かなくても、せめて千里には。
そう思いながら千里を見る。
「…………っ」
男たちが嘲笑う中、千里だけは、違った。
唇を噛み、自分の言い分が間違っていることを自覚して、悔しそうにしている。
「なら11月と12月は!? まわりの家では食料も水もなかなか手に入らなかったのに、アンタたちは飲み食いしてたじゃないっ」
2022年の11月と12月、通称地獄の二カ月は、多くの暴動が起きた上に電気ガス水道が止まり、社会インフラが完全にストップしてしまった。
もちろんその間、配給なども存在しない。
だから多くの人間が飢え死にしてしまったのだ。
「しかも私たちにしたり顔で譲って来るぐらい余裕もあった! あれはどこから持って来たのよ!! おかしいでしょっ!!」
「それは……」
俺は一瞬言葉に詰まってしまう。
この疑問に答えるのは簡単だ。
しかしそれをすれば、母さんと史にも聞こえてしまう。
俺の犯した罪がさらけ出されてしまうのは……ためらいがあった。
「ほら答えられないっ。やっぱり上級国民だから優先的に食料を貰ってたんでしょっ!」
「ちげえよっ。あれは父さんとはなにも関係ないっ」
父さんは政府に拉致同然に連れていかれ、俺たちへの補償も無かった。
だから俺は……。
「あれは……あれは……」
父さんの潔白を証明するためにはきちんと言わなければならない。
しかし俺は、どうしても真実を口に出来ずにいた。
胸が苦しい。
目の前の男たちに罵倒されるよりも、真実を知った母さんや史に軽蔑されてしまうことの方が怖かった。
「早く答えなさいっ!」
千里の詰問する声に反論するために口を開けて……でも何も言えずに閉じて、また開けてを繰り返す。
俺はこんな状況だというのに、まだ――。
「――盗んで来たんでしょう、暦」
母さんの声に、思わず顔を上げる。
階段の一番上には母さんと史が立っていて、2人ともに申し訳なさそうな、それでいて泣き出してしまいそうな、そんな不思議な表情を浮かべていた。
「かあ、さん……それ、は……」
既にバレてしまっていた。
その事で、言い訳も嘘も考えられないくらい頭の中がいっぱいになる。
「買えるはずがない状況なのに買って来たって……。ホント、暦は嘘が下手よね」
「…………」
俺は10月、テレビで東京から疎開してくる人をひき殺しまくったあの事件をリアルタイムで見てから、この世界が既に壊れていることを知った。
世界が壊れたらどうなるか、マンガ、小説、アニメ、映画、色んなもので盛んに言われている通りになるだろう。
そんな時に必要になるのはなにか。
食料と水なんて事はすぐに予想がついた。
だから俺は、他の人たちよりも早い段階で世界の崩壊へ向けて一歩踏み出したのだ。
そこからの行動は早かった。
俺はまず、大手チェーンスーパーの倉庫の住所を調べ、カギを壊して侵入し、水や食料、生活必需品を盗み出した。
そしてそれらの物資を、ルインウィルスで死んでしまった人の部屋にこっそり隠したのだ。
部屋で亡くなっている女の人の死体を扇風機で乾かして玄関先に放置するなんて悪魔のような所業もしてしまった。
きっとあの時、俺は狂っていたんだと思う。
でも……狂っていたから地獄のような世界を生き抜くことが出来たのだ。
「暦、そんな事させちゃってごめんね。でも、暦がそうしてくれなかったら間違いなく私たちは死んでいたから……」
母さんの言葉に、俺は観念して頷いた。
「……そうだよ。あの時の水と食料は、全部俺が盗んだ物だよ」
「そ、それならそれで物資を独占した――」
「千里。お前が飲み食いした物も全部そうだよ」
二カ月にわたって水と食料を融通し続けたのだから、浦木家にとって俺はまさに命の恩人だろう。
だから俊彦おじさんはあれだけ俺に感謝していたのだ。
「うそっ! お父さんは買えなかったからってなにも食べられない日だってあったものっ」
「あの状況がどこまで続くか分からなかったから、食料を少しでも長くもたせるために、時々わざとなにも持って帰らなかったんだよ」
「嘘っ! 嘘っ!!」
千里は俺の言葉を否定し続ける。
そうしなければ、千里自身も物資を独占して利益を得ていた側もなってしまうからだ。
物資の独占は、男たちにとって最大の悪であり、死に能うほどの大罪である。
千里は自らが殺されないためにも俺の言葉を嘘にしなければならなかった。




