第14話 全てを無くした少女
俺が入るのに使った勝手口の前で、三井先生はホクホク顔の俺に向かって苦虫を嚙み潰したような表情を見せる。
「天津。いいか、絶対壊すなよ!? 変なゲームとかインストールするんじゃないぞ!?」
「しませんって。というか持ってませんから」
俺の両手には紙袋がひとつずつ握られており、片方には図書室に置いてあったラノベを20冊程が、もう片方にはノートパソコンと課題が入れられている。
報酬のマスク8枚は、わら半紙に包んで大切にポシェットの中に納めてあった。
これだけあれば、当分の間、暇とはおさらばできるだろう。
実に実入りのいい登校日だった。
「じゃあ先生もお元気で~」
「……ああ、天津もな。課題はやれよ!」
「はいはい、もちろんです!」
機嫌こそ俺と真逆であったが、三井先生は快く送り出してくれたのだった。
……たぶん。
人気のない道路を、俺はスキップでもしてしまいそうなほど軽い足取りで歩く。
家に帰れば多少古くはあるものの、父さんが持っているテーブルゲーム詰め合わせのソフトだったり、たまたま手に入れたアニメ動画の詰まったポータブルハードディスクなどが俺を待っている。
史と一緒にそれらを遊んでもいいし、ひとり読んだことの無いラノベを嗜んでもいい。
頭の中は何をしようかという期待でいっぱいだったのだが――。
「きゃっ」
「おわっ!」
そんな風に夢想していたせいか、現実に対する注意がおろそかになっていたようで、曲がり角で誰かと思い切りぶつかり、後方に突き飛ばされてしまった。
慌ててノートパソコンの入っている紙袋を守ろうと、両腕を空に向かって思い切り掲げたせいで、尾てい骨を道路に強く打ち付けてしまう。
「っつー……てー……」
久しぶりに感じた激痛のせいで、食いしばっていた歯の隙間から我慢し損ねた悲鳴がこぼれ出る。
ただただひたすらに痛い。
俺はそのショックでしばらく動けなくなってしまった。
「ごめんなさい」
女の子。それも声質から行くと結構若い。
俺と同年代くらいだろうか。
例えるなら鈴虫だとか風鈴だとか、小さくて透き通っている感じの声だ。
「いや、俺も悪かったから……」
反射的に下りていたまぶたを、ゆっくりとこじ開ける。
涙でぼやけた視界が、瞬きをするにつれてだんだん鮮明になっていく。
そこには華奢な体つきで何故か学校指定の体操服を着た、俺と同年代くらいの少女が心配そうな表情を浮かべて立っていた。
少女は髪の毛を一つにまとめて横に垂らし、長いまつ毛と薄い唇をしている。
顔立ちは可憐でありながら、休み時間は自分の席で本でも読んでいそうな、真面目でかつ落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
「って君!」
ほんの数時間前に同じようなことを見たばかりで少し警戒感が鈍ってしまったのだろうか。
少女は完全に顔を露出していて、それはつまり――。
「わた――」
「しゃべるなっ!!」
少女はなにごとか口にしようとしていたが、理由を聞くために感染のリスクを高めたくはない。
鋭い叱責で彼女の声を遮ると、まだ痛みで軋む体に鞭打って立ち上がった。
俺の頭部が彼女の口よりも上に位置していれば、かなりリスクを低減できるからだ。
このまま少女から離れ、急いで帰宅しようと思ったのだが……。
少女がたった一人で外を出歩いているというだけでおかしいのに、彼女の持ち物は一切無く、身に着けているのは薄汚れた体操着と短パンだけ、しかも素足のまま外に出て来ている。
このウィルスで崩壊してしまった世界において、あまりに異常すぎる存在だった。
「口を覆うもの、無いのか?」
少女は口を閉ざしたまま首を縦に振る。
この少女がどういう目にあったのかは分からないが、このままにしておくのはどうにも後味が悪かった。
俺は少し迷ったものの、紙袋を地面に置くと、ポシェットからマスクを一枚取り出して少女へと差し出した。
「これ、使って」
少女は目を丸くしてマスクを見つめた後、そのまま視線を俺へと向けて来る。
本当に貰ってもいいのか、とでも思っているのだろう。
もしくは、何故マスクみたいなものを他人に渡すのか、だろうか。
「いいから」
一歩前に出てから少女の手にマスクを押し付け、また一歩後ろへ下がって直接顔に唾液が飛散しない距離である1メートル以上距離を取る。
少女は手の中のマスクを持て余していたようだが、やがて意を決したのかマスクを装着した。
「なに、君。いったいどうしたの?」
感染のリスクを一方的に負ったのだから、多少キツイ言い方になってしまったのは勘弁してほしい。
俺の言葉を受けてか少女はしばらくの間俯いていたのだが、やがてポツリと「全部無くなったの」とだけ呟いた後、再び黙り込んでしまう。
その言葉だけで事情なんて分かるはずもないが、俺はそれ以上問いつめる気は起きなかった。
放火、強盗、家族が罪を犯して射殺される。
全てを失うことなんて、この世界ではザラにあることだからだ。
おそらくこの少女には帰る家すらないのではないだろうか。
だから着の身着のままで住宅街をうろついていたのだ。
そう考えれば彼女の姿と態度に納得が行った。
「…………はぁ」
俺も自分の金で買ったものならこんな決断はしなかっただろう。
しかしこれは幸運が重なって偶然手に入った代物だ。
それに、少女は恐らく自分の同年代で……3分の1以下になってしまった俺のクラスメイト達と、同じ年齢なのだ。
手助けする理由はそれで十分だった。
俺は再びポシェットをまさぐると、わら半紙に包まれたマスク7枚全てを取り出した。
「なにがあったか知らないけどさ。これでちょっとは生活を取り戻せるんじゃない?」
俺が突き出した包みを、少女は受け取り、おずおずといった感じで広げ――。
「えっ!?」
また驚きに目を見開いた。
「あげるよ」
「で、でも……」
「闇市とかでバイヤーに売ってもらえば結構まとまったお金になるから。それを使ってまずは大きめのハンカチ二枚とゴーグルを手に入れなよ。そういうのしてないと、人によっては本気で殺しにかかって来るから」
口元を覆わずに外に出るという事は、病気を他人にうつしてもいいと思っている、なんて誤解されても仕方のない行動だ。
そうなれば正当防衛とばかりに殺そうと考える輩が居ないわけではない。
普通は返り血を浴びるなんて危険を避けるために暴行、殺人はしないのが普通だが、防衛意識が過敏になってしまっている輩にその理論は通じないのだ。
「……あ、あの。なんでこんな事してくれるんですか?」
「なんでって……」
理由は同情以外にない。
だが、同情したからといって万札を数枚ポンと他人に手渡すなんて、普通はしない。
俺がしたのはそういう行動なのだ。
少女が戸惑っても仕方が無かった。
「君、何歳?」
「え、えっと、17歳ですけど」
顔からして同年代くらいかと予想していたが、ドンピシャでその通りだったらしい。
「ならタメ歳じゃん」
「えっ」
少女の意外そうな顔に、少しだけ不満を覚える。
確かに俺はわりと低い声をしていると言われるが、驚かれてしまうのはかなりショックだった。
「だからなんか親近感が湧いてさ。そんだけ」
「…………」
少女は小さく首肯を繰り返していたが、やがて小さく「ありがと」とお礼を言って来る。
「じゃ、頑張って」
俺はそう言い残すと荷物を手にさっさと家路を急いだのだった。