17.誤魔化せない想い
呆然と立ち尽くすリアムに目もくれず、シュラインの傍へ行ってしまったアルフォンスの背中へ、悲痛な声を上げて彼は手を伸ばす。
「アル様! 待って!」
指先がジャケットへ触れる寸前、背後から現れた武骨な手がリアムの腕を掴む。
手の主の強い力により、リアムはアルフォンスから引き離され手首を捻りあげられてしまった。
「うっ、アル様、僕より奥様を選ぶの?」
騎士に捕らえられ拘束されたリアムは、瞳に涙を浮かべすがるようにアルフォンスへ問う。
羽織っていたジャケットを脱ぎ、シュラインの肩へかけたアルフォンスは、首だけ動かしてリアムの方を向く。
「私は十分可愛がっていたはずだ。何が不満だったのだ」
「可愛がってはくれたけど、着飾っても抱いてくれなかったでしょう」
声を震わすリアムの姿は、痛め付けられた弱々しい美少女にしか見えず、彼の腕を拘束する騎士の力が弱まる。
泣き笑いのような表情で問うリアムを見ても、アルフォンスの表情から険しさは消えず、眉間の皺が深くなっていく。
「……私は香水臭い女も、情に訴え懐へ入ろうとする、あざとく媚を売ってくる者も嫌いだ。見た目に騙されるなよ」
「申し訳ありませんっ」
リアムを拘束している騎士は慌てて手の力を強める。
「お前の境遇と植え付けられた考えは憐れだとは思うが、やってはならぬ一線を越えてしまった以上、もう許されない」
恋慕と嫉妬だけならば、自分へ依存してくるだけならば、アルフォンスはリアムの身元引き受け先を優良貴族や豪商の中から探すつもりだった。
「王妃と男爵令嬢に唆され手を貸し、私の妻を誘拐監禁し痛め付けた罪は重い。お前は法により裁かれなければならぬ」
視線をさ迷わせ、リアムは事態を打開出来る方法を探す。しかし、泡を吹いて床へ倒れるニコラスは騎士達の手で縄で簀巻きにされている。
この場から逃亡したくとも、腕を拘束する騎士と新たに両脇を騎士達に囲まれ、リアムは身動ぎすら出来なくなった。
「罪人を連れていけ」
「アルさまぁ! 僕の、僕の話を聞いて!」
涙を流してリアムは抵抗するも、聞き入れられることはなく騎士達に引き摺られて行った。
破壊された扉から入った風がカーテンを捲り、満月の光が薄暗い室内へ入り込む。
「アルフォンス様、その、良かったのですか? 貴方は彼のことを大事にされていたのでしょう」
言いながらシュラインはアルフォンスを見上げる。
髪は乱れているものの、彼のシャツは少しも乱れておらず、情交の痕跡だと思われるものは一つも無い。
ほぅと、シュラインは安堵の息を吐いた。
「良いも何もリアムは罪を犯した。それに大事な、王妃一派を叩き潰すための証人でもある」
フッと弱々しく笑ったアルフォンスは、膝を折り身を屈める。
目線が同じになり、切なそうに眉尻を下げた彼と視線が合い、シュラインの心臓がドキリと跳ねた。
「シュライン、無事で良かった」
壊れ物を扱うように、アルフォンスはシュラインを優しく抱き締める。
普段は、ミントのような爽やかな香りがするアルフォンスの体から汗の臭いがして、彼が全速力で駆け付けてくれたことが分かった。
ニコラスに抱き上げられた時は、鳥肌が立つくらい気持ちが悪くて堪らなかったのに、アルフォンスの香りと体温に包まれる安心感でシュラインの体から力が抜けていく。
(ああ、わたくしはいつの間にか、こんなにも彼に心を許していたのね)
リアムからアリサの企みを知らされた時、ニコラスから押し倒された時、一番最初に浮かんだのはアルフォンスの顔だった。
これはもう、認めざるをえない。
「助けに来てくれて、ありがとうございます」
抱き締めるアルフォンスへもたれ掛かり、彼の胸へ顔を埋めて目蓋を閉じた。
腕に抱くシュラインの髪を撫でたアルフォンスは、彼女の手首の傷を確認して顔を顰めた。
拘束により痺れて感覚が戻らない腕は力を無くし、縛っていた紐が擦れて出来た擦過傷と内出血で手首は変色している。
傷付いた手を包み込むように握ると、ピクリとシュラインは肩を揺らした。
「スティーブ、シュラインを連れて宮殿へ戻れ」
「アルフォンス様は?」
埋めていた顔を上げたシュラインの頬を、アルフォンスは人差し指で撫でる。
「この後処理と、済ませなければならないことがある」
「後処理、ですか?」
至近距離でアルフォンスの顔を見てハッとした。目元が赤く顔色も悪い彼の表情は、明らかに普段より精彩が欠けているようだ。
「顔色が悪いですわ。もしや、アリサ様に何かされたのですか」
まさか、との思いで胸が苦しくなる。先程、リアムはアリサが薬を使いアルフォンスを誘惑して彼を手に入れるつもりだと、言っていなかったか。
(もしも、わたくしが以前盛られた薬、媚薬を使われていたら)
媚薬を使ったアリサの企みが未遂で済んだとしても、自分を見失い記憶が無くなるほど媚薬の効果は強力だと、シュラインは身をもって体験した。その効果とアルフォンスは今も抗っていることになる。
鋼の精神力を持っていたとしても、その苦しみは想像を絶するもののはず。
「少し誘惑されただけだ。すでにあの女は王族に対する不敬罪で捕らえた。私が色仕掛けされて引っ掛かる相手はシュラインくらいなのに、愚かな女だ」
「も、もうっ、アルフォンス様ったら!」
真っ赤に染まるシュラインの頬へ触れていたアルフォンスの手が動き、親指の腹で彼女の唇をなぞる。
「フッ、本当のことだよ。……今、シュラインと共に居たら、私は自分を抑えられなくなる」
「えっ?」
「シュラインを甘やかしてあげたいのだが、兄上と話をつけてこなければならない。私が居なければ話が進まないのでね。話がまとまり次第宮殿へ戻る。その後は、」
顔を近づけ耳へ触れたアルフォンスの唇から流し込まれた言葉。その意味を理解して、シュラインは大きく目と口を見開いた。
「え、あ」
「駄目か?」
切なく沈んだ声で、懇願するように言われてしまえば「嫌」とは言えない。
「お帰りを、お待ちしておりますわ」
これから重大な話し合いをしなければならないアルフォンスへ、もう少し気のきいた想いを伝えてあげたいのに、これがシュラインの精一杯の激励。
全身を真っ赤に染めたシュラインは、肩にかけられたアルフォンスのジャケットを、まだ力の入らない指先で手繰り寄せてブラウスの釦が所々とんではだけた胸元を隠した。




