16.絶体絶命の危機にヒーローは現れるか
腕を絡ませるアリサから香る、甘ったるい香りが濃くなっていく。
噎せそうになったアルフォンスが、緩慢な動作でジャケットの内側へ手を伸ばした時、勢いよく扉が開いた。
「アリサ! これ以上は駄目だ!」
悲鳴に近い声が響き、ビクリッとアリサが体を揺らした。
アリサの気が逸れた瞬間を見逃さず、アルフォンスの手が彼女の体を容赦なく床へ投げ飛ばした。
「きゃあぁっ!」
絨毯敷きとはいえ、受け身も取れずに体を強かに打ち付けたアリサは悲鳴を上げる。
「う、うぅ」
痛みのあまり直ぐには動けずに、涙を浮かべたアリサは小さく呻いた。
媚薬に侵されたアルフォンスが欲にのまれ、アリサを組み敷き彼女を貪り始めたら隣室へ待機させていた侍女が部屋へ踏み込む、というシナリオだったのに。
直前になり計画に難色を示し、部屋から遠ざけていたヘンリーの登場で、アリサの頭の中は大混乱となる。
「なんでっ」
痛みで起き上がれずに顔だけを上げたアリサへ、嫌悪感を露にした表情のアルフォンスは悠然と立ち上がった。
「フンッ、あと十数秒遅かったら斬っていたぞ」
ジャケットの内側から取り出した懐刀を見て、ヘンリーの顔色は蒼白になる。
「何故、アルフォンスは動けるの?! 何故、ヘンリーは私の邪魔をするのよ?!」
怒りで顔を赤く染めたアリサの側へ近付くこともせず、扉の前で立ちすくんだヘンリーは苦痛に顔を歪めた。
「何故、だと? 愛した女が易々と他の男に抱かれるのを許す愚かな男だと、貴様はヘンリーを軽んじていたのか!」
「ひっ」
アルフォンスの怒号を受けアリサは体を震わせる。
「殿下! ご無事ですか!?」
バタバタと足音を響かせ参上した騎士達により、床に倒れたままだったアリサは無理矢理立たされる。
「貴様が私を手に入れようと動いていると、ヘンリーが苦悩の末に告白したのだ。以降、貴様の行動は全て影に監視されていた。王妃を上手く操り隠れ蓑にして、シュラインを傷付けようとするお前を野放しにしているわけがなかろう? だが、まさか私に媚薬を盛ろうとするとは。幼い頃より兄上から疎まれてきた私は、生き延びるために毒への耐性をつけてきた。大概の毒は効かんよ」
クツクツ喉を鳴らすアルフォンスは、シュラインには決して見せないであろう残忍ささえ感じさせる冷笑を浮かべた。
「もっとも、媚薬はヘンリーの手で効果を薄められていた。とはいえ、王族を害そうとするとはな。この場で切り捨てられても仕方あるまい」
シュッ、カランッ
懐刀を鞘から引き抜いたアルフォンスは鞘を放り投げた。
放たれる鋭い刃のような殺気に、比喩でなく室内の温度が下がっていく。
「嘘よ、私はヒロインなのに。何で、何で、私を好きになってくれないの?」
目を見開いたままアリサは、懐刀を握るアルフォンスを呆然と見上げた。
「何のことだ? 狂ったか」
吐き捨てたアルフォンスは、床へ落ちて割れたティーカップの破片をバキリッと踏む。
「叔父上!」
騎士に腕を拘束されたアリサの側へ駆け寄ったヘンリーは、アルフォンスの足下へ跪く。
「どうか御慈悲を、この場で命を奪うことはお待ちください」
懇願するヘンリーの姿に、チッとアルフォンスは舌打ちした。
「その女の処罰は後だ。フィーゴ、任せたぞ」
「はっ」
罠だと分かっていて主を行かせることに最後まで反対していたフィーゴは、何か言いたげに口を開きかけてグッと堪え、頭を下げた。
「アルフォンス! 待ってよ!」
乱れたジャケットを整え、部屋から出ようとしたアルフォンスの背中へ、アリサは声をかけた。
「今頃、シュラインはリアムに凌辱されているわよ。ぐちゃぐちゃにされても、貴方の妻でいられるかしら! あははははっ!」
「ア、アリサッ」
ゲラゲラ笑いだしたアリサの異様な様子に、彼女を庇っていたヘンリーも顔色を青くする。
「黙らせろ」
「あははは、むぐぅっ」
騎士の一人が猿轡を噛ませても、アリサは唸り声を上げ続けた。
連行されていくアリサとヘンリーを見送り廊下へ出ると、別室へ向かう元老院議員達と視線が合った。
元老院議員達が頷いたのを確認して、アルフォンスは走り出した。
***
背中を押さえられて床へ這いつくばるシュラインは、顔を上げてリアムとニコラスを睨んだ。
「うぅ、誰が貴方達なんかにっ」
「フフフッ、此処には助けも来ないし、逃げられないんだからさ。諦めてニコラスを受け入れて楽しみなよ」
腕組みしてベッドの脇に立つリアムは嗤う。
「触らないでっ! そんなの嫌に決まっているでしょう!」
自由に動かせる両足をバタバタと動かして、必死の抵抗をするシュラインの肩を掴んだニコラスは、簡単に彼女の体を仰向けにひっくり返す。
目を白黒させるシュラインを縦抱きに抱え、ベッドへと歩き出した。
「危ないので暴れないでください。奥様も床の上でしたくはないでしょう」
普段寝ているベッドとは違う、木組みの固い感触が伝わる敷布へと下ろされる。
ぎしり、ベッドを軋ませて無表情のニコラスはシュラインの上へ覆い被さった。
「やぁ、止めてっ」
首筋を撫で下ろし、胸元へと触れる手から上半身を捻って逃れようとするも、ブラウスの胸元を飾るフリルを引っ張られてビリビリ布が破れる音がする。
強い力で体を押さえ付けるニコラスからは、優しさなど欠片も感じられない。
淡々と作業をこなすように彼はブラウスの釦を外していく。シュラインが抵抗する度に釦が取れて敷布の上へ転がった。
(怖いっ! アルフォンス様は、優しかったのに)
じわり、滲み出た涙で視界が歪む。瞳から涙が零れ落ちないよう、シュラインは下唇を噛んで堪えた。
ブラウスの釦が全て外れ、下着から零れんばかりの白い胸が露になる。
息を荒くしたニコラスの視線が気持ち悪くて、両足をバタバタと動かして抵抗した。
必死で逃れようとするシュラインの姿を見て、リアムは「あれ?」と首を傾げた。
「何故嫌がるの? 奥様は離婚したいんでしょ? アル様をアリサ様に譲って国外へ行けばいいじゃないか。それがハッピーエンドでしょ」
『ハッピーエンド』、その言葉を耳にした瞬間、シュラインの全身の血液が沸騰した。
「いいわけあるかぁー!!」
ドカッ!
叫びと共に動かせる部位を全力で動かした結果、丁度体を浮かせたニコラスの胯間へシュラインの膝が勢いよく当たった。
「ぐへぁっ?!」
潰れた蛙のような呻き声を上げたニコラスの顔面は土気色になり、脂汗を額に浮かべシュラインの胸へ顔を埋めた。
「ひぃっ?! は、離れなさーい」
両足でニコラスの腹部を蹴りまくり、彼の体はベッドの下へと転がり落ちる。
「何で二度もアリサなんかに譲らなきゃならないのよー! ヘンリー殿下だけで満足しなさいよっ! アルフォンス様は駄目っ! わたくしの旦那様なのよっ!!」
ドキャッ! バァンッ!!
叫びに呼応するように、部屋の外から轟音が響き、扉が木っ端微塵になる。
飛び散る扉の破片はリアムを襲い、彼は痛みと衝撃に口と目を大きく見開いた。
「なんっ、あぁっ?!」
振り返ったリアムは、破壊された扉から現れた黒い影に顔面を殴られ床へ転がる。
「シュライン様っ! ご無事ですか?!」
「スティーブ?!」
悲痛な声を上げて部屋へ飛び込んできたのは、今にも泣き出しそうな顔をした従者だった。
ベッドへ駆け寄ったスティーブは、ブラウスの前がはだけたシュラインを直視しないよう目を逸らしながら、手首を縛る紐を慎重に外す。
「く、見張りは、どうした」
殴られた際に切れた唇を押さえ、リアムは立ち上がった。
屋敷の内と外には、アリサが用意した数人の兵士が警備にあたっていたはずなのに。
「お前達の協力者は全て捕らえた」
気配も無く扉の方から発せられた声。
弾かれたように振り返ったリアムは、幽霊でも見たかのように驚愕のあまり固まった。
「何で、何で、アル様が……アリサ様は、どうして」
「アリサとかいったか、あんな女に私が誘惑されると思っていたのか?」
眉一つ動かさず、アルフォンスは酷薄さを感じさせる表情で答える。
硬直するリアムへ目もくれず、ベッドへ向かったアルフォンスは先程とはうって代わり、スティーブに支えられ上半身を起こしたシュラインへ慈しみを込めた、優しい笑みを向けた。
「シュライン、よく泣かずに耐えたな」
「アル、フォンスさまっ」
震える声でアルフォンスの名前を口にして、シュラインの瞳からは堪えていた涙が零れ落ちた。
時系列として、
アルフォンスがアリサを捕らえた後、全速力でシュラインを助けに向かう/シュラインは気絶中
→アルフォンスが屋敷に到着/シュラインはニコラスに襲われる
→一足先に先にスティーブがシュラインが捕らえられていた部屋の扉を破壊......といった流れです。分かりにくくてごめんなさい。