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第10話 回収日

 朝日が昇り、少しずつ空気が温められて程よい陽気になった頃。


 階下からのんびりとした母さんの声が聞こえて来る。


「暦~、ちょっと瓶出しといて~」


「は~い」


 今日は週に一度ある、配給に使われている瓶の回収日だった。


 こちらも間延びした声で返し、読みかけの漫画を閉じて枕元に置くと、ベッドから起き上がる。


「ん~」


 思いっきり伸びをしながら扉を開けると、


「おにーいちゃんっ!」


 にししって感じの笑みを浮かべた史が出迎えてくれた。


「いや、手伝いとか要らないぞ?」


 空き瓶を入れたケースは何気に重い。


 それを裏口から表にまで運ぶのはそこそこの重労働なのだが、それでも史に手伝ってもらわなければならないほど大変な仕事ではなかった。


「え~、でも私も持てるよ」


 ほらっと言いながら史が細い腕を曲げてみせると、とても頼りがいのなさそうな筋肉が、少しだけ頭をあげる。


「そう言って無茶したの、父さんにバレたろ」


 以前、史は充電するためにかなり長いこと発電機を回し続けた。


 それによってリンパが腫れてしまい、少しだけ体調を崩してしまったのだ。


 だから俺は、できるだけ史に労働をさせたくなかった。


「むー……」


 頬をフグのように膨らませた史の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫で、俺は階段を降りる。


 手伝いは要らないと断ったのにもかかわらず、それでも史は俺の後をついて一緒に階下へと下りて来てしまった。


「させないからな?」


「しないよぉ」


「ホントかぁ?」


「ホントだってぇ」


 なんてやり取りをしつつ台所に到着すると、俺は瓶をプラスチック製の専用ケースに詰め、よいしょと掛け声をかけて持ち上げる。


 そのまま家を縦断して玄関につくと、史がちょこちょこと前に走り出て来て扉を開けてくれた。


「ありがと」


「どういたしまして」


 私が居て良かったでしょ、みたいなことを言い出しそうなドヤ顔をしている史を横目に、俺は外に出て家の前に瓶の入ったケースを置く。


 これを後3回すれば俺の仕事は終わりだ。


 俺は残りのケースを取りに戻ろうとして、ふと視線を横に向けると――。


「げ」


 同じく瓶を家の前に出していた、幼馴染の千里と目が合った。


「げってなんだよ」


 5、6メートルほど先に居る幼馴染は、なぜかちょっと顔が赤くなっているようにも見える。


「い、いいじゃない。こっち見ないでよ!」


「は?」


 何か見てはいけない物があるのならばその言葉にも納得が行くのだが、俺の視界の中には問題の在りそうなものはなにもない。


 短パンと長袖Tシャツを着た、いつも通りに元気の良さそうな幼馴染とその足元にケースがあるだけだ。


「いいからあっちを向く!」


「…………」


 なぜ俺が怒鳴られなければならないのか全くわからなかったが、まだ仕事が残っていたため、家に戻ろうとして……史の非難がましい視線とぶつかった。


「お兄ちゃんデリカシーない」


「え、史までどうして?」


 妹にまでそんな事を言われてしまうのは、さすがにかなりショックが大きかった。


「……今日は何の日か知ってるでしょ?」


「え、瓶回収の日……ああ、なるほど」


 瓶を回収する日とは言っても、実際に回収されるのは瓶だけではない。


 金属や古紙――売って金になるため出す人は居ないが――それから……尿。


 俺の家では史の関係上、尿を溜めておくことが出来ないため回収に出していないが、他の家庭はほとんど尿を瓶やペットボトルに詰め、千里の家のように出している。


 それもこれも、日本はパンデミック以前は海外から輸入される安い肥料に頼っていた。


 しかしそれらが全て輸入できなくなり、苦肉の策として使われるようになったのが人間の尿だ。


 糞便は病原菌や寄生虫など問題が多くあるが、尿は人間というフィルターを通すことで比較的綺麗であり、植物が育つのに必要な窒素やリンを豊富に含んでいるため肥料としてもってこいなのである。


「でも視界に入ってないからいいんじゃ――」


「さいってー」


「お兄ちゃん、それは無いよ……」


「ぐっ」


 尿のボトルはケースの陰に隠されていて、俺からは完全に見ることが出来ない。


 しかし、そんな事は関係ないとばかりに女子2人から同時に飛んできた非難の刃は切れ味鋭く俺の心臓をなます切りにしたのであった。


「どうせ女心は分かりませんよーだ」


 白旗を掲げた俺は、史の横を通り抜けて家の中へと戻る。


「じゃあ勉強しなきゃね」


「はいはい」


「私が教えてあげてもいいけど?」


 心なしか楽しそうな史の様子に、史が笑ってるならいいか、なんて思ってしまう。


 だから俺も調子を合わせて、冗談交じりに混ぜっ返す。


「はい、じゃあ史せんせーお願いしますよー」


「よろしい」


 そんなやり取りを交わしながら、俺は二つ目、三つ目とケースを運んだのだった。






 全て運び終えると、同じく仕事を終えた千里が俺を待ち構えていて、声を投げかけて来る。


「あのさー。今日登校日だけどどうする?」


「登校……あっ、俺課題どっかやっちまったな」


「私も探さないと分かんないわよ」


 学校は既に閉鎖されていたが、あまりにも長い間閉鎖されていてはさすがに学業に響くと、月に一回、決められた日に課題を提出することが義務付けられていた。


 問題は、そんなの誰も従ってはいないという事だが。


 明日の食料を手に入れる方が先決なんて状況で、宿題をするために机へと向かう馬鹿は居ない。


 パンのみによって生きるにあらずとは言うものの、パンが無ければ命は繋げないのだ。


「私は全部終わらせてきちんと取ってあるよ」


 史は根が真面目なタイプである。


 こんな状況であっても毎日欠かさず勉強して、発電機を漕いでいる最中も英単語を覚えるなどして勉強を欠かしたことは一度も無い。


 ややサボり気味な俺とは大違いだった。


「えらいなぁ、史は。うんうん、自慢の妹だよ。さすがっ」


「えへへ~」


 史の頭を撫でながら褒めると、史は目を細めて嬉しそうに笑っていたのだが……。


「……暦のシスコン」


 風に乗って聞こえて来た千里の暴言は、地味に俺の心を抉る。


 こんな状況なんだから妹を可愛がれるだけ可愛がるのは兄の義務だと心の中で予防線を張ってから千里へと向き直った。


「だからこっち見ないでよ!」


「どないせっちゅうねん……」


 千里の方を向くと怒鳴られ、史の方を向くと罵倒される。


 幼馴染の心は複雑怪奇極まりなかった。


「と、とにかくさ。私は行くつもりないんだけど、暦は行くのかなって思ってさ」


「あー……」


 勉強しようと思えば教科書もノートも筆記用具もある。


 タダ同然で手に入れた大学入試の問題集だってある。


 行く必要は今のところあまりないのだが……。


「行ってみようかな?」


 2022年の6月に学級閉鎖が決まってから2023年の5月現在まで、俺は一度も学校に寄りついた事がなかった。


 これは治安が悪化して外に出ることが危険だったというのが理由なのだが、今はそれを気にする必要はない。


 ルインウィルスも、人が死に過ぎていて感染の危険性はかなり下がっているため大事ないはずだった。


「え、でも危なくない?」


「まあ、気を付ければ。友達のことも知りたいしさ」


 となれば、学校でクラスメイトの情報などを集められないかなど、いろんなことが思い浮かんでくる。


 千里が突然学校の事を話題にあげたのも大方同じような事を考えていたからだろう。


 ただ、まだ学校に行くのは怖い、といったところか。


 そこら辺は物資を手に入れるために外を駆けずり回った俺と、女であるが故に外へ出られなかった千里との違いであり、決して他力本願だとは思わなかった。


「なんか分かったら教えてやるよ」


「あ、ありがと」


 千里は顔を伏せてもじもじしながら礼を言ってくる。


 安全のために5メートルほど離れていて彼女の表情が読み取り辛いのが残念でならなかった。

尿は江戸時代、葉物野菜の肥料として広く使われており、水で薄める不届きものも居たと言われておりますが、そうやって騙されないために、回収業者が直接舐めて塩分濃度を確認し、回収していたそうです

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