02.身の振り方について考えてみる
夜会の途中まで、加筆しています。
婚約破棄は両親へ報告してから、正式な手続きをしましょう。とヘンリーを説得して帰宅したシュラインは、人払いをした自室の鏡台の前へ座った。
鏡に映るシルバーブロンドの美少女は自分なのに自分だという実感が薄い。
前世の会社員だった黒髪黒目の平たい顔をした自分と、今世の十八年間生きてきたシュラインの記憶が混じり合い時折頭痛と目眩がしてくる。
(此処はゲームか小説、漫画の世界なのかしら?)
昔よりは緩和されたとはいえ身分制度を重んじるこの国で、男爵令嬢が王太子と恋仲になり公爵令嬢との婚約を破棄させるなど、何かの強制力でも働かなければ不可能に近い。
悪役令嬢ポジションにシュラインという名前の公爵令嬢が登場する作品は、前世の記憶を探っても思い出せ無いことから、シュラインの知らない作品だろうか。
「知らない作品じゃあ対策は練れないじゃない。このまま婚約破棄されたら、お嫁に行き遅れちゃうわね。二十歳そこそこで行き遅れだなんてなぁ。変なの~あはははっ」
可笑しくなって声を出して笑ってしまった。前世の自分は二十代半ばで失恋して、今世は十八で失恋とは。未婚、もしくは婚約者不在で年齢が合う貴族子息はいない。
領地運営を頑張ってみるのも次期公爵は長兄と決定している。結婚を諦めて働くにしても、この国では公爵令嬢を受け入れてもらえない。
「せっかくの高スペックなのに、勿体無い。うん? そうか、他の国へ行けばいいじゃない」
良いことを思い付いたとにんまり笑えば、鏡に映る美少女は艶やかに微笑んだ。
執務机に頬杖をつき報告書を読む、娘のシュラインと同じシルバーブロンドに整った口髭を蓄えたドミトル・カストロ公爵は、眉間に深い皺を寄せ顰めっ面で報告書を読んでいた。
「ー以上が、ヘンリー殿下からの要望、婚約破棄についての報告でございます」
時系列に発言をまとめた報告書から視線を外し、ドミトルは顔を上げて報告書を作成したシュラインを見る。
「成る程。で、シュラインはどうしたいのだ?」
「わたくしは情けない男、不誠実な男は大嫌いですわ」
「未練は、無いようだな」
キッパリ言い切るシュラインにドミトルは苦笑いする。
「明日、王太后様のもとへ訪問出来るように話をつけよう。国王陛下にはどうお伝えするか」
「国王陛下は王妃様の言いなりでしょうから、お父様から了承の旨をお伝えください。今頃、王妃様は「運命の相手に出逢った息子」を称えているでしょうし」
夢見る乙女のような思考を持つ国母とは思えない言動をする王妃と、彼女を諌めようともしない国王は苦手だった。
ヘンリーの婚約者になったシュラインに対して、砂糖菓子のような甘い恋愛感情を息子に抱くことを強要する王妃には王妃教育など行えず、王太后から王妃教育を受けていた。
「そうだな。陛下への報告は私に任せなさい」
苦々しく口元を歪めたカストロ公爵は、執事を呼ぶための呼び鈴を鳴らした。
***
翌日、王太后宮を訪問したシュラインを待っていたのは、若干顔色を悪くした王太后だった。
「国王、ヘリオスが子爵令嬢を娶ると言い出した時も揉めに揉め、そうこうしているうちに令嬢を妊娠させてしまい、王妃教育もほとんど身にならない王妃を誕生させてしまった。次代の国王はそうならないようにとシュラインを婚約者としたのに、ヘンリーが選んだんだのはよりによって男爵令嬢とは」
目を瞑った王太后は額に指先を当てる。
「もう一人子を生むように言っても、「あんなに痛い思いをしたくない」と王妃は泣いて話にならなくてどうしようもなかったの。ヘンリーには厳しく教育したつもりだったけれど、全て無駄だったようね。次期国王について本腰を入れて考えなければならないわ。ヘンリーと男爵令嬢が報告通り享楽的思考ならば、この国を傾ける愚王になりかねない」
「王太后様、このまま婚約破棄されたらわたくしは社交界を離れ隣国へ留学しようかと、」
言い終わる前に、王太后はシュラインの手を握る。
「シュライン、つらい思いをさせてしまってごめんなさい。次の婚約者は、わたくしに任せて頂戴。カストロ公爵家に優位な立場、貴女を絶対に裏切らない者を選ぶわ」
力強く王太后から言い切られてしまい、シュラインは婚約破棄後の希望を伝えられなくなってしまった。
(ヘンリー殿下に婚約破棄してもらっても、王太后様はそう簡単には離してくれなさそうだわ)
引きつった笑みを浮かべたシュラインは、王太后の話に相槌を打ちながら痛む頭を抱えたくなった。
国王、王太后、ドミトルで話し合いが持たれ、王妃の介入もありヘンリーとシュラインの婚約破棄の手続きはスムーズに進んだ。
そして、シュラインが空き教室へ呼び出されてから僅か三日あまりで、二人の婚約は白紙となった。
婚約者では無くなったシュラインは、面倒事を避けるためというドミトルの指示に従い、卒業式までの一月近くの期間、自宅療養という表向きの理由で学園を欠席することとなる。
表向きは体調不良という理由だが、婚約者に裏切られ傷心のあまり倒れてしまったという噂が生徒間で囁かれ、人目を気にせず二人でいちゃつくヘンリーとアリサへ、生徒達は冷めた視線を浴びせかけた。
「やっぱりね」
学園へ通う友人達から送られた見舞いの手紙を読み、シュラインはほくそ笑む。
婚約破棄に異論は無いが、アリサが編入してきてから腑抜けになってしまったヘンリーの尻拭いをしてきたのは誰か、彼は知っているのだろうか。
生徒会長の役目と勉学を放棄したヘンリーが、アリサと仲睦まじく市井で享楽に夢中になっていた尻拭いまでさせられていたことに対し、二人から謝罪や感謝の言葉が一つも無いのは許せない。
せめてもの意趣返しにと、友人達と後輩へ長期欠席について謝罪の手紙を送った。
後は、何もしなくても憤った友人達と後輩から両親へ伝わればいい。彼等の両親は、多少誇張された事実を社交界で広めてくれるはずだ。瞬く間に、ヘンリーとアリサは貴族のみならず、商人達からも“非常識な王太子と男爵令嬢”だと嘲笑される。
描いた通りの展開になり、シュラインは乾いた笑い声を漏らしてしまった。
(“ありがとう”や“すまない”、一言だけでも言ってくれれば祝福したのに、謝ったら負けだとでも思っているのかしら。本当に情けない男だわ)
コンコンコン
ドアがノックされ、読んでいた手紙を封筒へ仕舞う。
「どうぞ」
入室を許可されたスティーブは、シュラインの側まで来ると一礼をした。
「どうしたの?」
「お嬢様、夜会の招待状が届きました」
「どなたからかしら?」
今の状況は中央に近い貴族は周知している。誰からかと招待状を裏返し、そこに書かれた送り主名を確認してシュラインは目を大きく見開いてしまった。
学園の卒業式当日、卒業証書を受け取ったシュラインは友人達への挨拶もそこそこに、急ぎ屋敷へ戻り準備を済ませ夜会会場へ向かった。
卒業パーティーで予定していたドレス姿以上に仕上げると、気合いが入ったメイド達により髪を毛先だけゆるく巻き、少し大人びた化粧をされ背中が開いたイブニングドレスを着たシュラインは、敢えて卒業パーティーと同時刻から開始させた夜会の主催者へ歩み寄った。
「王太后様、お訊きしてもよろしいでしょうか」
「何かしら?」
「何故、わたくしをお招きになったのでしょうか。わたくしはもうヘンリー殿下の婚約者ではありません」
王妃教育のために登城する必要も無く、夜会へ招待される理由が分からない。
真剣な表情で問うシュラインに対し、王太后はクスクス声を出して笑う。
「卒業パーティーに参加しても楽しめないでしょう? 学園の方は国王と王妃が保護者として参列しているから、わたくしが参列しなくとも何も問題無いはずよ。畏まらなくても今宵の夜会は私的なもので、親しい者しか招待していないわ」
王太后が腕を伸ばし示した方を見て、シュラインは「あっ」と小さく声を上げた。
「お父様」
王太后宮へ出掛けるシュラインを見送った時も、父親は自分が招待されているとは一言も教えてはくれなかった。
さらに、父親と話していた人物と目が合い息を飲んだ。
金髪を後ろへ撫で付け、知性に満ちた青翠色の瞳の眉目秀麗な燕尾服姿の青年は、国王の年の離れた弟、アルフォンス殿下。
まだ二十代半ばの、外見は正統派貴公子といった彼に憧れを抱く令嬢も多い。
何故、アルフォンス殿下が此処にいるのだろうかと、シュラインは小首を傾げる。
「アルフォンス殿下まで、どうして」
「エレノアも来たがったけれど、身重ですから諦めてもらったのよ。シュライン、卒業おめでとう」
国王陛下の妹、王太后の長女エレノア殿下は数年前に隣国へ嫁ぎ、つい先日懐妊が発表されたところだった。十年前、ヘンリーの婚約者となったシュラインをまだ王女だったエレノアとアルフォンスは、妹のように可愛がってくれていた。
この夜会と王太后が自分を招いた理由に気付き、じんわりとシュラインの胸が熱くなる。
「ありがとうございます」
掠れた声で感謝の意を伝えるシュラインの瞳には、涙の膜が張っていった。
次話は21時更新予定です。