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第27話 抱擁

 俺は千里の家の玄関を持っていた鍵で閉めると、門扉のところで待っている桐谷の方へと振り向いた。


「それじゃあ、証拠は全部消した?」


「たぶん。掃除しただけだから、もしかしたら気付かれるかも」


「そこは俺が掃除したって誤魔化すよ」


 あれから数日間、桐谷は千里の家で過ごした。


 そして今日、千里の退院に合わせて件の倉庫へと移動する。


 これで彼女は堅気の生活とはお別れだ。


 他人の死骸にすがり、遺されたものを漁って生きていく。


 これは話していて分かった事だが、彼女は俺と違ってまだ普通の倫理観が残っている。


 そんな彼女からすれば、間違いなくそういった行動は辛いだろう。


 だが、生きていくためにはやらなければならないのだ。


 選択の余地はなかった。


「……じゃあ、大丈夫だと思う」


 桐谷は曖昧に頷きながらリュックサックを背負い直すと、寂寥感に満ちた視線を向けて来る。


「……ありがとう。あなたたち家族には、とっても助けられた」


「まあ、そうだな」


「謙遜しないの?」


「事実だし。大いに恩に思ってくれ」


 くすっと桐谷が笑みを漏らす。


 俺が湿っぽいのが嫌いなので冗談めかして言ったのを分かってくれているようだ。


「ええ、恩に思ってるから……全部が終わったら恩を返しに来るね」


 だから死なないでね。そんな言葉が、彼女の瞳から続いて語られる。


「その時はなにか甘いお菓子にしてくれ。史が喜ぶ」


「……そのシスコン治さないと女の子に嫌われるよ」


 俺のはシスコンではない。


 たんなる家族愛だ。


 こんな世界だからこそ信じられる人を出来る限り大切にしているだけ。


「シスコンじゃねえし……」


 もちろん、その延長線上に桐谷も追加されている。


 きっとそれは分かってくれているだろう。


「んじゃ」


 退院の時間が迫っているため、俺は片手をあげて別れを告げると、隔離施設へと体を向ける。


「待って」


「ん?」


「最後にもう一回だけ顔を見せて」


 桐谷が言っているのは、ゴーグルとハンカチの下にある俺の素顔のことだろう。


 千里の家で見つけた時は素顔のままだったが、その後の俺はほとんどの場合で口元をハンカチで隠していた。


 桐谷からルインウィルスを貰うことはないと分かってはいても、それ以外のウィルスに対して防備を固めなければならなかったからだ。


「……別にイケメンでもないぞ」


「分かってる」


 そんなに即答しなくてもいいじゃないかとわずかに凹んでしまう。


「恩人の顔を忘れない様にしたいだけ」


「……じゃあ、もう話すなよ」


 分かり切っている確認をした後で、俺はゴーグルとハンカチを取って素顔を晒す。


 桐谷はそんな俺の顔を網膜に刻みつけようと、食い入るように見つめて来る。


 俺たちは目を合わせたまま、ずっとお互いの顔を――。


 ふっ……と、吐息の洩れる音が耳元で聞こえ、そうなってようやく俺が桐谷に抱きしめられていることに気付く。


 俺の人生においてこんな事をされたのは、史と母さんと父さんと幼稚園児の千里くらいだ。


 つまり、ほぼ家族と言えるような人からだけで、他人にカテゴライズされている人からされたのは初めてと言える。


 柔らかいとか温かいとかいい匂いがするとか胸ないなとか色んな思考が頭の中を駆け巡った結果、俺の脳はオーバーヒートを起こして機能を停止してしまう。


 そんな俺のことなど知らないとばかりに、桐谷はかっちこちに固まった俺の耳元で「またね」とだけ囁くと、素早く体を離して逃げる様に走り出してしまった。


「……………………またねって、次どんな顔して会えばいいんだよ」


 たったひとり取り残された俺が、ようやくそれだけ絞り出せたのは、かなりの時間が経ってからだった。






「はーっ、ぜーっはーっ……えほっ!」


 無駄に潰してしまった時間を取り戻すため、全力疾走を続けた結果、俺はなんとか千里の退院時間よりも早く、隔離施設へたどり着くことが出来た。


 前回のような連中が待ち構えている可能性もあったため、警戒して裏門の方へと回ったのだが、今日は大丈夫な様だった。


「あまり咳はするなよ」


 ガスマスクを被っている為以前と同じ人なのかどうかは分からないが、裏門を守っているガタイのいい自衛官が警告してくる。


 俺は片手をあげて謝意を示し、大きく何度も呼吸を繰り返して息を整えてから要件を切り出した。


「浦木……千里さんの引受人です」


「ああ、退院か。良かったな」


 いささか無粋な感じのする自衛官であっても思わず付け加えてしまうほど自分の足で歩いて退院することは珍しい。


 ほとんどの人が出てくる時は死体袋に入れられ、特殊な火葬場へと送られてしまうからだ。


「はい。正門は変な人たちが居たらと思ってこちらに来たんですが……」


 俺が変な人達と言った瞬間に、自衛官の口から特大のため息が飛び出した。


 この反応から察するに、まだ悩まされ続けているらしい。


「それは正解だったな。最近は騒ぐと対処されるからって無言で正門前に居座ってるよ」


「あー……」


「待ってろ、こっちに呼んでやる」


「ありがとうございます」


 俺のお礼の言葉に頷きつつ、自衛官は無線を使って中の誰かと連絡を取る。


 それから千里が裏門にやってくるまで10分とかからなかった。


「千里……よかった」


 久しぶりに千里の姿を見て、俺は思わず安堵のため息を洩らす。


 彼女は口に紙製のマスクを着けて俯いてこそ居るものの、体調が悪いといったことは無さそうだった。


「変な連中に絡まれる前に帰るんだな」


「はい」


 自衛官の言葉にも千里は反応を見せず、ただ黙ってつっ立っている。


 俺はそんな千里の手を取ると、多少強引に引っ張り歩きだしたのだが、千里はそれでも無言でされるがままになっていた。


 ある程度の距離を歩き、隔離施設から十分に遠ざかったところで足を止めて千里の様子を窺う。


 千里の顔は終始暗く、この世の終わりであるかのように虚ろな瞳をしていた。


 理由は分かっている。


 彼女の両親がルインウィルスに感染してしまっているからだ。


「千里……その、さ。これからのことは聞いてるか?」


 千里の首がこくんと縦に振られる。


「俺と史で客間を掃除して使える様にしたからさ、お前の部屋にしてくれよ」


 再び、首肯。


「ああ、でも荷物は運ばないとな。いくらでも俺が手伝ってやるからなんでも言えよ」


 また、首肯。


 千里は言葉を忘れてしまったかのように、ずっと言葉を発しなかった。


「千里」


 俺は未だ繋いだままだった手に力を込める。


 言葉が無理ならせめて何か反応をと思ったのだ。


 俺が今千里に何を言ってもまともに受け入れてもらえないだろう。


 むしろ反感を買う可能性すらあった。


 何故なら俺の両親はふたりとも健在で、彼女の両親は死の瀬戸際に立たされているからだ。


 あまりにも立場が違い過ぎた。


「特別必要なものとかあるか? 多少は小遣いが残ってるから買ってやれるぞ」


 そう言った途端、急に手が振りほどかれ――熱い塊が、俺の胸の中に飛び込んで来た。


「――ひとりに、なっちゃったよう……」


 押し付けられた顔は見えないが、彼女が涙を必死にこらえている所は容易に想像がついた。


「ぐすっ……こよみぃ……」


 目の前にある千里の頭は小刻みに震え、彼女の両手は俺の背中に回される。


 こうして女の子に抱きしめられるのは本日二度目であったが、甘い一回目に比べ、こちらはあまりにも痛かった。


「千里。……俺は居るから」


 慰めの言葉なんてどう言えばいいか分からない。


 だからせめて千里が寂しくない様にと気遣う事しかできなかった。



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