第28話 孤独な千里
食卓には芋餅もどきが浮かんだすいとんのような汁物が並べられ、俺と母さん、そして千里がそれぞれの席に座っていた。
唯一史だけがリビングルームのソファに座って手を合わせている。
「なんかごめんね、史ちゃん。私のせいで」
「大丈夫だよ。たまにこういうのよくありますから」
千里は感染していなかったとはいえ、隔離施設から帰って来たばかりだ。
史にとって危険なウィルスを保持しているかもしれない。
そのため、2週間程度は史から離れて生活しなければならなかった。
当然、千里と濃厚接触を行った俺もそうしなければならないし、千里の世話をする母さんも同様だ。
「たまになのかよくあるのかどっちなんだよ」
「お母さんはたまに、お兄ちゃんはよくあるでしょ」
「……なるほど」
冗談かと思って混ぜっ返したら、意外と納得のいく答えが返って来てしまったため、思わず頷いてしまった。
「や、やっぱり私、自分の家に……」
千里は隔離施設から帰ってきてからずっと、こうしてふさぎ込んでいて、俺たちに対してもどこか遠慮がちになっている。
自分が迷惑をかけているという意識が未だに抜けないのだろう。
こればかりは時間が解決してくれるのを待つほかなかった。
「だからお前はここに居ていいんだって」
「そうそう。いずれは私の娘になるかもしれないんだから、それがちょっと早まっただけよ」
「…………はい?」
「え?」
一拍遅れて脳みそが母さんの言った言葉の意味を理解する。
母さんの娘。いや義理の娘。
つまるところそれは……。
思わず俺は隣に座る千里の方へと顔を向けると、千里もタイミングよくこちらを向く。
そのまましばし視線を合わせて見つめ合い――恥ずかしさで互いに顔を逸らす。
顔面から火が出たのかと思うほど熱い。
きっと俺の顔は真っ赤になっているだろう。
「えー? それはちょっとかわいそうだよ」
真っ先に不満を標榜したのは史で、唇を尖らせ抗議の声をあげる。
ただ、その抗議内容にいささか疑問はあったが。
「そうかしら?」
「お兄ちゃんが夫とか、千里さん絶対苦労しかしないよ」
「どういう意味だよっ」
さすがに絶対と断言されてしまうとなかなか傷つくものがある。
「だってお兄ちゃん掃除とか苦手だし」
「ぐっ」
「出した物は出しっぱなしで放置するし、嫌な事は後回しにするし」
「ううっ……」
言葉の刃がグサグサと俺に突き刺さっていく。
確かに言われた通りだったので、俺は一言も反論できなかった。
「千里さん、聞いてくださいよ。お兄ちゃんまだ隔離生活で汚したものを始末してないんですよ」
「食事前にする話じゃねぇぇっ!!」
千里は汚した物という言葉の意味をよく分かっていないようだが、つまるところ俺が出したうんこである。
もし俺がルインウィルスに感染していたら、ウィルスまみれのうんこを隔離施設で処分してくれたのだが、感染していなかったために自分で処理をしなければならなくなったのだ。
穴を掘って埋めるにもどこか遠くに行かねばならず、そうなるとでかいゴミバケツを持って移動しなければならないため、俺はついつい後回しにしていた。
中の物質は今頃発酵してダークマターと化しているに違いない。
「よ、汚した物くらいなら私が洗濯するよ?」
千里の純真無垢な瞳で見られれば、なおのこと心が痛む。
確かに未だにうんこの山が部屋の中にあるなんて知られれば、百年の恋も冷めるだろう。
「いや、俺が汚したんだから俺が処分するから……」
「そ、そう?」
「もうこの話は聞かないでくれ……」
俺がそうやって嘆いていると、
「ごめんね、千里ちゃん。やっぱりうちの息子は止めておきなさい」
なんて母さんが言ってきて……トドメを刺された俺は完全に轟沈したのだった。
「あ……えっと?」
「それじゃあいただきまーす」
「はい、召し上がれ。千里ちゃんも遠慮しないで食べて食べて」
「あ、はい。ありがとうございます、おばさん」
食卓に突っ伏している俺を無視して仲良く食事が始まってしまう。
誰も俺の味方をしてくれないのがなんとも物悲しかった。
そのままとつとつとおしゃべりを続ける女性陣の声を聞いていたのだが、ふと聞きなれた懐かしい音が聞こえたような気がして体を起こす。
「ん? 今エンジンの音がしなかった?」
「エンジン? 車なんてもう走ってないわよ?」
千里が言うように燃料が枯渇している為、全くと言っていいほど車が使われることはない。
しかし、わずかながら使われる場合もある。
政府機関だけは大豆から作ったバイオ燃料を使ってディーゼル車を動かしており、それを使って隔離施設へ患者を運んだりするのだ。
それからもうひとつ。
「お父さんっ!!」
ガバッと史が勢いよく立ち上がる。
史の言う通り、父さんがこの家に帰って来たのだ。
医療関係者は基本的に休みなく働かせられるが、最近は一週間に一度程度は家に帰宅することを許される。
ただ、治療を望む者も多く居て、彼らは自分や家族のために医療従事者の迷惑も顧みずにやってきたりする。
そういう者達から守るために、出勤や帰宅は護衛付きだったり車による送迎が行われているのだ。
「史、おすわり! ステイ!」
「犬じゃないもんっ。お兄ちゃん、そういうとこだぞ」
「うっせい」
暗くなった千里の分も明るくなってやろうと、わざとおどけてみせる。
たぶんだが、史もそう思っているから俺をネタにしてくれているのだろう。
そうやってふざけている合間に扉がガチャガチャと音を立てはじめる。
どうやら俺の聞き間違いではなかったようで、珍しくも父さんがこんな時間に帰宅したのだ。
「ほら、暦も史もふざけてないで早く食べなさい。私はお風呂沸かして来るから」
家に帰ったらまず全身を洗浄する。
そうやってウィルスを洗い流してからじゃないと家の中で生活することもできない。
特に史の居るこの家では徹底されていることだ。
母さんが食事を切り上げパタパタと足音をたてて玄関先へと向かう。
恐らくは二人で会話しつつゆったりと用事を済ませるに違いない。
俺たちが父さんと話せるようになるのは少し時間がかかるだろう。
「……仲、凄くいいんだね」
「ん?」
千里が小さな声でポツリとこぼす。
「おばさんとおじさん」
「……なんで?」
「声が、嬉しそうだった」
いつも聞いている俺からすれば、そんなものだろうかと思う程度でまったく認識できないが、千里がそう感じたのならそうなのだろう。
「……まあ、こうなってからだいぶ仲良くなったとは思う」
パンデミック前と比べてなんとなく両親の距離が近くなったことは感じていた。
いや、両親だけではなく、家族の絆もより固くなったように思う。
他人が信じられない分家族に向いたのかもしれない。
「昔っからお母さんたちはラブラブですよ」
「……ラブラブとか言うなよ」
多少は耐性がついたものの、両親がいちゃついているのを想像するのはさすがにキツイ。
「千里さんの方はどうだったんですか?」
「私の?」
千里は少しだけ考えるような素振りをみせてから短い吐息を吐き出した。
「お父さんもお母さんも、日々に追われてあんまり余裕が無さそうだった、かな。会話とかどうだったかなぁ。思い出せないや」
俊彦おじさんと洋子おばさんがどんな毎日を過ごしていたのか俺は知らない。
だけど、俺だから断言できることもある。
「千里。2人は絶対お前のことを大切に想ってたよ」
「……そう、かな」
「ああ」
千里自身を頼まれたことは秘密にしておいた方がいいだろう。
俊彦おじさんが俺に千里のことを頼んできたのはそれだけ生きて戻れないと感じているからだ。
それを千里に悟られたくはなかった。
「食料を手に入れるために俺と俊彦おじさんってよく一緒に出掛けてただろ」
「そうだったね」
「その時さ、俊彦おじさんはずっとお前と洋子おばさんのことばっかだったからさ」
「そう……でもそれなら……」
千里の顔が悲し気に歪む。
「もっと一緒に居て欲しかった……」
ふと、男性は物を与えることで、充足させることで愛情を表そうとするが、女性はそんなものよりも一緒の時間が欲しいのだ、なんてなにかで見かけた言葉を思い出してしまった。
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