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アルフォンスの憂鬱な日々⑧

 翌日、王太子の学園卒業の話題を掻き消す勢いで発表された王弟殿下の婚約発表は、瞬く間に国中へ広まっていった。

 麗しい容姿と能力の高さから注目され、浮き名を流していたアルフォンスと王太子に婚約破棄をされたシュラインの婚約。

 婚約発表から僅か一月後という早さで行われる婚儀に、人々は様々な憶測を飛び交わせる。だが、表だって反対する声はなく粛々と婚儀の準備は進められた。



 定例会議を終え執務室へ戻る途中、侍従から別宅に住まわせているリアムが荒れて手がつけられないと報告を受け、アルフォンスは深い息を吐く。


 奴隷として生きてきたリアムに教養を身に付けさせ、成人までの間は世話をするがその後は自立させるつもりだった。

 先日、アルフォンスから子爵家との養子縁組の話を伝えられたリアムは、子どもじみた癇癪をおこすようになり使用人達を困らせていた。


「ご足労をお願いして申し訳ありません」


 別宅へ着いたアルフォンスを眼鏡をかけた若い執事が出迎える。

 態度と口調は丁寧でも、眼鏡の端から覗く瞳にある敵意を隠そうともしない執事は、リアムによこしまな感情を抱いているのをアルフォンスは気付いていた。

 執事の先導で歩くアルフォンスの耳に、硝子が割れる音とリアムの泣き声が届く。


「失礼します」


 ガチャリ、執事が開いた扉から見える室内は、投げられた調度品が床へ転がる。


「アル、さまぁ?」


 髪と服を乱し、顔中涙と鼻水まみれとなったリアムが肩で息をしていた。

 一般的には、美少女に見える少年が肩を震わせ涙する姿は、痛々しいと思うのだろう。現に、眼鏡をかけた執事はリアムの側へ駆け寄り、彼の背中を優しく撫でて慰めはじめた。

 先日の夜会で、屈辱を唇を噛んで堪えるシュラインの顔を見た後では、ただの子どもの癇癪にしか思えないリアムの行動は煩わしく面倒だ。


「リアム、子爵家の養子を断ったそうだな。安定した領地を持ち、子爵夫妻の人柄も良い。何が気に入らないんだ?」

「うぅ、アル様の側から離れるなんて嫌っ! 結婚するから、僕を養子に出すの? お願いっ捨てないでっ」


 泣きながらジャケットにすがり付くリアムの手をやんわりと外す。


「養子の話は結婚のためではない。リアムの今後を案じているからだよ」

「養子なんて行きたくないっ!」


 両手で両耳を塞いだリアムは、聞きたくないとばかりに首を横に振る。


(さて、コレをどうやって説得するか、だな)


 二年間とはいえ、世話をした情はある。

 冷めた目でリアムを見下ろすアルフォンスを、眼鏡をかけた執事は憎々しげに睨み付けていた。




 ***




 結婚式当日、一月あまりで完成させたとは思えない豪華な純白のドレスをシュラインは身に纏い、同じく純白の軍服姿のアルフォンスにエスコートされて大聖堂の赤絨毯を歩く。


 神官長が待つ祭壇の前へ向かう途中、複雑そうな表情をしたリリアと視線が合いアルフォンスは器用に片眉を上げた。

 国王夫婦の横に座るのは愚かな王太子ヘンリー。

 一切甘やかさず、厳しく自分に接する叔父に苦手意識を持つヘンリーは目を合わせることに耐えきれず、直ぐに視線を逸らす。


『何故です?! 何故、シュラインと叔父上が婚姻をするのです!!』


 一月前、学園を卒業して王宮へ戻ったヘンリーは先触れも護衛も付けず、アルフォンスの執務室を訪れた。


『簡単な事だ。シュライン嬢は身分だけではなく私の妃に相応しい能力、価値があるからだよ。彼女は感情の起伏が乏しいように見えて、可愛らしい一面もあるしな』

『なっ』


 目を細めて言うアルフォンスにヘンリーは絶句する。


『それと……すでにお前の婚約者ではないのだから、馴れ馴れしくシュラインへ近寄るな』


 怒気を込めて忠告をすれば、ヘンリーの顔からは血の気が引いていった。




「では、誓いの口付けを」


 互いの息がかかるほどの至近距離でシュラインを見下ろす。

 口紅を塗った唇はまるで熟れた桜ん坊のよう。


(……くそっ)


 シュラインから香る林檎に似た甘い香りは、アルフォンスを誘っているようで食らい付きたくなる衝動を理性で堪える。

 紫水晶の瞳にアルフォンスに対する恋慕など微塵も無いと理解し、政略のためだと彼女へ伝えたのは自分なのに胸が苦しい。

 誓いの口付けをするのではなく、チッと舌打ちしそうになった。


 初めてシュラインと交わした口付けは、唇を触れ合わせるだけの甘さの欠片もないものだった。



 晩餐会を中座し、初夜のために身を清めたアルフォンスは王宮内に用意された一室へ向かう。

 先触れは出さず足音を忍ばせ入室すれば、入浴を済ませネグリジェに着替えたシュラインはソファーへ座り、両手足を伸ばしていた。


「シュライン」


 背後から名を呼ぶと、シュラインは大きく肩を揺らす。


「えぇっと、アルフォンス殿下? 何故此処にいらっしゃったのですか? その、別宅へ戻られないのですか?」


 アルフォンスが来るとは思ってもいなかったのだろう、シュラインは慌てて背凭れにかけておいたガウンを羽織る。


「今夜は初夜だ。いくら偽装結婚とはいえ、初夜を共にしないとなれば噂好きな者共に詮索をされるだろう」


 夜着の上にガウンを羽織ったアルフォンスは呆れ混じりに言う。

 シュラインは動揺のあまり「えっ」「初夜?」と小さく声を発し頬を赤らめた。


「で、では、わたくしはソファーで寝ますわ。嫌いな女性が側にいたら休めないでしょう」

「シュライン、貴女は、この婚姻を後悔していないか?」


 ソファーから立ち上がったシュラインは首を傾げた。


「今さら何を問うのです。お互いの利を考えた、同意の上の婚姻でしょう。今夜は仕方無いでしょうが、アルフォンス殿下はわたくしのことをお気になさらず、恋人のもとへ帰ってあげてください」


 動揺して出した素の表情は消え、シュラインは作った笑みを顔に付ける。

 偽装妻という理不尽な立場に据えられたのに、自分に与えられた役割だと割りきっているのだ。


「すまない」


 一度裏切った王家によって望まぬ婚姻を結ばせ、他国へ羽ばたこうとするシュラインから自由を奪ってしまったという自責の思いから、謝罪の言葉が口をついて出た。


「何故、謝るのですか?」


 何故と問われてもアルフォンスには答えられない。

 無言で立ち尽くすアルフォンスを、シュラインは困惑した様子で見上げた。



「わたくしはソファーで寝ます」


 立ち上がったシュラインがすれ違おうとした時、咄嗟に細い手首を掴んだ。


「女性をソファーでなど寝かせられない。今夜だけ我慢してほしい。指一本貴女に触れないと誓おう」


 シュラインは目を丸くした後、ゆっくりと首を縦に動かした。




 ベッドの端で身を縮めていたシュラインから静かな寝息が聞こえ、彼女が眠ったのが分かりアルフォンスは体を起こした。


 背中を向けて眠るシュラインの薄い肩を軽く引けば、簡単に横向きだった体は仰向けとなる。

 ハラリと長い髪がかかる寝顔は起きている時に比べ幼く見え、大人びた物言いをしていても彼女はまだ成人を迎えたばかり、自分よりも年下の娘なのだと実感した。


(こんなにも、やわらかくて、あたたかい)


 女性と同衾するのは初めてではないし、社交で必要とあれば女性を抱くこともあった。

 ただ、同じベッドに寝るだけで手を出さないよう気を配るなど初めてのことで、戸惑いつつ伸ばした腕を引っ込めることは出来なかった。

 人差し指と中指の腹で頬を撫でる。やわらかですべらかな肌は上質な絹のようだ。


「シュライン」


 起こさないように、シュラインの耳元へ唇を近付けて囁く。


「寝顔は……こんなにも無防備なんだな」


 ふと、悪戯をしたくなり眠るシュラインへ覆い被さった。

 目蓋へ、頬へ、僅かに開いた形の良い唇へ、アルフォンスは触れるだけの口付けを落とす。


「ふっ、もしも今目覚めたら、どんな顔をするのだろうな」


 契約違反だと取り乱して泣くのか。それとも羞恥で全身を真っ赤に染めるのか。


 身体の奥底から沸き上がってくる欲は、無理矢理蓋をして封じ込める。

 アルフォンスはシュラインの横へ寝転がるが、夜明け頃まで寝付くことが出来なかった。


次話から甘くなる、はず。

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