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第30話 買い物デート

 千里と一緒に入った政府直轄のスーパーマーケットは、開店しているというのに人がまばらにしか居らず、閑散としていた。


 信用という点ではもっとも高い店なのだが、如何せん闇市よりは多少割高になるからだろう。


 そんな中、俺は棚に並べられた商品……と同じ大きさに印刷された写真と値段が書かれたカードを前にして、ひたすら頭を悩ませていた。


 何故商品そのものでなく写真が並んでいるのかというと、人間が直接触ってその商品が汚染されるのを防ぐためだ。


「どうする……。俺はどうするべきなんだ……。史はどの選択をすれば喜ぶと思う? 教えてくれ、千里!」


「シスコン馬鹿。どっちでもいいじゃない」


「いや違うんだってば!」


 俺を悩ませていたのはただの砂糖だった。


 100グラム200円とかなり割高なのだが、それでも飴玉10個入り100円と比べればかなり安い。


 ちなみに甘い物が特に高いだけで、せんべいやおかきなどになると一袋20円とかなりの安価で買えたりする。


 備蓄米を使って作られたせんべいに塩で味を付けただけと、やや物足りない代物ではあるが。


「飴は安パイだけど、量が三分の一くらいになるだろ。砂糖を買って自分でべっこう飴を作ればかなり量食べられるじゃん。でも失敗のリスクがあるから怖くてさ。だから悩んでんだよ」


「あーそー」


 千里はそんなことに興味が無いのか、どうでも良さそうに商品カードを眺めている。


 ただ、彼女の手にはしっかりとホットケーキミックスのカードが握られており、なんだかんだでスーパーに来たことを楽しんでいるみたいだった。


「かなり甘味に飢えてたら砂糖直舐めでも満足できたりとかない?」


「アンタそれ史ちゃんにやらせるつもりなら本気でドン引きするんだけど」


「冗談だよ」


 半分本気だったというのは言わないで置いた方がいいだろう。


 結局俺は決めきれず、一旦結論を保留にして甘味のカードが置かれた棚から目を離す。


「どうしたの?」


「ん~、先に必要なものを買ってからにしようかと思って。千里はなんかない?」


 一瞬千里の顔が曇る。


 ここでの買い物は基本的に俺が出す。


 つまりは天津家の財布から支払われる。


 お菓子に関しては昔から貰ったりしていて抵抗が薄いかもしれないが、それ以外もとなるとそれなりの額になるため千里は遠慮しているのだろう。


「大丈夫だって。父さん医者やってるから千里ひとりくらいなんでも無いって」


「でも……」


「俊彦おじさんたちが帰って来るまで面倒みるって父さんが約束したらしいし、遠慮するなよ」


 天津家と浦木家は家族ぐるみで付き合いがある。


 母親同士、父親同士も相応に仲がいい。


 もちろん俺と千里もだ。


 そのため、こういう困った時はお互い様の精神が働くのだ。


「あれだ。筆記用具とか買ったらいんじゃね? 勉強して出世返しします、みたいな意思を見せる感じになるしさ」


 千里が現在本当に必要かどうかは知らないが、筆記用具を買っておいて損はしないだろう。


 今のご時世、0.5ミリの細さの芯を買う事は出来なくなってしまった。


 固さを保つ材料が輸入できないとかで、1ミリ以上の芯しか売っていない。


 そのため、新しいシャーペンと芯を買わなければならなかった。


「……それは、あるかもしれないけどさ」


「じゃあ決まりな」


 ひとつ約束を取りつけられれば、その後は芋づる式に必要なものを聞き出すことに成功し、俺はそれら全てを手に持って精算所へと向かったのだった。


 精算所は縦に長いコの字をしたカウンターで、内側には店員らしきおばさんが立っているだけでレジなどは見当たらない。


 ここでカードを渡して精算をし、それが終わったらカウンター奥の倉庫から商品を出してきて手渡してもらえるのだ。


「お買い上げありがとうございます」


 スーパーのロゴが入ったエプロンを着て、厚手の軍手にゴーグルと布マスクで完全防備したおばちゃんへ頭を下げ返しながら俺たちは手に持っていたカードをカウンターの上に置く。


 おばちゃんが手にした商品表とにらめっこしながら代金を計算している間、手持ち無沙汰になった俺たちは、そのまま適当な世間話を始めた。


「でもなんか安かったな」


「そうなの?」


 千里は女であるため基本的に外を出歩いたりしない。


 こういった買い物は今まで俊彦おじさんがしていたのだろう。


 実際のところ天津家でも俺が行ける時は俺が買い物をこなしている。


「前見た時の半額……までは行かないけど6、7割くらいだったよ」


「へー」


 安かったからこそ興が乗って少し調子に乗って買い過ぎてしまったかもしれない。


 千里の着替えはまだしも外出用の装備一式を新調する必要があっただろうか。


「まあ、私もパンデミック前の値段で見ちゃうから、安すぎに見えるんだけど……」


「あー、それあるよな。こんな子どもの小遣いで買えそうな値段になってると、本当にいいの? って思うことあるし」


 値段が下がったのは数カ月前のことだ。


 治安が戻って政府が店を始めたばかりの時は、パンデミック前とそう変わらない値段だったので、現金が少なく誰も買えなかった。


 その後市場に出回っている紙幣や硬貨の数を調査し、適正価格を割り出したのだ。


 そこからすると、職を無理やり作り出して国民にお金を流した今となっては値段が上がりこそすれ下がるのはなにか違和感があるのだが、俺にその理由を推測する情報はなかった。


「はい、5620円です」


 計算を終えたおばさんが、電卓を使って値段をはじき出す。


 俺に見える様に置かれた電卓には、確かに5620という数字が浮き上がっていた。


「じゃあ、これで精算お願いします」


 俺は財布から抜き出した一万円札をカウンターに置いて精算しようとしたのだが……。


「――あらあなた、これじゃダメよ。お勘定出来ないわよ」


 なんておばさんに拒絶されてしまった。


 意味が分からず俺が怪訝な顔を浮かべていると、おばさんはカウンターを離れ、奥の倉庫へと入っていく。


 それから十数秒と待たないうちに、おばさんは湯気の立っているザルを手に戻って来た。


「今はもう紙幣は使わない方向に決まったの。硬貨だったら煮沸消毒できるでしょう。それに頑丈だし」


「…………そんな事に」


 少し神経質すぎないかとも思ったが、確かに紙幣はいろんな人の手を渡り歩くうちに朽ちたり汚れたりしてしまっている。


 しかも新しい紙幣を刷って交換ができないのだから、いずれ破れたりする物も出てくるかもしれなかった。


「知らない人のために両替することになってるから、待ってなさい」


 そう言うと、おばさんはザルの中から茹った500円硬貨を取り出してカウンターに並べていく。


「一万円札一枚だと、500円硬貨10枚分と交換になるけど他には交換しないかしら?」


「はぁ!?」


 それだと半分になってしまう。


 あまりの異常事態に俺は思わず大声をあげてしまった。


「な、なんで5000円なんですか!? 俺が出したのは1万円ですよ!」


「そういう決まりだから。その分商品の値段も下げてあるのよ」


 商品が安かったのはそういう理由があったのかと得心がいく。


 しかし、半額になっているわけではないため、実質値上げと変わらなかった。


「……もしかして、薬もこんな事になってるんですか?」


「そうよぉ。政府直轄のお店では全商品が硬貨でしか買えなくなってるわよ」


「ね、値段とか分かりますか?」


 薬1週間分は今までなら2100円だったのだが、1050円になっているのか、それとも2100円のままで実質倍額なのかが知りたかった。


「ごめんなさいねぇ。私はこの店のことしか知らないから、お薬のことはちょっとわからないわ」


「そうですか……」


 もしも値段が変わらないのであれば、手持ちでは足りなくなってしまう。


 これは完全に予想外の出来事であった。


 仕方なく俺はカウンターに置かれた硬貨とカードを集め、おばさんに頭を下げる。


「すみません、ちょっとお金が足りそうにないので戻してもいいですか?」


「こちらがこのまま回収するから戻さなくていいわよ。最近変わった事だから知らない人が多くて慣れてるの」


 政府から俺たちに情報を伝える手段は少ない。


 現状ではラジオくらいだろうが、手回し発電のラジオでも持っていなければ知る事はできないし、持っていても放送を聞いていなければ意味がなかった。


「ありがとうございます」


 俺はカードをおばさんに手渡すと、お金を財布にしまってから千里と一緒に店を出たのだった。

お札というものは、実は汚れや破れがあるものは回収され、新しいものと交換されて行きます

2000円札が流通していないのも、新しいものが印刷されずに回収される一方だからですね

そんなわけで、新しい札を刷ることが出来ない以上、お札は摩耗していきますので最終的には硬貨しか残らなくなると思われます

それによりさらにデフレは加速していくでしょう

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