アルフォンスの憂鬱な日々⑦
本編と一部内容がかぶっています。
王立学園卒業パーティーと同日同時刻に開催された王太后主催の夜会。
久しぶりに華やかな場へ姿を現したアルフォンスは、会場内の女性陣から送られる視線にうんざりした気持ちでいた。
連日行われた議会と、卒業式へ出席するという理由で国王夫婦の分の政務が回され、ここ数日間は睡眠時間を削られていた。
本音を言えば夜会など断り仮眠をとりたい。
義父予定のカストロ公爵はアルフォンスの内心を見透かしているのか、いかにも愛想笑いといった嘘臭い笑みを浮かべ親しげに話しかけてくる。当たり障りの無い相槌をうち婚約者となる予定の令嬢を待った。
「アルフォンス殿下、大変お待たせしました。到着したようです」
カストロ公爵が目を細めて言い終わると、ドアマンによって出入口の扉が開かれる。
黒色の燕尾服を着た侍従に先導されて現れた令嬢に、会場内の視線が釘付けとなった。
毛先だけゆるく巻き、少し濃い目の化粧をして背中が開いた濃紺色のイブニングドレスを着た令嬢、シュラインは、最後に会話をした六年前よりも当たり前だが大人の女性へと変貌をとげていた。
シルバーブロンドが窓から射し込む月光に煌めき、まるで月から姿を現した精霊のようだ。
(そういえば、フィーゴがカストロ公爵令嬢は月の女神のようだと言っていたな。大袈裟な評価ではなかったということか)
艶やかな髪が燐光を放っているように見えて、アルフォンスは食い入るように見詰めてしまった。
口を開いたまま惚けているアルフォンスへ、カストロ公爵はわざとらしい咳払いをする。
「愛人を囲うのはかまいませんし、政略のための婚姻だとしても、シュラインを蔑ろにして泣かせたらいくら殿下といえど容赦はしませんよ」
「ああ、分かっている」
背後に立つカストロ公爵からの圧力に、アルフォンスは綻んだ仮面をかぶり直し表情を作り直した。
「卒業おめでとう」
祝いの言葉を受け、感極まっているシュラインが落ち着いたのを見計らい、王太后は首を軽く動かしアルフォンスの方へ視線を送る。
「卒業祝いとして、わたくしからもう一つ贈り物があるの。貴女の婚約者が決まったわ」
椅子に座り果実を絞ったジュースへ手を伸ばしかけて、シュラインは「えっ?」と固まった。
「婚約者、ですか?」
「ええ。すでに貴女の父上からは了承してもらったわ。婚約者となる者は、来なさいアルフォンス」
王太后に呼ばれ、やって来たアルフォンスはシュラインの隣の椅子へ腰掛ける。
「え、アルフォンス殿下が?」
ガタンッ、驚きのあまりシュラインは椅子から立ち上がりかけた。
「王太子の婚約者だったシュラインの婚約者と出来るのは、カストロ公爵家と同等の地位を持つ者か、王族の一族、年齢が釣り合う者はアルフォンスか他国の王族しかいない」
「お、王太后様、わたくし結婚はしたくありません。この国を出て他国の文化を学びたいと考えております。他国の文化を学び、いつか外交に関わりたいと考えております。それにアルフォンス殿下は、その」
隣に座るアルフォンスをチラリと見てシュラインは口ごもる。
彼女はアルフォンスが少年を囲っているという噂を知っているのだ。
女性避けのために自分で流した噂なのに、何故かシュラインが戸惑うのを見ていると胃の不快感を感じた。
「何故、わたくしなのでしょうか」
貴族令嬢でも領地経営を手伝う者もいるが、他国とはいえ婚姻よりも外交を学び仕官したいと王太后へ伝えるシュラインに対し、アルフォンスは表情に出さなかったが感心して息を吐いた。
婚姻せずとも公爵令嬢の身分ならば、労働と無縁の生活を送れる。それなのに仕事を得て自立しようとは。もしも彼女が男だったら、アルフォンスの補佐を任せたいと思えた。
「母上、私が婚約者となる理由を詳しく話してやらなければ、彼女は納得は出来ないでしょう」
「まぁ、そうね。実は、頭の中が花畑となっている王妃が独断で、アルフォンスと隣国の王女を婚約させようと動いているのよ。アルフォンスが国王の名代で隣国を訪問した際、王女が一目惚れしたとかで親書が届き、困ったことに王妃が暴走を始めてしまったの」
「私からも、幾度と無くお断りしているのだが、義姉上は諦めてくださらなくてね」
アルフォンスは苦笑いを浮かべ、はぁーと王太后は深い息を吐く。
リリアが面倒なのは確かだが、彼女の独断で縁談など結べない。すでに国王としての権限はヘリオットよりアルフォンスへ移っていた。
王女との縁談話は、リリアからしたら夫や見目麗しい護衛騎士達に飽きてきた今、“偶然”再会し復縁した恋人に上手く乗せられて逢瀬を重ねる機会を増やすためだが、恋人からしたらソレイユ王国との繋がりと干渉しやすくなるため、という思惑があるようだ。
十年以上離れていた男が下心無く復縁などするわけが無いのに、恋人の真意をリリアは分からないらしい。
「王妃を説得しても全く話が通じず、困り果てていたところのヘンリーの婚約破棄は、こちらとしたら好都合でした。シュラインには、王妃の暴走を止めるためにアルフォンスと婚約、婚姻を結んでもらいます。一生添い遂げよとは言わない。二年間、婚姻関係でいてくれれば王妃の関心は完全にヘンリーと、件の男爵令嬢へ移るでしょう」
「それは、二年間の契約結婚で、白い結婚生活を送れば離縁してもかまわないと?」
困惑を消し冷静な表情で問うシュラインを見て、アルフォンスは口角を僅かに上げた。やはり彼女は聡い。
「二年後、二人の間に子も無く、愛情も生じ無ければ離縁を認めます。その後、隣国へ渡りたいという貴女の望みを叶えましょう」
シュラインとアルフォンスの顔を交互に見詰め、暫時思案した後、ゆっくりと王太后は頷いた。
王太后が新たな婚約者だと伝えた後、アルフォンスはシュラインを中庭の散策に誘った。
横に並ぶシュラインからほのかに香る花の香りは、不快ではなく月明かりを反射し燐光を放つ髪と柔らかそうな肌へ触れてみたいと、アルフォンスは手を近付けて触れる寸前で止める。
少し離れた場所で護衛が居るとはいえ二人きりの散策。
華やかな夜会会場を離れると辺りは静かになり、ランタンが灯された中庭を歩く二人の足音が響く。
「アルフォンス様は、よろしいのですか?」
眉尻を下げたシュラインの問いに、アルフォンスの足が止まる。
「大事なお方がいらっしゃるのでしょう? とても可愛らしい方だと聞いていますが」
「ああ、甘え上手でとても可愛いよ。化粧と宝石で着飾ったどんな令嬢よりも可愛らしい。令嬢達のように顔を顰めたくなるような香水の臭いも、脂肪の塊の胸を押し付けて私の気を引こうともしないからね。けれども、彼では私の伴侶となることは出来ない。かといって、断るのが面倒な婚姻を結ばされるのは非常に困る」
「そうですか」
“貴女には本気にならない”と含ませて世話しているリアムの話をすると、シュラインは全身を強ばらせる。
「二年間、私の妻としてこの国に縛ってしまうが、自由までは奪うつもりはしない。争いの火種とならなければ、屋敷と資産は貴女の好きに使ってもかまわないし、隣国へ渡るのであれば貴女の利になるよう力を貸す」
シュラインの右手を取ったアルフォンスは彼女の指先へ口付けた。
「わかりました。これからよろしくお願いいたします」
握られた右手をやんわりと放し、シュラインは取り繕ったように微笑み優雅に一礼をした。
(……これでいい。割り切ってくれた方がお互い楽だ)
求めているのは“妻”の役目だけだと先に牽制しておけば、シュラインはアルフォンスに好意を抱くことはない。
ただ、離れてしまった柔らかな手のひらの温もりと花の香りが名残惜しい、と思った自分を嘲笑った。




