第25話 なんでもはしないけど
「はい……」
「ごめんなさい」
俺たちが謝罪して黙ったのを確認してから、母さんは「それで?」と理由を説明するように促して来る。
俺は素直に事情を説明しようとして――確信した。
妹に、妹自身の下着をねだる兄。
真実を話さなければ俺は社会的に死ぬ、と。
「母さんごめんなさい千里の家に衰弱してる女の子が居たから助けてあげたくて史に余ってる衣類を貰おうと思ってました」
「そうだったの!?」
妹よ。それ以外で何のためにこの兄が下着を欲しがると思っていたのだ。
なんて聞いたら絶対に史の口から出て欲しくない単語が出て来てしまう可能性が高かったので、それは聞かないでおいた。
「あらあら……それってもちろん千里ちゃんではないのよね?」
「不法侵入してた浮浪児、かな。以前ぶつかって……」
まずいことを思い出してしまい、説明が途中で止まってしまう。
桐谷桃花はルインウィルスの不顕性感染者とはいえ、俺が隔離せざるを得ない理由になった少女だ。
そんな桐谷と接触した挙句にこうして不用意に家の中で騒ぐのは最悪の対応だと言えた。
「……ごめん、母さん。俺もっかい隔離されないと」
不顕性感染者だからルインウィルスに感染することは無いのかもしれないが、前回は念のために隔離したのだ。
今回もそうするべきだろう。
「どうして?」
「千里の家に居たの、例の脱走した患者なんだ」
これから俺が取るべき行動は、桐谷に荷物を届けた後、この家の掃除をして回って体を洗ってから再び隔離生活に戻る事だ。
そう考えていたのに……。
「それって桐谷桃花っていう、不顕性感染者の女の子のこと? なら自主隔離はしなくて大丈夫よ」
「え?」
早々に出鼻をくじかれてしまった。
俺の顔がよほど間抜けだったのか、母さんはぷっと噴き出すと、手をパタパタ振りながら説明してくれる。
「不顕性感染者の体内でウィルスは増殖できないの。だから感染の心配は絶対にないのよ」
「……で、でも俺がぶつかった時は隔離されたよね?」
それで俺は退屈極まりない2週間と追加の数日を過ごしたのだ。
感染の危険が完全にゼロならば、俺が隔離される必要はない。
「それは脱走したばかりだったからよ。体中にルインウィルスが付着してただろうし、呼吸を介して鼻の粘膜に付着した大量のルインウィルスを人に感染させてしまうかもしれなかったの」
「ああ、だから」
俺は桐谷に思い切りぶつかってしまった。
その際、彼女の体に付着していたルインウィルスが俺の体についてしまった可能性があったから、隔離せざるを得なかったのだ。
「もうあれから2週間以上経ってるから……桐谷さんだっけ? あの子に危険性は無いわよ。だから外出禁止令も解除されたでしょ」
「それなら確かにルインウィルスの危険性は無いかも」
「どういうこと?」
そこで俺は桐谷の現状を、包み隠さず全て話したのだった。
「……なるほど、それは別の危険性はあるわね。お風呂に入らせたのは正解だわ」
人間は常に皮脂を分泌し、肌は湿って一定の温度を保っている。
それは人間が生きる為であるが、同時にそれらは特定の生物にとって格好の餌と住処を提供することと同義。
数千年前までならいざ知らず、現代の人間は、定期的に風呂に入って体を洗浄しなければ生きていけない体になってしまったのだ
「なにか変な臭いがしてたのはそれが理由だったんだ……」
「え、俺そんなに臭いか?」
扉越しに話していただけで気付かれてしまうなんて、史は相当鼻がいいのだろうか。
「窓開けてたの」
言われてみれば玄関先にシーツを置きっぱなしにしており、史の部屋の窓は玄関の近くにもある。
それで臭ってしまったのだろう。
「というかお兄ちゃんさー、言ってくれれば普通に予備をあげたのに」
「すまんすまん。でも外出禁止令出るくらいの人を匿うなんて問題あるからさ。だったら黙っておいて、俺一人で勝手にやったってことにした方がいいかなって……」
言い訳を連ねていくごとに扉の向こうで怒気が膨れ上がっていく。
これは恐らく除け者にされてしまったとでも感じて怒っているのかもしれなかった。
「あー……後で何か言うこと聞くから許してくれないかな?」
「……例えば?」
基本的に史は甘えこそするものの、物や行動を要求してくる事は非常に少ない。
具体的に何をするのかと言われれば、全く想像がつかなかった。
「……ノートパソコンを充電してアニメとか映画を視る、とか」
「それはお兄ちゃんがして欲しいことでしょ。というか充電は私の仕事だから取らないで」
発電機を漕いで充電するのはもはや史の趣味と言っても過言ではない。
俺も隔離生活中は、体を動かせる上にパソコンが使える様になるとあって、必死に漕ぎまくっていたから気持ちは分かる。
「な、なら肩たたきとか……?」
「小学生じゃないんだから……悪くないかもしれないけど」
「ほら、そんなことよりも早く準備しなさい。お風呂が長すぎるとのぼせちゃうわよ。体力が落ちてる時の長湯は危険なんだから」
「ういうい」
とりあえず俺がどんな謝罪をするのかは置いておくこととなり、家族全員が桐谷の救助のために動くこととなった。
「おーい、着替え持って来たから置いとくぞ~」
俺はコンコンと風呂のくもりガラスを叩いて中で待っていたであろう桐谷に合図を送る。
すると、すぐさま返答があったのだが……。
「少し、遅くなかったですか?」
ずいぶんと不機嫌そうな声音であった。
確かに色々と準備をしてきたため多少時間はかかったが、遅すぎるということは無いはずだ。
「食べ物とかも用意してたんだよ。そういうの無しで、着るものだけ用意してきた方が良かったか?」
「えっ!?」
「なんで驚いてんだよ」
「…………食べ物をくれるなんて思いませんでしたから」
確かに今のご時世、食料はかなり貴重だ。
一時は食料のせいで殺し合いまで起きてしまった。
ただ、今はその状態からだいぶ立ち直っている。
ずっと面倒を見るようなことは出来ないが、数日分を分ける程度なら可能だった。
「まあ、俺の明日の分だよ。俺たち家族の、か」
俺は明日一日全食抜くつもりだったのだが、母さんも史もそれを許さず、結局は三人が少しずつ出し合うという形に収まった。
そうやって捻出した瓶詰一本分の豆を煮てお粥状にしたものをタッパーに入れて持って来たのだ。
ちなみに味はそこそこなので、見た目が多少悪いことには目をつぶってもらえるだろう。
「……あの、なんでそこまでしてくれるんですか?」
彼女の声が少し湿っぽい気がするのは、浴室に居る事が原因ではないはずだ。
この世界は辛いことが多すぎる。
それを誰よりもよく理解しているからこそ、俺たちの施しに対して戸惑いを感じているのだろう。
ただ、俺たちも別に善意だけでこんな事をしているわけではない。
桐谷が誰よりも不運な目に合っていることを、俺たちは父さんから聞いて知っているからだ。
「君が出て来たら話すよ」
俺はそう告げると、ガラス戸から離れてキッチンへと向かう。
彼女が出て来た時、温かい料理を口にできるよう準備するために。




