アルフォンスの憂鬱な日々⑤
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背後へ下がったカルサイルに促され、アルフォンスは渋々といった体で華やかなホールへ戻った。
ホール内の熱気に一瞬顔をしかめるが、息を吐いてから貴公子の笑みを張り付ける。
頬を染める令嬢達の間をすり抜け、アルフォンスは椅子に座り談笑している男女のもとへ歩み寄った。
近付いてくるアルフォンスに気付いたハルセイン伯爵は、作り笑顔だと分かる嘘臭い笑みを形作る。
「これはこれは、アルフォンス殿下」
きついコロンの香りに、顰めっ面になりそうなのを抑えるため、アルフォンスは笑みを消した。
「令嬢達の相手をするのも疲れてきたのでね。義姉上から、学生時代からハルセイン伯爵はカードゲームが得意だと聞いて、勝負をしたくなったのだ」
「殿下が、私と勝負、ですか?」
愉しそうに笑うハルセイン伯爵は器用に片眉を上げる。
一々芝居がかった仕草をされ、アルフォンスの内に苛立ちが沸き上がってくる。
「ただ勝負するのはつまらないというのならば、何かを賭けて勝負をするのはどうだろうか」
「賭け、ですか? 殿下は何を賭けてくださるのでしょう」
「義姉上から頂いたこのカフスを賭けよう。ハルセイン伯爵は……そちらの可愛らしいお嬢さんを賭ける、というのはどうかな」
ジャケットの袖を軽く上げ、シャツの袖口に付いたカフスボタンを外す。
付けたくもないリリアから贈られたカフスボタンは、今宵のため、ハルセイン伯爵に見せるために嫌々付けてきたもの。
使われている小さな宝石は違っていても、ハルセイン伯爵の袖口のボタンと似たデザインのカフスボタンは王妃リリアの趣味なのだろう。そのことに気付いたハルセイン伯爵は僅かに瞠目した。
「……っ?!」
ハルセイン伯爵の傍らに控えていた少年は顔を上げ、怯えの色が混じる瞳でアルフォンスを見詰めた。
夜会から五日後、ハルセイン伯爵の交遊関係を探るという面倒な用は済み、辺境へ戻ろうとしたアルフォンスだったが、王太后と元老院議員達により王都に引き留められていた。
「殿下、王太后様からでございます」
「またか」
足を組んで椅子に座るアルフォンスはフィーゴを睨む。
八つ当たり混じりの威嚇を気にせず、フィーゴは抱えて持ってきた書類をテーブルへ積んだ。
積まれた書類の山は、夜会の招待状や貴族令嬢の姿絵に釣書。母親の狙いが手に取るように分かり、アルフォンスは小さく舌打ちした。
「婚約者など不要、妃を娶るつもりは無いと、散々言っているのにな」
脳裏に浮かぶのはかつての婚約者の笑顔。
先日、数年ぶりに顔を会わせたリリアは、肉食獣じみたギラギラした表情でアルフォンスを見詰めていた。完全に捕食者の瞳をしていた彼女は、自分を義弟ではなく男として見ているのだと背筋が寒くなった。
アルフォンスに婚約者が出来たら、必ず相手に危害を加えるはずだ。母親が用意した姿絵に描かれているのは、高位貴族の令嬢や他国の王女ばかり。彼女達に危害を加えられたら、それが火種となり内乱が起こるか他国と戦となるだろう。
「母親、王太后から見合い話を断る、上手い口実は無いか」
他国の王女の姿絵をテーブルへ放ったアルフォンスへ、苦笑いを浮かべたフィーゴは「そうですねぇ」と首を傾げた。
「殿下に懇意にされている方、恋人でもいらっしゃれば御断りしやすいのでは無いでしょうか」
女性に対して淡白な対応をするアルフォンスだが、別に女嫌いというわけではない。
特定の相手を作らずとも、近付いてくる女性達の間を上手く立ち回っていたアルフォンスは、社交界でも注目の的だった。王太后としたら、後腐れ無い相手と一夜限りの関係を繰り返している息子を案じているのだろう。
「……そうか」
口元に親指と人差し指を当て、何やら考え込んでいたアルフォンスは顔を上げると、ニヤリと口の端を吊り上げた。
火急の用がある、とアルフォンスに呼び出されたカルサイルは、頬を伝い落ちる汗を拭った。
「フィーゴを使って呼びつけるとは、何かあったのか?」
「カルサイル、私が少年を囲っているという噂を流せ」
椅子に座るアルフォンスから前置きもなく言われ、理解が追い付かないカルサイルはキョトンとした後、目と口を大きく見開いた。
「はぁあっ?!」
「舞踏会の度に群がってくる令嬢達の相手も、母上が用意した政略相手を受け入れるのも面倒だ。王妃の愛人になるつもりも全く無い。奴等を諦めさせるには、女は対象外だと思わせればいい。一度リアムを着飾らせ舞踏会にでも連れて行けば周りは納得するだろう」
先日の夜会でハルセイン伯爵との賭けに勝利し、アルフォンスは伯爵の奴隷だった少年を保護していた。
少年、リアムはその日のうちに医師の診断を受け、心身ともに治療と療養が必要だと判断され信頼の置ける者の下で保護している。リアムの証言、体の傷はハルセイン伯爵の未成年者への暴行障害罪の証拠とするつもりだ。
成人を迎えるまでリアムは保護し、いずれは一人立ちさせるつもりだが、それまでは役に立ってもらう。そう告げると、カルサイルは苦虫を噛み潰した顔になった。
「ア、アル、お前なぁ」
馬鹿だろう? と言いたいが言えず、カルサイルはパクパクと口を開閉させる。
「少年を寵愛する私は、結婚相手として相応しくない、と大概のご令嬢は思うだろう?」
「俺はお前の印象を悪くするのは……はぁ、お前のことだ。既に動いているんだろう? “アルフォンス殿下の噂”について訊かれたら否定をするな、ということか。フィーゴも大変だな」
壁際に立ち、始終渋い顔をしている友人へ、カルサイルは憐れみがこもった視線を送った。
✱✱✱
意図的に流した噂の効果は、指示したアルフォンスも驚くほどの早さで貴族中へ広まっていった。
数多の令嬢を魅了していた、麗しの王弟殿下を射止めた相手がまさかの美少年だとは、アルフォンスの婚約者の座を夢見ていた令嬢達からは悲鳴が上がったという。
社交の場へ出る度、一部の男性から送られる粘着質で全身を舐め回すような視線は煩わしくもあったが、妃の座を狙って群がってきた香水臭い令嬢達に比べたら、アルフォンスの精神的負担は雲泥の差があった。
「殿下へ届く贈り物は激減しました。まさか、ここまで効果を発揮するとは。一部の方々は面白可笑しく騒ぎ立てているようです」
女避け以上の効果を狙って噂を流させた上司から、書類を受け取った補佐官は一礼をする。
「ふっ、母上には何を考えているのかと呆れられたがな」
先日、呼びつけられ訪問した王太后宮で、久々に王太后ではなく母親から叱責を受けた。その時の母親が向けた、哀れみが混じった蔑むような眼差しを思い出して、アルフォンスはクツクツと肩を揺らして笑ってしまった。
あの母親が、感情を隠しきれずに嫌悪感を露にするとは、アルフォンスの流させた噂は想定外だったらしい。
「それはそうと、王妃が大人しいのが気になるな」
何か仕掛けてくるかと警戒していたリリアは、補佐官やフィーゴと並んでいるアルフォンスを見てもただ頬を染めるのみ。
あれだけ執拗だったリリアからの接触が、ある時を境に減ったのを訝しく思い暗部を使い調べると、直ぐ理由は判明した。
王太子となったヘンリーが王立学園へ入学した時期に、リリアが学生時代親密な仲だった隣国の王子、現大公との交際が復活していたのだ。
暗部から報告を受けたアルフォンスは、喉の奥から込み上げてきた嫌悪感から嘔気がこみ上げてえづいてしまった。
「どこまでも、貪欲で愚かな女だな」
肉欲に目が眩み、自らを破滅させる罪を重ねているのに全く気付かないとは。
「あと少しだ」
国王が行う政務の大半をアルフォンスが担い、あえて元老院と敵対するように誘導したヘリオットは、影で愚王と評されている。
愚王を退位させ、享楽にふける王妃を断罪する準備は着々と整いつつあった。
(あと少し、あと少しの辛抱だ)
あと少しで、未だにアルフォンスを苦しめている悪夢は終わる。
椅子の背凭れに凭れかかり、アルフォンスは虚ろな瞳で執務室の天井を見上げた。
シュラインの登場までいけなかった。次話までお待ちください(°∀°)




