第33話 再びの登校
俺は千里が出て行ったばかりの玄関を眺めながら母さんに尋ねる。
「やっぱり俊彦おじさんたちから注意してもらうとかしかない?」
千里の両親から説得されれば洗脳だって解けるかもしれない。
「……たぶん、無理ね」
「なんでっ?」
「洋子さんたちが隔離施設を出ることは出来ないから、どうしても面会室で話すことになるわ。そうなれば、言わされているという逃げ道が出来てしまうの」
そもそも千里の思考は現実逃避から端を発している。
逃げ道がひとつでもあるのならそれにすがってしまうだろう。
「……千里さん、どうしちゃったの?」
恐る恐るという体で史が二階から降りて来る。
俺と千里がああも大声で怒鳴り合うのは初めてのことだ。
もちろん今まで喧嘩くらいしたことはあるが、今のように殺意すらこもっている本気の怒声をあげられたことは、俺の記憶にはなかった。
「……俺もそれが知りたいよ」
この付近は都市部というほど発展しているわけでも田舎というほど過疎地域でもない。
だからこそ変な騒動が起こりにくかったと言える。
しかし、今は不吉な影が忍び寄ってきている気がした。
「千里ちゃんが信用してて、それでいて隔離施設に入ってない人が説得すればいけるかもしれないんだけど」
千里の親戚はこの近くに住んでいないはずだ。
友達は……そもそも生きているかすら分からない。
八方ふさがりとはこのことだ――。
「……居る、かも」
千里が信用しているし隔離施設に入っていない、両方の条件を満たしている人物に、俺は一人だけ心当たりがあった。
「三井先生が、学校で生活してる」
三井義友先生は、俺が高校一年の頃の担任であり、同時に同じクラスであった千里の担任でもある。
千里だって三井先生にはお世話になったと言っていたし、信用だってしているはずだ。
「でも千里ちゃんがどこに行ったのか分からないかもしれないでしょ?」
「家じゃないの?」
千里の家はこの家の隣にある。
俺も史の言う通り、千里は自分の家に帰っただけだと思っていたのだが、母さんは違う可能性を危惧しているらしかった。
俺は史と一旦顔を見合わせた後、
「出かけてくるっ」
血相を変えて自分の部屋へと駆け戻り、ゴーグルとバンダナを装着しながら階段を駆け下りる。
「家に居なかったらこの辺探してくるからっ」
「気を付けてね、お兄ちゃんっ」
「ああっ」
返事を残して家を飛び出すと、千里の家へと急ぐ。
門扉を押し開け、玄関のドアノブを掴んで勢いよく引っ張ると、カギがかかっているのかガツンッと固い手ごたえが返って来る。
「くそっ、鍵は家か」
浦木家のカギは俺も持っているのだが、取りに帰る時間も惜しい。
俺は敷地をぐるりと回り込み、目的の場所へと急いだ。
そこは、かつて桐谷桃花がこの家へ侵入するのに使った窓。
今はガムテープで応急処置が施されているだけなので、それを剥がせば容易に侵入できるのだ。
「千里、入るからなっ」
一応断わりを入れてからヒビだらけの窓ガラスに肘をつき入れると、たったそれだけでガムテープは容易く破れてしまう。
そこから手早く窓のカギを外して土足のまま家の中に入る。
リビングルームに敷き詰めてある厚めの絨毯が土まみれになりながら、柔らかく俺の足を受け止めた。
「千里! 居るんだろっ!!」
家の中に居るのならばどこに居ても届くほどの大声をあげてみたのだが、反応は返って来ない。
俺は祈るような気持ちで何度も彼女の名前を呼びながら家の中を走り回ったのだが、結局千里の姿を見つけることは出来なかった。
「くそっ!」
俺は毒づきつつ千里の家を後にすると、再び走り出した。
どれだけ走り回っても、既にどこかへ行ってしまったのか、千里の姿は影も形も見当たらない。
千里が行きそうな場所など俺には知る由も無かった。
幼馴染だというのに意外と知らない事が多くて少しへこむ。
一度隔離施設に行って、洋子おばさんにでも心当たりがないか聞こうと思ったのだが、ふとある事を思い出した。
「そういえば三井先生が親御さんが分からない子どもの居場所を一発で当てたとか自慢してたな」
相手は素行の悪い生徒だったので、ある程度行動パターンが読めていたのかもしれない。
比較的素行が良い千里の居場所も分かるとは限らなかったが、彼女の説得も任せるのだから行って損はないはずだった。
「うっし」
目的地が決まれば後は行動あるのみ。
俺は気合を入れ直すと学校への道を走り出した。
「ふぅっ……はぁっはぁっ……すー……ふぅー……」
荒ぶった肺を気合で抑えつけ、何度も何度も深く息を吸い込んで体の隅々に酸素を行き渡らせる。
そうやって呼吸を整えた俺は、勝手口を押し開けて学校の敷地内へ入った。
そこで気付く。
以前来た時は人間の気配なんてまったく感じられなかったというのに、今日は不思議と騒がしい様な気がした。
違和感を覚えつつも以前入った入口へと向かう。
そこで、俺はガラス戸についた大量の手形を目撃してしまった。
「なんだよ、これ……」
何人もの人間が、大勢で押し寄せてガラス戸を平手で叩きまくった様な感じに見える。
いや、それしか考えられない。
そういうことが起こったのなら、今の何となく感じる人の気配も頷ける。
「ヤバいか……?」
今、学校にはガラス戸を叩いて無理やり押し入る様な連中がはびこっているのかもしれない。
そうなれば俺の身が危ないだろう。
三井先生がどうなっているのかは心配だったが、優先すべきは自分の命だ。
俺は踵を返して元来た道を戻ろうと――。
「そこでなにしてるっ!」
頭上から降って来た、男のものと思しき野太い声が俺の足を縫い止める。
もちろんその声に聞き覚えは無かった。
「…………」
走って逃げるべきか、誤魔化すべきか、二つの選択肢が頭の中でグルグルと巡る。
「誰だお前はっ!」
そんな迷いを許さないとばかりに誰何の声が飛んできて俺の体を打ち据えた。
「……俺は、この学校の生徒です。ちょっと近くに来たんで学校がどうなってるかなって懐かしくなったんで立ち寄っただけです」
仕方なく振り向いて上を見上げると、20代後半くらいの無精髭を生やした男が、窓から顔だけ突き出して俺の事を見下ろしていた。
「そこで待ってろ。逃げるんじゃねえぞ」
男はそれだけ告げると首をひっこめる。
今なら誰も俺の事を見ていないから逃げる事が出来るかもしれない。
だが、そうなれば追いかけられる危険があるし、二度と学校に来ることは出来ないだろう。
落ち着いて誤魔化し、あわよくば三井先生の情報も手に入れられれば御の字というものだ。
俺はいざとなれば逃走できる様に勝手口を開けた状態にして男を待った。




