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アルフォンスは計略をめぐらす②

 執務室を訪れたカルサイルは、呆れが混じった苦笑いを浮かべて報告書をアルフォンスへ手渡した。


「そのゆるんだ顔をどうにか出来ないのか?」

「ゆるんでなどいない」


 失礼だな、とアルフォンスは唇に力を入れる。だが、目尻は下がったままでいた。


「可愛い奥さんが此処まで差し入れを届けてくれて嬉しいのは分かるが、俺とフィーゴ以外の者が冷徹なアルフォンス殿下のニヤケ顔を見たら恐怖で震え上がるぞ」


 王宮内でアルフォンスが感情を露にするのは気心の知れた者だけ。

 ここ数日、思い出したかのようにデレッとした表情になっているアルフォンスは、自分の顔がどうなっているのか自覚していないようだ。


「ニヤニヤしている氷の王弟殿下、か。ふっ、はははっ」


 カルサイルは込み上げる笑いを堪えきれず「ぶはっ」と吹き出した。

 社交の場では社交辞令で微笑むことはあっても、職場では冷徹な仮面をかぶった王弟殿下の締まりの無い顔を目撃した文官達は、恐怖で気絶するか竦み上がるだろう。


「お前は私を何だと思っているんだ」

「色惚け男」


 眉を寄せたアルフォンスが口を開きかけた時、

 ドンドンッ! と、普段よりも強いノックの音が聞こえ、アルフォンスとカルサイルの顔から笑みが消えた。


「何事だ。……何、だと」


 扉越しに無礼な訪問者に応対したフィーゴの声に焦りが混じる。


「殿下、奥様がっ」


(シュラインッ!)


 聞き終わる前に、アルフォンスは大きな音を立てて椅子から立ち上がった。


「殿下っ」

「アルフォンス!」


 扉の前に立つフィーゴを押し退け、驚くカルサイルを置き去りにして走り出した。




 普段は無表情でいることが多い王弟殿下が鬼気迫る表情をして、邪魔者全て斬り捨てそうな雰囲気を撒き散らして廊下を走る姿を見てしまった者達は、進行の妨げにならないように壁際へ寄る。

 驚愕しながらも頭を下げる者達には見向きもせず、アルフォンスは女の叫び声が聞こえる回廊へ向かう。


「悪役は悪役らしく、地べたに這っていなさい!」


 ガツンッ! リリアの甲高い声と、高いヒールの踵で床を踏み鳴らす音が響く。

 勝ち誇ったように嗤うリリアの歪んだ顔と、侍女に庇われ床へ座り込むシュラインを見た瞬間、アルフォンスは全身の血液が沸騰するのを感じた。


 腰に手を当てて抜刀しようとして、舌打ちする。

 王宮内では帯刀していなかった。そのおかげで、沸騰した血液が急激に冷めていく。


「悪役、卑しい女とは、誰のことだ」


 場違いなほど静かな、威圧感を感じさせる声で言い放つ。

 勢いよくリリア一行は振り返り、侍女が悲鳴を上げた。不穏な空気を感じとり遠巻きに様子を伺っていた者達は一斉に逃げ出す。


「ア、アルフォンス? どうして?!」

「これだけ大騒ぎをしてくれたら、私へ知らせが来るのは当然だ。それよりも、誰が卑しいだと?」


 怒りは突き抜けると冷静になれるのかと学べた。新たな発見に笑いが込み上げてきて口角を上げる。

 静かな声で問うアルフォンスの表情は、怒気以上の圧力、刃物を彷彿させる鋭さを含んでいた。

 刃の様な冷笑を浮かべたアルフォンスに、顔を強張らせたリリアはじりじり後退る。


「シュラインを妻にと選んだのは私だ。兄の婚約者を陥れ妃の座を得たような貴女が、シュラインを卑下する資格は無い」

「な、何ですって、わたくしはこの国の王妃ですよ!」

「だから何だと言うのだ」


 低い声で言い放つアルフォンスから発せられる威圧感に耐えきれず、「ひっ」とリリアの侍女から悲鳴が漏れた。


「私の妻へのこの仕打ち、必ず貴女へ御返ししよう」


 殺気を込めてさらに笑みを深くするアルフォンスは、逆らう者全てを破壊しつくす魔王。

 戦場に立った時以上の威圧感を放ち、周囲を見渡すその姿に冷や汗が流れ落ちた。

 “冷徹な王弟殿下”の容赦ない圧力を受けた王妃の侍女達は、血の気が失せた顔色となり震え上がる。


「アルフォンス! 貴方はっ」

「義姉上、その見苦しい姿をまだ此処で晒すおつもりですか?」


 王宮の中央、高官達も利用する通路には多くの官僚や使用人達が通っていた。


 遠巻きに様子を伺う者達の多さに気付いたリリアは、羞恥と怒りで全身を赤く染める。

 視線だけで害されるアルフォンスからの圧を感じ、体を震わせたリリアは踵を返すと逃げるように歩き出した。


「うふふっ、アルフォンス様、シュライン様、お騒がせして申し訳ありませんでした」


 可愛らしく一礼したアリサは、頬を染めてアルフォンスだけを見上げる。

 小動物を彷彿させる仕草をされると、大概の男は庇護欲を擽られ「可愛い」と思うのだろうか。しかし、小さく首を傾げ胸元を強調する計算された仕草には嫌悪感しか感じなかった。


「申し訳無いと思うならば、早々に立ち去るがいい」

「っ、……失礼します」


 冷たく一蹴されるとは思ってもいなかったのか、アリサは目を見開き下唇を噛むと悔しげにシュラインを見た後、早足でリリアの後を追った。




 傍観していた官僚達へ仕事に戻る様に命じ、アルフォンスはシュラインの肩を抱くようにして彼女の顔を覗き込んだ。


「大丈夫か」


 扇で叩かれて赤くなった頬を避けながら、アルフォンスが指先でシュラインの顔の輪郭をなぞると眉尻を下げた彼女の瞳が潤みだす。


「アルフォンス様、わたくしは大丈夫です。でも、ケーキが」


 床へ落ちたケーキ箱は侍女が拾ったが、箱は無惨にひしゃげてしまい斜めに片寄っている。

 中身を確認しなくとも中に入ってるケーキは潰れて崩れてしまっているだろう。

 毎日のようにシュラインに菓子を手作りさせ持参させる。その事実と、シュラインとアルフォンスの仲睦まじい姿を見せ付け王妃の反感を煽るという、王太后の企みの一部が達成されてしまった。


(くっ……)


 こめかみと心臓が針で刺されているかのように痛む。

 妻を痛め付けられた夫の心の痛みか、シュラインの優しさを踏みにじった王太后(ははおや)への殺意か。それとも、悲しむ彼女を労り抱き寄せて泣き顔を見られた、ほの暗い悦びへの罪悪感か。

 不意にシュラインの体が小刻みに震えだした。


「せっかく、作ったのに、食べてほしかったのに……」


 震える唇を動かして思いを口に出せば、堪えていた感情と一緒にポロポロとシュラインの目から涙が零れ落ちた。


(ああ、綺麗だ……)


 アルフォンスの人差し指が零れる涙をそっと拭う。


「形は崩れてしまっても味は変わらない。後でもらうよ」


 痛ましげに眉を寄せたアルフォンスはシュラインの額へ口付ける。

 シュラインの背中と膝裏へ腕を回し震える体を抱き上げた。


「じ、自分で歩けますっ」

「駄目だ。手首と足も痛めただろう」


 下ろして欲しいと慌てるシュラインを無視し、アルフォンスは自身の執務室へ向かって歩き出した。




 執務室へ着くと壊れ物を扱うように、アルフォンスは横抱きにしていたシュラインをそっと長椅子へ横たえる。


「直ぐに医師が来る」


 用意させた濡れ布巾を手に取り、シュラインの涙で潤む目元と赤くなった頬にあてた。


「ありがとうございます」


 目尻を下げて礼を言うシュラインは何時もより弱々しく見えた。


 悪意で顔を歪めたリリアは、とても醜悪な物語の魔女にしか見えなかった。間近で魔女から悪意を浴びせられては恐怖で震えても仕方ない。

 警戒はしていても王宮内、アルフォンスもリリア自らがシュラインへ罵声を浴びせ暴行するとは思っていなかったのだから。

 今すぐ抱き締めて口付けて慰めてやりたいが、カルサイルから生暖かい視線を感じ堪えた。




 離宮へ戻る護衛にフィーゴと暗部数人を付け、手当てを終えたシュラインを見送ったアルフォンスは侍医から受け取った診断書へ視線を落とした。

 離宮まで付き添いたくても、まだやるべきことが残っている。


「本当に、傷痕は残るものでは無いんだな」

「はい。幸いにも頬の傷は浅いものでして、こまめに軟膏を塗り保湿すれば傷痕は残らないでしょう」


 侍医からシュラインの診断結果を聞き、アルフォンスは握りしめていた拳の力をゆるめた。


「本気なんだな」

「何がだ?」


 半ば八つ当たりで苛立ちを隠さず問えば、カルサイルは肩を竦めた。


「今のお前、直ぐにでも王妃を殺しに行きそうな顔をしているからな。お飾りの奥様なのかと思っていたが、本気なのが分かって驚いた」

「……許されるならば、今すぐ廃位させ処刑してやりたいところだ。だが、まだその時ではない。王妃を許すつもりはないが、王妃よりも面倒な狐が動き出すのを待たなければならない」

「一掃するつもりか?」

「ああ。この先、王妃と取り巻きども、あの娘は私の邪魔にしかならないだろう? まだヘンリーの方が利用価値はある」


 底冷えする冷たい声で言うアルフォンスの瞳には、先程までシュラインに向けていた慈しみや甘さなど一欠片も見当たらなかった。



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