18.夫と妻の決断
前半、シリアス。後半、イチャイチャしてます。
王宮へ戻ったアルフォンスは、王族の居住区画の惨状を目にして絶句してしまった。
「これは、また」
焦げた臭いが充満した建物の内壁は、煤で真っ黒くなり金銀の華美な装飾も見るも無惨に焼け焦げてしまっていた。
兵達は消火活動で水浸しになったカーテンや絨毯を運び出し、使用人達は炎による被害をまぬがれた什器や室内装飾品を確認するため慌ただしく動き回っている。
「クククッ、凄まじいな」
自己顕示欲が強く、自己中心的な我儘で過激な女だと知ってはいたが、ここまでやらかしてくれるとは。アルフォンスの口から乾いた笑いが漏れた。
「申し訳ありません。王妃が捕縛に抵抗して火を放ちまして。幸いにも小火で済みましたが……」
国王一家の居住区画以外の延焼は防げたが、内装のほとんどが焼け焦げてしまった王と王妃の部屋は大掛かりな改装が必要になるだろう。
「まぁいい。いずれ全て改装するつもりだったからな」
王妃の好みでフリルや花柄に飾り立てられていた部屋は、アルフォンスからしたら少女趣味全開で国王と王妃の部屋にしては趣味が悪過ぎるとしか思えなかった。しかし、ここまで短慮で愚かな女だったとは。
アルフォンスの眉間の皺が深くなっていく。
「火を放てば多くの者が犠牲となるというのに、全く救いようがない女だな。それで、王妃はどうした?」
「すぐに拘束し、今は北の棟へ拘置しています。錯乱状態で、意味の分からないことを口走っているとか」
「多少手荒な扱いとなっても、自害はさせるなよ」
周囲の進言を聞き入れず、あの女を王妃の座に据え続けていた国王に対しても、怒りの感情が沸々と沸き起こってくる。
「陛下はどうした?」
感情を排除した無表情となったアルフォンスの声から、底冷えする怒りの感情を感じ取った騎士は、ゴクリと唾を飲み込む。
「すでにいらっしゃっています」
騎士に先導されて入った会議室は重く沈んだ雰囲気に満ちていた。
円卓には元老院議員達が勢揃いし、上座に座った疲れきった表情の国王はアルフォンスへ視線を向けた。
「兄上、お待たせしてしまい申し訳ありません」
「随分と遅かったな。お前が居ない間に色々あったのだよ」
「派手な火遊びをしたそうですね」
冷笑を浮かべたアルフォンスの言葉に、こめかみを押さえた国王は深い息を吐いた。
「全て覚悟の上か?」
「ええ。既に元老院からは承認され、高位貴族達も納得済みです」
学生時代に兄がやらかした婚約破棄騒動で王族への不満を露にし出した貴族達の様子に、アルフォンスはこのままでは内乱が起こるという危機感を抱いていた。成人となった頃より足固めを進め、ヘンリーがシュラインの婚約を破棄した時には覚悟を決めた。
「我等と共に我が国の未来を憂いでくださったのはアルフォンス殿下でございます。我等はアルフォンス殿下のご意志に従います」
元老院議員長の言葉に、議員達も揃って頷く。
「王妃の捕縛は、度重なる浪費、我が妻への暴行、隣国の王族との密通容疑、このままでは反乱が起こりかねませんでしたから。ああ、王宮への放火の罪が加わりましたか」
淡々と王妃の罪状を並べるアルフォンスからの圧力に耐えきれず、国王は両手で顔を覆った。
「まだリリアは彼奴と繋がっていたのか」
「兄上、貴方の最大の過ちは王立学園が始まって以来の不祥事、王太子だった兄上、高位貴族子息や隣国の王子を虜にし、王太子の婚約破棄騒動を引き起こしたような女を王妃に据えたこと。さらに、そんな女に自由を与えすぎたことでしょうか。私ならば欲しい女の逃げ道を全て塞ぎ、囲いこみますよ」
顔を覆っていた手のひらを外した国王は、諦めたように自嘲の笑みを浮かべた。
「私が退位しなければ、反旗を翻すのはお前か、アルフォンス」
その問いには答えず、アルフォンスは元老院議員長へ目線で合図を送った。
頷いた元老院議員長は椅子から立ち上がり、懐から一枚の書状を取り出した。
「此度の王妃が犯した罪の一端は陛下にも責があります。享楽に狂う王妃を諌め、増長させなければ、臣下の声に耳を貸してくだされば、我等はここまではやらなかったでしょう」
国王へ見えるよう、議員長は書状を両手に持ち広げた。
「兄上、国王として最後の責務を果たしてもらおう」
書状に書かれた内容、高位貴族達の署名を目にした国王は力無く項垂れた。
***
カーテンの隙間から射し込む光が眩しくて、目蓋をうっすら開いたシュラインは霞む視界で見えたモノへ、やわらかく微笑み目蓋を閉じて体を擦り寄せた。
(あれ……?)
ガバッと、勢いよく目蓋を開き、隣に寝ている人物が誰と確認して大きく目を見開いた。
(ひいぃっ?!)
驚きのあまり上半身をビクッと動かしてしまったが、叫び声だけは何とか喉の奥に押し止めた。
早鐘を打つ心臓を落ち着かせようと、剥き出しの胸へ手を当て深呼吸を繰り返す。
深呼吸のおかげで、落ち着いてきた動悸に安堵してゆっくりと顔を上げた。
しっかりとシュラインの腰を抱いて眠るのは、昨日までは名ばかりの夫だと思っていたアルフォンス。
彼と共に朝を迎えたことは、初夜と媚薬を盛られた夜と、今回のみ。初夜は、さすがに別々に眠るのはどうかと同じベッドで眠ったが、ベッドの端と端に別れて眠り、触れられることもなかったため回数には入らないかもしれない。
媚薬を盛られた翌朝は、シュラインは混乱して取り乱していてしまい、侍女達から聞いていた情事後の甘ったるい雰囲気を味わう余裕など無かった。
(うぅ、わたくし、昨夜はアルフォンス様と……)
昨夜の情事を思い出してしまい、シュラインは羞恥で全身を真っ赤に染める。
熱を持つ熱い頬へ手のひらを当て、しっかり目蓋を閉じ眠るアルフォンスを見詰めた。
(羨ましいくらい綺麗な肌だわ。綺麗な顔、睫毛も長い)
今まで体を密着させたことはあっても、意識してアルフォンスの顔を見詰めたことは無い。昨夜、初めて触れた彼の髪は見た目以上にやわらかく滑らかだと知った。
きめの細かい肌に長い睫毛が影を落とし、薄い唇は少しだけ開き、時折浅い息を吐く。
実年齢よりずっと幼い寝顔は可愛らしく見えるのに、目元に出来た隈が彼の蓄積した疲労を物語っており、シュラインは腹部へ回された大きな手に自分の手のひらを重ねた。
昨夜、アルフォンスが王宮から帰ってきたのはシュラインが眠気に負けかけ、ソファーに凭れて微睡んでいた深夜だった。
扉の開閉音で目を覚ましたシュラインへ向かってアルフォンスは「すまない」と、眉尻を下げ疲れきった表情で微笑んだ。
「おかえりなさい」
覚醒しきっていない思考で発した声は掠れていて、ソファーから立ち上がり一歩を踏み出したのはいいが脚に力が入らず、クラリと体が傾ぐ。
「シュラインッ!」
よろけたシュラインをアルフォンスが腕を伸ばして抱き止める。
そのまま抱き寄せられアルフォンスと視線が合った瞬間、シュラインは彼に抱き締められていた。
目を閉じれば唇へやわらかくてあたたかな感触が触れる。
シュラインの反応を確かめながら触れる唇は、徐々に食むようなものへと変わっていった。
それ以降は、アルフォンスに甘やかされとてつもなく甘美で蕩けるような時間を過ごした、としか表現できない。
思い出すだけで両手で顔を覆い、ベッド上を転げ回りたくなってしまう。
「アルフォンス様……」
目蓋を閉じたままの綺麗な顔へ手を伸ばす。
そっと指先で頬へ触れ、形の良い唇へ触れたいのを我慢して鼻先へ触れる。そのまま、人差し指と親指でギュッと鼻を詰まんでやった。
鼻を詰まんでから数十秒後、アルフォンスの肩が小刻みに震え出し「ブハッ」と、声を出して口を大きく開いた。
「はぁ、はぁ、こらっ」
荒い息を吐くアルフォンスは少しも寝惚けた様子は無く、自分の鼻を詰まんでいたシュラインの指を絡めとる。
「狸寝入りなんてしているからでしょう」
クスクス笑うシュラインを見たアルフォンスは、ぐっと唇を噛み目を瞑った。
「どうしたの?」
「やはり、私の妻は可愛い。と、再確認した」
「なっ」
起き上がりかけたシュラインの上半身をベッドへ押し留め、アルフォンスは「可愛い」と呟くとリップ音を立てながら顔中へ口付けを降らした。
足腰に力が入らず歩くのもやっとという状態のシュラインは、アルフォンスに抱き上げられて寝室から移動した。
二人とも素肌にガウンを羽織っただけなのは恥ずかしくて、着替えをしたいと訴えたのだが全く聞き入れてもらえず、シュラインは横抱きされたままアルフォンスの膝へ座らされる。
テーブルにはいつの間にか用意されていた遅い朝食。スープからは湯気が立ち、出来立てのチーズオムレツも並ぶ。
(そういえば誰も起こしに来なかったな)
今も、部屋には使用人は居らず二人きりだ。
昨夜から今朝の様子を使用人達は知っているのだと思うと、シュラインは居たたまれない気分になり身を縮めた。
親鳥ならぬアルフォンスが甲斐甲斐しく口元へ運ぶ朝食を咀嚼して飲み込む。
全ての料理は食べやすい一口サイズにカットされており、使用人達の気遣いを感じさせた。でもこの後、彼等に会うときどんな顔をしたらいいのか分からない。
アルフォンス自ら食後の紅茶を淹れてくれ、シュラインはようやく彼の膝の上から解放された。
「今更だけど、貴方は狡いわ」
隣へ座るアルフォンスを見上げ、シュラインは唇を尖らす。
「あんな場面で「抱きたい」だなんて言われたら、断れないじゃない」
昨日、誘拐監禁された屋敷で彼がシュラインの耳元で囁いた言葉。
『話がまとまり次第宮殿へ戻る。その後は、貴女を抱きたい』
直接的な言葉は嫌では無く、それどころか嬉しかった。
婚約者だったヘンリーを奪ったアリサから誘惑されても振り払い、可愛がっていたリアムより自分を選んでくれた事実が嬉しくて。
何よりも、アルフォンスのことを“好ましい”と、シュライン自身も“欲しい”と思ってしまったことに気付き、彼の帰りを待っていた。
「嫌だったか?」
身を屈めたアルフォンスの手が頬を包み込むように触れる。
「……嫌じゃない」
積極的に彼を受け入れてしまったのに、今さら嫌だと言うはずないじゃない。自ら彼を受け入れてしまったら、酷薄そうに見える彼の熱を知ってしまったら、自由が遠ざかるというのに。
分かっているのに、ニコラスに触れられた部分の上書きをアルフォンスに頼んでしまっていた。
(それにあんな顔をされたら、好きになってしまうわ)
つい、「もっと欲しい」とねだってしまった時の嬉しそうな笑顔は、胸がきゅうっと締め付けられるくらい可愛かったから。
「「アルフォンス様はわたくしの旦那様」だったか?そんな可愛らしいことを言われたら、我慢出来なくなるだろう」
ガバッ、勢いよくシュラインは顔を上げた。
「ちょっ、聞いていたの?!」
悲鳴に似た声を出して耳まで真っ赤に染まる。
「私の妻は可愛いな」
椅子から立ち上がり顔を背けようとするシュラインを抱き寄せ、アルフォンスは額と唇へ口付けを落とした。
「シュライン、偽装ではなく正式に私の妻となって欲しい。私の横に立つのは貴女以外に考えられない」
「お断りします」
即答して頭を下げれば、ピシリとアルフォンスは固まる。
「大事な話はちゃんとした場所、そうね、わたくしに求婚してくださるのならば、契約を持ちかけてくださったあの時と同じ庭園でしてください。それから、二年後も結婚生活を続けるか、二年後貴方と離婚するかを考えます」
裸にガウンを羽織り朝食後という、雰囲気もあったものではない状況で言われても頷けない。
にっこりと微笑むシュラインとは対照的に、苦渋の表情を浮かべてアルフォンスは頭を抱えた。
頭を抱えていた時間は十数秒ほど。アルフォンスはクツクツと喉を鳴らして笑った。
「最初からやり直しが必要か。当然、だな」
顔を上げたアルフォンスを見て、シュラインは「ひっ」とひきつった悲鳴を上げた。
「君をどろどろに甘やかして、私の愛を徹底的に知ってもらうことにするよ」
愉悦の表情で恐すぎる発言をしたアルフォンスの瞳に、仄暗い光を見付けてしまいシュラインは背中に冷たいものが走った。
(ヤバイ、変なスイッチを入れちゃったかも……)
冷徹な王弟殿下の危険なスイッチを押してしまったようだと、シュラインは涙目で対抗策を考えるのだった。
「お断りします」は、散々利用されたことに対する、シュラインからのアルフォンスへのプチざまぁです。でも、これじゃあスッキリはしないかな。
これ以降は、アルフォンス様は本気で落としかかると思います。
次話は別視点の話となります。
家族サービスはキャンプです。ひたすら疲れました(*_*)