第29話 デートの準備?
それから俺たちは帰って来た母さんと共にどこかぎこちない会話を続けながら食事をすませ、片づけを行う。
それらが終わったところで風呂からあがって来た父さんが合流したのだが……。
「え、なにこれ」
俺たちの事情を詳しく知らない千里は疑問しか覚えなかったのだろう。
困惑した様子で首を左右に振り、部屋の隅と隅に散った俺たち家族の事を眺めていた。
「え、えっとですね。私の体が弱いから、お父さんは私に近づかない様にしてるんです」
縦に長い部屋の隅に座った史が、部屋の中央に立つ千里に向けて説明する。
だがそれでは言葉が足りておらず、千里は困惑を深めるだけだった。
「父さんは隔離施設で色々なウィルスを貰ってる可能性があるだろ。だから父さんは家の中でもマスクを基本的に外さないし、外したら一言もしゃべらない。史の5メートル以内にも近づかないし、近づくにしてもガラス越しなんだよ」
ついでに家を歩くルートも史と被らない様に気を付ける徹底ぶりなのである。
少し神経質すぎるかもしれないが、そのぐらい父さんは史を守りたいのだ。
自分の気持ちを抑えてでも、ただ史が元気で居る事を優先しているのだ。
「はい、賢志さん。お昼はすいとんね」
食卓の一番端。史から一番遠い席に座っている父さんの前に、母さんが食事の皿を差し出す。
父さんは、遠目にも湯気が立っているのが分かるほど温められたすいとんの香りを胸いっぱいに吸い込み、満足そうなため息をゆっくり鼻から出した。
「…………!」
無言のまま親指をぐっと上げて――美味しそうだとでも言いたいのだろう――母さんを褒め称えると、スプーンを使ってすくい上げ……。
「ふーっふーっふーっふーっ……」
ひたすら吹いて冷まし始める。
ただ、唾液が飛び散らない様に優しく吹いている為、多少猫舌の父さんが食べられる温度になるまで時間がかかってしまうのは簡単に予想できた。
「……ごめんなさい、ちょっと温めすぎたわね」
食事を一旦諦めた父さんは、皿の横に置いてある布マスクを装着し、史に顔を向けた。
「よし、今の時間で史の診察を終わらせよう」
「ん? まだお薬あまってるよ?」
史の薬は隔離生活にあった俺に代わり、母さんが買ってきているため、まだあと2週間分は手持ちに在った。
「そうかもしれないが、今日は千里ちゃんのために暦には買い物に行ってもらおうと思ってたんだ。ついでに買ってきてもらってもバチはあたらないだろう」
思っていたなんて言いつつ、思いついたのは恐らく今なはずだ。
以前の千里と比べれば、今の千里はあまりにも暗すぎる。
それを気づかってのことだろう。
「りょーかいっ。じゃあ準備してくるから賢志さんは庭で待っててちょうだい」
そして唐突に史の診察が始まったのだった。
父さんが猫舌で食べられないから間をもたせるために始めたんじゃないかと思うのは、俺の深読みのしすぎ……かどうかは定かではなかったが。
「史、食欲はどうだ? 体がだるいとか無いか?」
「なにも問題なしっ」
窓越しに父さんが問診を、母さんが触診や聴診を担当して史の状態を確認している間、俺と千里はぬぼーっとその様子を眺めていた。
「……診察、して貰えるんだ」
「ん~、まあ、そうだな。家族を診ることは認められてるから」
いかに医者といえど、今のご時世自由に診察を行うことは許されていなかった。
もし治療を行うとなれば、その人の所に治療を求める人たちが殺到し、容易にクラスターとなりうるからだ。
医療関係者が家族や親族に居ない一般人の場合、公衆電話を使って問診をしてもらうか役所に自分の症状を書いた書類を提出し、必要と認められた場合のみ最寄りの隔離施設で診察を受けることが出来る。
そうやってようやく医者にかかる事ができても、かなり高額な薬代を払えずせっかくの診療が無駄に終わってしまうことも多かった。
「まあ、その代わり1週間のうち6日以上はずっと働きづめなんだから、ちょっとくらいはそういう報酬が無いとな」
ついでに給料もとんでもなく安く、デフレにデフレを重ねているとはいえ、一日働いて3000円ぽっち。しかも拒否すれば逮捕、拘禁され、罰として無給で医療に従事することを求められてしまう。
働いたら地獄。働かないのはより辛い地獄。
それならばせめて家族を守る事のできる前者の方がマシというわけだ。
ただ、千里はそれらの説明を聞いた上でも史と父さんへ不満ありげな視線を向けていた。
「……千里、出かける準備してようぜ。俺、こんな時のためにへそくり用意してたんだ。ちょっとしたものなら奢ってやるよ」
「え、でも……」
「いーからいーから。てーか父さんが小遣いくれるかもだぜ。なに買うか決めとけって」
俺は千里の両肩を掴んでくるりと回してドアの方へと体を向けさせると、背中を押して部屋の外へと共に出たのだった。
「母さんお願いっ! そんなわけで軍資金ちょうだいっ!!」
上がり框で財布を手に仁王立ちした状態の母さんを、俺は両手を合わせて拝み倒していた。
俺の後方で既に母さんのゴーグルをつけ、バンダナで口元を覆い、靴を履いて待っている千里の視線が背中に突き刺さっている気もするが、そんなことよりもお金を手に入れる方が重要なのだ。
なにせ多少は残っているかなと思っていたへそくりが、甘味を少し買えば吹き飛んでしまう程度の額しかなかったのだ。
母さんを拝み倒してでもお金を手に入れる必要があった。
「あのね、暦。アンタのことだから小遣いなんてとっくの昔に使い果たしているだろうなとは思ってたけどね……」
母さんが仁王立ちしていたのは決して怒っているからではない。
あまりに潔くたかった俺に、あきれ果てていたのだ。
「お兄ちゃんかっこ悪い」
「いーのっ。これが俺なんだっ」
二階から降って来た史の言葉に開き直る事で対抗する。
気持ちカッコイイ言葉に聞こえなくも無いだろう。
「暦……。せめて千里ちゃんには見られない様にせびるんだ。かっこ悪い姿を見せたら幻滅されるからな……」
父さんはめまいを堪えているのか、片手で顔面を覆っている。
どうにも俺の行動は、ありとあらゆる方向からヒンシュクを買いまくっている様だ。
「こ、今度からそうする」
「そんなこと言ったら次の時も貰ってるって分かっちゃうでしょ……」
「うぐっ」
ため息混じりに呟かれた千里の言葉がトドメとなり、俺の虚勢は張る前から剥がれ落ちてしまったのだった。
「ごめんなさいねぇ千里ちゃん。ウチのバカ息子が幻滅させちゃって。今度からもう少し教育しておくから」
「大丈夫ですおばさん。暦にはそういうのあまり期待してませんから」
「ほら暦っ! 千里ちゃんにここまで言われて恥ずかしくないの?」
「なんかさっきからめちゃくちゃに言われてて、恥ずかしいってより虚しい……」
俺が女の子のことに関して鈍感なのは、決して俺の責任ではない。
大切な青春を全てルインウィルスに潰されてしまったのが全ての原因なはずだ。
だから俺はなにも悪くないと自己弁護して自分を立て直す。
「史! 俺の援護してくれたらお土産買ってきてやるぞ」
「お兄ちゃんはそのままが一番いいと思うよ」
世界一かわいい俺の妹から太鼓判を押してもらえれば、俺の精神は無敵状態になったも同然。
うっしとガッツポーズをしてから改めて母さんに両手をお椀にして差し出した。
「というわけでお願いいたしますお母さま」
母さんは、どこかで育て方間違えたかしら、なんて呟きはしたものの、結局特別小遣いとして百円玉三枚を俺の手の上に落としてくれる。
パンデミック前ならば小学生の小遣いかよと吐き捨てる額なのだが、通貨の流通量が少なくなることで強制的にデフレになってしまっている今では相応の額になるため、十分な金額だった。
「ひとり頭100円も? ありがと母さんっ。行こうぜ千里!」
「えっ、私の分まで? あ、ありがとうございますおばさん」
俺は礼を言ってから硬貨をポケットにしまうと、千里を急かして家の外に飛び出していった。




