第24話 パンツ、借りてもいいかな?
桐谷は多少ごねたものの、絶対に通報しないなどの約束をした結果、ようやくお風呂に入ってくれた。
他人の家で勝手に眠るのはよくてお風呂に入るのはだめとはなかなか変わった価値観を持っているのだなと思ったのだが、彼女によればボイラーの音で誰か居るとバレるのが嫌だったらしい。
実際それは成功しており、俺を含めた全員が気付いていなかったので正しい判断だったのだろう。
「あのさー、待ってる間勿体ないし、布団のシーツとか洗濯しなきゃいけないから一旦家に帰るよ」
風呂場のガラス戸越しに声を投げかけると、ガタガタ慌ただしい音がしてから動きが止まる。
大方、俺のことを止めたいのに自分が裸だから外に出られなくて困っているのだろう。
ちなみに彼女の体つきは千里と真逆の方向性で、史と同じく壁とかまな板とか洗濯板とか龍驤とか言われるタイプに属している。
見ても大してなんとも感じないと思う、たぶん。
「ま、待って。私……」
「だから、約束は守るって言ってるだろ。いいから言うこと聞けよ」
さすがにここまで信用されないのは少し腹が立ったので、口調が荒くなってしまう。
「だいたい前ぶつかった時、君に使い捨てマスクをあげたんだぞ。今通報するんなら、そういうことするはずがないだろ」
以前会った時は、彼女のことを何も知らなかったからこそやってしまったのだが、それは考慮に入れない事にする。
「とにかく大人しく風呂に入っててくれ。着替えと食事、持ってくるから」
返事は無かったが、お湯を汲んで体にかける音が聞こえて来た為、恐らく納得したのだろう。
それから俺は、異様に臭いシーツを回収して丸めて小脇に抱え、窓を開けて換気をしてから千里の家を後にした。
俺は一旦生物兵器を玄関の脇に置いてから家に入る。
そのまま階段を上がって自分の部屋へと直行し、机の引き出しを開けた。
色んな小物にまぎれ、非常用に取っておいた乾パンの缶詰が鎮座している。
中の氷砂糖を史にあげることを予定していたのだが、今は非常時なのだ。
本当に必要な人にこそ渡るべきだろうと判断し、缶詰を取り出して机の上に置く。
「……これ一個じゃ足りないよなぁ」
缶詰一個では、一食分しかない上に栄養も補給できない。
桐谷がこんな昼間から眠っていたのは、ほとんど何も食べていないから動きたくてもほとんど動けなかったという事情があったようだ。
「まあ、俺の配給を回してやるか……」
幸い俺は一日食べない位で倒れるような状態ではない。
豆の瓶詰一個を桐谷にあげたところで問題はなかった。
「あとは着替えっと……」
俺のタンスから適当なTシャツとジーンズを引っ張り出して缶詰の横に並べたところで、非常に重要かつ大切な事に気付いてしまった。
「あ……下着……」
桐谷は曲がりなりにも女の子である。
男物の下着を渡されて喜んで着るはずがない。
だったら千里の予備をとも考えたのだが、あいにく千里の持っている予備の下着の在りかなど知る由も無かった。
……ついでに上については用意しても着ることはできないだろう。
しばらく俺は頭を掻きながら悩み、史に頼るしかないという結論に達した。
多少大きさは小さいかもしれないが、履かないよりはマシだろうという理由からである。
「ふ~み~」
俺は自分の部屋を出ると、隣にある史の部屋の扉を叩く。
ウィンウィンと俺から返還された発電機を漕ぐ音が止まり、軽い足取りが近づいてくる。
「あっと。今俺汚いから開けないで聞いてくれ」
「……うん、分かった」
シーツからうつってしまったのか、衣服からはあのすえた臭いがほんのりと漂ってきている。
それに加え、不顕性感染者とはいえ、ルインウィルスを持っているかもしれない相手と接触したのだ。
念のために史とは直接対面しない方がいいだろう。
「それでな、史」
そこまで言いかけたところで気付く。
なんと言えばいいのだろうか、と。
必要なのは余っている史の下着だ。
だが、妹に下着をくれなどというのは完全に変態の所業だった。
「なに?」
「…………」
事情を説明しようか迷ったが、曲がりなりにも桐谷桃花の存在は、外出禁止令が出されるほど危険視されているのだ。
そんな彼女を匿ったとなれば、相応の罪に問われる可能性があった。
俺はどうするべきか一瞬迷ったが、結局話さない事を決める。
「史。申し訳ないんだけど何も聞かずにお前の下着を俺にくれ」
扉の向こう側から、どんがらがっしゃんと愉快な物音が聞こえて来る。
恐らく俺の言葉に驚いて後ずさりしたあと何かに蹴つまずいてそのまま転んでしまったのだろう。
足を捻ったり頭を打ってないか心配になる。
「ま、待ってお兄ちゃん! 今なんて言ったの? なんかもの凄いことが聞こえた気がしたんだけど!?」
「…………気のせいじゃないぞ。ものすごくアレな頼みに聞こえるが、察して欲しい。俺は史の下着が必要なんだ。それも今すぐ!」
「ふえぇぇぇぇぇっ!?」
急がなければ桐谷が風呂からあがってきてしまう。
その時になっても着替えが無ければ色々と大変なのだ。
ほとんど初対面の女の子に全裸の状態で家の中を徘徊させるなんて変態を通り越して鬼畜でしかない。
「頼むっ!」
史の沈黙がとても痛い。
しかし、俺は正しいことをしているのだ。
耐えなければならなかった。
「…………あ、あのさ」
永遠とも思える沈黙ののち、ようやく史が言葉を返してくれる。
「うん」
「わ、私の下着でなにするの?」
「着るに決まってるだろ」
さすがに妹の下着を顔からかぶって正義の味方になる趣味は無い。
そんなのは映画と漫画の中だけで十分なのだ。
「き、着るんだ。ふーん、へー……」
史の声がちょっとだけ震えている気がする。
確実に色々と誤解されてしまっているだろう。
だが、真実を喋るわけにはいかない以上、我慢するしかなかった。
「そ、そういうのってさ」
「ああ」
「あの……えっと……その、ね?」
「うん」
相当言いづらいのか、史は何度も言葉に詰まっていたが、やがて深呼吸をひとつしてから、
「し、使用済みの方がいいのかな?」
なんて聞いてくる。
今度は俺の方が後退る番だった。
まさかあの純真無垢な史がそんなことを言うなんて、というか知っているなんて、俺はどうしても受け入れることが出来なかった。
「誰だっ! 俺の史にそんな事を教えたヤツは!! 史っ! 今すぐそいつの名前を答えろっ!」
「答えるのはお兄ちゃんだからねっ」
「い、いやっ、そんな邪な情報を史に教えた奴を処刑する方が先だっ!!」
「誤魔化さないでっ」
これはさすがに譲れなかった。
史は今でこそ高校1年生の年齢だが、パンデミックが始まる前は中学校三年生だったのだ。
つまり、義務教育中の子どもである。
そんな子どもの史にイヤらしい情報を吹き込んだ野郎は万死に値するのだ。
「いいか、史。史はとっても可愛い女の子だから、世の野郎どもはみんな史にイヤらしい話を聞かせて反応を喜ぼうって考えてやがるんだ」
「話をそらさないでっ。本当は使用済みのが欲しかったんでしょ? ほ、欲しいなら欲しいって言えばいいのにっ」
扉を挟んで、俺と史は久しぶりに喧嘩を始めてしまった。
しかし、そんな風にわーわーキャーキャー騒いでいれば、当然のように騒音を迷惑に思う人がいるわけで……。
「そんな大声出してっ。2人とも静かにしなさいっ! 近所迷惑でしょっ!!」
ドスドスと足音を立てて上がって来た母さんに特大の雷を落とされてしまったのだった。




