03.契約社員の仕事だと思うことにした
偽装結婚まで。
加筆してあります。
感極まっているシュラインが落ち着いたのを見計らい、王太后は彼女との距離を縮める。
「卒業祝いとして、わたくしからもう一つ贈り物があるの。貴女の婚約者が決まったわ」
椅子に座り果実を絞ったジュースへ手を伸ばしかけて、シュラインは「えっ?」と固まった。
「婚約者、ですか?」
「ええ。すでに貴女の父上からは了承してもらったわ。婚約者となる者は、来なさいアルフォンス」
王太后に呼ばれ、やって来たアルフォンスはシュラインの隣の椅子へ腰掛ける。
「え、アルフォンス殿下が?」
ガタンッ、驚きのあまり椅子から立ち上がりかけた。
「王太子の婚約者だったシュラインの婚約者と出来るのは、カストロ公爵家と同等の地位を持つ者か、王族の一族、年齢が釣り合う者はアルフォンスか他国の王族しかいない」
「王太后様、わたくし結婚はしたくありません。この国を出て他国の文化を学びたいと考えております。他国の文化を学び、いつか外交に関わりたいと考えております。それにアルフォンス殿下は、その」
隣に座るアルフォンスをチラリと見てシュラインは口ごもる。
数年前に婚約者を病で亡くして以来、婚約者もおらずまだ未婚のアルフォンスは、王弟として国政に関わる事が多く王位継承権も第二位という、結婚相手としては最優良な人物だろう。生まれる順番が国王より早かったら、と嘆く臣下は少なくはない。
幼い頃はヘンリーと共に彼から勉強やダンスを教えてもらい、全く見知らぬ相手ではないとはいえシュラインは素直に受け入れられなかった。
「何故、わたくしなのでしょうか」
地位も能力も美貌も持つ彼は引く手あまたなはずなのに、今まで妃を一人も娶らなかったのは、単純な理由からだった。
「母上、私が婚約者となる理由を詳しく話してやらなければ、彼女は納得は出来ないでしょう」
「まぁ、そうね。実は、頭の中が花畑となっている王妃が独断で、アルフォンスと隣国の王女を婚約させようと動いているのよ。アルフォンスが国王の名代で隣国を訪問した際、王女が一目惚れしたとかで親書が届き、困ったことに王妃が暴走を始めてしまったの」
「私からも、幾度と無くお断りしているのだが、義姉上は諦めてくださらなくてね」
アルフォンスは苦笑いを浮かべ、はぁーと王太后は深い息を吐く。
「王妃を説得しても全く話が通じず、困り果てていたところのヘンリーの婚約破棄は、こちらとしたら好都合でした。シュラインには、王妃の暴走を止めるためにアルフォンスと婚約、婚姻を結んでもらいます。一生添い遂げよとは言わない。二年間、婚姻関係でいてくれれば王妃の関心は完全にヘンリーと、件の男爵令嬢へ移るでしょう」
「それは、二年間の契約婚で、白い結婚生活を送れば離縁してもかまわないと?」
「二年後、二人の間に子も無く、愛情も生じ無ければ離縁を認めます。その後、隣国へ渡りたいという貴女の望みを叶えましょう」
シュラインとアルフォンスの顔を交互に見詰めた後、ゆっくりと王太后は頷いた。
婚約者だと伝えられた後、シュラインはアルフォンスから中庭の散策に誘われた。
少し離れた場所で護衛が居るとはいえ、アルフォンスと二人きりの散策。
華やかな夜会会場を離れると辺りは静かになり、ランタンが灯された中庭を歩く二人の足音が響く。
「アルフォンス様は、よろしいのですか?」
眉尻を下げたシュラインの問いに、アルフォンスの足が止まる。
「大事なお方がいらっしゃるのでしょう? とても可愛らしい方だと聞いていますが」
「ああ、甘え上手でとても可愛いよ。化粧と宝石で着飾ったどんな令嬢よりも可愛らしい。令嬢達のように顔を顰めたくなるような香水の臭いも、脂肪の塊の胸を押し付けて私の気を引こうとはしないからね。けれども、彼では私の伴侶となることは出来ない。かといって、断るのが面倒な婚姻を結ばされるのは非常に困る」
「そうですか」
恋人の話をするアルフォンスは、取り繕った笑みとは違うやわらかい笑みを浮かべる。
先日甦った前世の記憶で、人の嗜好は其々だと分かっているが、女性を否定しながら求婚をされたシュラインは「失礼じゃない!」と舌打ちしたくなった。
幼い頃から、数多の令嬢を虜にするほどの美少年だったアルフォンスは、貴族令嬢や年上の未亡人、舞台女優といった女性達との恋愛を楽しみ、彼の恋愛遍歴は社交界の注目の的となっていた。
様々な女性と付き合っても、半年以上は続かなかったアルフォンスの現在の恋人は、まさかの美少年。一度だけ、ある伯爵家の夜会で女装した少年を連れて行き、美少女にしか見えない少年との仲睦まじい様子は、目撃した令嬢達の間に激震が走った、というのはシュラインも聞いている。
数多の令嬢を虜にし、翻弄してきた色男の心を掴んだのが傾国の美姫や聖女ではなく、少年とは何と言ったらよいか分からない。
「二年間、私の妻としてこの国に縛ってしまうが、自由までは奪うつもりはしない。争いの火種とならなければ、屋敷と資産は貴女の好きに使ってもかまわないし、隣国へ渡るのであれば貴女の利になるよう力を貸す」
シュラインの右手を取ったアルフォンスは彼女の指先へ口付ける。
(取り繕うこともせず、正直に偽装結婚だと言ってくれるとはね。侮辱されていると怒ってもいい話でも、これって理想的な状況じゃないの)
恋愛感情や妻の役目は求められてはいない。王弟殿下の妃としての仕事を二年間こなせば自由となれるのだ。
「わかりました。これからよろしくお願いいたします」
握られた右手をやんわりと放し、シュラインは優雅に一礼をした。
翌日、王太子の学園卒業の話題を掻き消す勢いで発表された王弟殿下の婚約発表は、瞬く間に国中に広まった。
麗しい容姿と能力の高さから注目され、浮き名を流していたアルフォンスと王太子に婚約破棄をされたシュラインの婚約。
婚約発表から僅か一月後という早さで行われる婚儀に、人々は様々な憶測を飛び交わせる。だが、表だって反対する声はなく粛々と婚儀の準備は進められた。
結婚式当日、一月あまりで完成させたとは思えない豪華な純白のドレスをシュラインは身に纏い、同じく純白の軍服姿のアルフォンスにエスコートされ、大聖堂の赤絨毯を歩く。
神官長が待つ祭壇の前へ向かう途中、複雑そうな表情をしたヘンリーと目が合い、彼は直ぐ様視線を逸らす。
元婚約者の結婚を祝えない心の狭さに、この決断は良かったのだと、少しだけシュラインの胸につかえていたモノがほどけていくのを感じた。
「では、誓いの口付けを」
互いの息がかかるほどの至近距離で、アルフォンスの瞳になんの感情も見出だせず、まるで硝子玉のようだとシュラインは内心苦笑いしてしまった。
硝子玉の瞳に熱を含ませて、彼が熱く見詰める相手は自分ではないと理解している。
初めて唇にされた口付けは、唇を触れ合わせるだけの、ただの作業だった。
王宮内に用意された一室で、入浴を済ませネグリジェに着替えたシュラインはソファーへ座り、両手足を伸ばした。
疲れたからと、世話を焼こうとしてくれる侍女達を下がらせようやく一人になれて、肩の力が抜けた気がする。
(王族の結婚式としては抑えた方らしいけど、豪華すぎて疲れたなぁ。次、結婚する機会があったら小ぢんまりとした式でいいや)
結婚式と晩餐会の間、四六時中笑顔を浮かべていたせいか痛む顔の頬を擦った。
カチャリ、扉の開閉音が聞こえ、完全にゆるみきっていたシュラインは肩を揺らす。
「えぇっと、アルフォンス殿下? 何故此処にいらっしゃったのですか? 別宅へ戻られないのですか?」
来るとは思ってもいなかったアルフォンスの登場に、焦ったシュラインは慌てて放っておいたガウンを羽織る。
「今夜は初夜だ。いくら偽装結婚とはいえ、初夜を共にしないとなれば噂好きな者共に詮索をされるだろう」
ガウンを羽織ったアルフォンスは呆れ混じりに言う。まさか、共寝をするつもりかと動揺したシュラインの心臓の鼓動が速くなる。
「で、では、わたくしはソファーで寝ますわ。嫌いな女性が側にいたら休めないでしょう」
「シュライン、貴女は、この婚姻を後悔していないか?」
ソファーから立ち上がったシュラインは首を傾げた。
「今さら何を問うのです。お互いの利を考えた、同意の上の婚姻でしょう。今夜は仕方無いでしょうが、アルフォンス殿下はわたくしのことをお気になさらず、恋人のもとへ帰ってあげてください」
「すまない」
(まったく、何て顔をするのかしら)
初夜での夫婦の営みをねだらないシュラインに安堵したのか、アルフォンスはすまなそうな嬉しそうな微妙な表情で頷く。
あからさまに安堵され、偽装結婚についてもアルフォンスの口から否定の言葉一つも出なかったことで、シュラインの心は定まった。
(もしかしたら、恋愛感情が生まれるかもと期待などせず、二年後、隣国で仕官するためにアルフォンス殿下の側で学ばせてもらおう)
前世、会社勤めをしていた記憶があって良かった。
アルフォンスは夫ではなく、上司だと考えればこの先彼に惹かれることも嫉妬することも無いだろうから。
(二年間の契約社員だと思えばいいか)
「では、わたくしはソファーで寝ます」
「女性をソファーでなど寝かせられない。今夜だけ我慢してほしい。指一本貴女に触れないと誓おう」
「はぁ」
手を出されないのは喜ばしいはずなのに、少しだけ胸の奥が重たくなったのをシュラインは気付かない振りをした。