第22話 お預かりします
俺が通されたのは校長室を改造された面会室で、縦長の部屋を透明なプラスチック製の板で区切り、奥側に患者が、手前に面会者が入り、板越しに話しをする造りになっていた。
「久しぶり、父さん」
「ああ。直接声を聞くのも二週間ぶりか?」
「うん」
久しぶりに会った父さんは、まだ勤務の途中なのか全身を包むビニール製の防護服を着て、一斗缶を透明にしたような形のヘルメットを頭からかぶっている。
着ているだけで相当に熱いのか、玉のような汗を額にいくつも浮かべていた。
「ありがと。検査とかねじ込んでくれたんじゃないの?」
「いや、そうでもないぞ。検査自体はまだ余裕があるくらいだ。きついのは手術だな」
「へぇ~」
「ちっさいマジックハンドみたいなのがついた管を肺の中に入れて、腫瘍を少しずつ切除していくんだ。他にも針みたいな大きさの掃除機で吸い取ったりするんだが、これが神経を使ってなぁ。それにいくつ取っても次から次に発生するからいたちごっこで……」
愚痴に近いことを言っているのにも関わらず、父さんの瞳は少年のようにキラキラと輝いている。
いくら大変でも、無駄に思えても、それでも続けていれば命を救えると信じているからだろう。
「……っとすまんすまん。あんまりこんなの興味ないだろう?」
「そんなことないって。なんか、父さんが凄いんだなって実感できて嬉しいかな」
そう言ってしまった後に、ずいぶんとこっぱずかしい内容だったことに気づいて視線を逸らす。
ただ、それは本心だったため、否定はしなかった。
「いや、お前からそう言われるとなんかくすぐったいな」
「…………」
パンデミックが起きてから、父さんと会話する機会はずいぶん減った。
しかし、会話の内容は……なんというか、心の奥深くにあったものをやり取りするようになったと思う。
「よ、よし、それじゃあ父さんはまだ手術があるから行かないといけないんだ。荷物はいつも通り出てすぐ左にある――」
「分かってる」
「あと~……お前に用事があるって浦木さんが言っててな。父さんが出たら次来ることになってるから」
「浦木って……俊彦おじさん?」
父さんが浦木と呼ぶのはただ一人。
千里の父親である浦木俊彦のことだ。
彼と俺は比較的仲が良く、特に水道や電気といった社会インフラが止まった地獄の2か月間は、2人であちこち駆けずり回って食料や生活必需品をかき集めたものだ。
「そうだ。お前に話したいことがあるって言っててな。今日暦に来てもらったのはそういう事情もあったんだ」
「ふーん……」
俊彦がここに居るという事は、彼は既に感染してしまったことになる。
なんとなく察してはいたものの、その証拠を目の前に突きつけられてしまったら、やはりショックだった。
「そんな顔するな。いい話もある……っと」
「ん?」
こんな状況でいいことなどあるのだろうかと思わないでもないが、父さんは気休めを言うタイプではないので本当なのだろう。
「分かった。楽しみって言うと語弊がありそうだけど、とにかく期待してる」
「ああ、そうしてくれ」
父さんは片手をあげて「それじゃあな」と言い残し、部屋を出て行ったのだった。
それから俺はしばらくその場でぼーっとつっ立っていると、奥の扉が開いて真っ白な患者衣を着た男性が入って来る。
男は少々痩せぎすで目つきは鋭く、髪の毛はかなり短めに切りそろえられている。
雰囲気的には刑事ドラマの敏腕刑事として出てきそうな感じの人なのだが、そんな外見とは裏腹に、意外と繊細で細かいことにもよく気が利く性格をしていた。
「暦くん、今日はわざわざ来てもらって悪かったね」
「いえ、とんでもないです。俊彦おじさんは……お元気そうっていうのはなんか違いますかね」
ここで何もつけずに居るという事は、俊彦おじさんは確実にルインウィルスに感染してしまっている。
元気そうに見えても実際にはウィルスが体を蝕んでいっており、刻一刻と死に近づいているのだ。
「いやまあ、元気は元気だよ。フェーズ2は基本的に自覚症状はないからね。だから自分のことは自分でしないといけないんだ」
「そうなんですか」
医療従事者の数はとにかく足りていない。
掃除洗濯といった雑事までさせていたら医療崩壊を起こしてしまう。
だから隔離患者同士が持ち回りでそういった雑事を片付けているらしい。
「うん、だからあまり長い時間空けるわけにもいかなくてね。手短に言わせてもらうと、千里のことを頼みたいんだ」
「頼みたい、とは?」
「あの娘は陰性だった」
それを聞いた俺は、思わず大きなため息をついてしまう。
もちろん、心の底から安心したからだ。
「良かった……」
「もう一度検査を受けなければならないけれど、たぶん感染していないそうだよ。私と洋子さんは陽性だったけどね」
その説明を受けて全て合点がいった。
浦木家の父母は、ふたりとも死病に感染してしまっている。
千里だけがただひとり、取り残されてしまうのだ。
放火までされかけたあの家に、たったひとりで住むのはかなりの危険が付きまとうだろう。
「分かりました、いいですよ」
俺はすぐさま快諾したのだが、何故か俊彦おじさんの顔は暗いままだった。
「暦くん、すまないね。今まで散々君に頼ってばかりいて、また更に頼るだなんて……」
「いえいえ、お互い様じゃないですか。俺も千里には色々お世話になってますし」
「そんなわけないじゃないか……」
俊彦おじさんは、ふぅっとため息をつくと両手で顔を抱える。
こちらとしてはそんなに気にして欲しくないのだが、生真面目すぎる性格ゆえに気にしすぎてしまうのだろう。
「暦くんのお陰で私たち一家は生きて――」
俺は無言で手をあげ、俊彦おじさんの言葉を遮った。
俺は自分に出来ることを精一杯やっただけで、おじさんが気にする必要はないと何度も言っているのだが、大人が高校生に借りっぱなしというわけにもいかないのだろう。
「やめましょうよ。あまり楽しい話でもないですし」
「……とにかく私たちは君に返せない位大きな恩がある。それを申し訳なく思っているんだ」
周囲には気まずい空気が流れ、どちらともにしばらくの間口を閉ざした。
そうやって幾分間を外した後、本題に入る。
「……それで、千里は俺の家で暮らすってことでいいんですよね?」
「暦くんたちがそれを許してくれるのなら、是非お願いさせてくれないだろうか」
俺は当然問題はない。
……特定箇所の発育が良すぎる幼馴染と一つ屋根の下暮らしていけるということに下心がないわけではないのだが、今はそれよりも考えるべき別の問題があった。
「母さんと史ももちろんオーケーしてくれると思いますから、あとは千里自身がどう判断するかっていうのと手続きの問題だと思います」
「手続きはここで出来るそうだし、千里が断るはずはないからね」
何故千里が断らないのかその理由を聞いてみたい気持ちと聞いてみたくない気持ちが半分ずつあるのだが、どんな答えが返ってきても俺が困るのは間違いなかった。
「……その~、一応俺も男なんで、一応そういう心配とかなんとか……思わないんですかーって……」
「暦くんになら安心して千里を任せられるから構わないさ」
先ほどまでの暗い表情はどこへやら。
急に自信満々の口調へと変わると、うんうんと何度も頷かれてしまった。
俺に対するその絶対的な信頼はどこからくるのだろうと思ったが、その出所は想像がつくので何とも否定しがたいものがある。
「え、え~っと、そういうのはまだ早いと思うので、俊彦おじさんは元気になって帰ってきてください」
よろしくお願いしますと口の中でもごもご付け加えると、俊彦おじさんは少し寂しそうな顔で頷いてくれた。
本日プロローグ部分を再投稿し直しました
しおりがズレてしまい申し訳ございません




