14.まさかの展開に震える
がさがさと、早足で近付いて来る足音にシュラインは拳を握って身構える。
がさりっ、
生け垣を掻き分けて人影が目前に現れ、シュラインは「ひっ」と悲鳴を上げかけた。
「シュライン様」
全身を強張らせて固まるシュラインへ、突然現れた人物はやわらかく微笑む。
「お怪我は良くなりましたか?」
鈴を転がしたような甘ったるく可愛らしい声と、風に靡くストロベリーブロンドの長髪を目にして、止まっていたシュラインの思考が動き出す。
「なっ、アリサ様? 何故此処に?」
外出用のシンプルなクリームイエロー色のワンピースを着たアリサは、驚くシュラインの薄く内出血の色が残っている頬を凝視した。
「私ね、シュライン様に謝りたくて来たの」
「何を、でしょうか?」
先触れ無く現れたアリサの考えが分からず、シュラインの口から硬い声が出た。
「この前、王妃様が貴女に酷い事をしたでしょう? あの時、止められなくてごめんなさい」
謝罪の言葉を口にするアリサは、確かに口調だけでなく表情からも謝罪の気持ちを感じられる。だが、妙な違和感を覚えてシュラインは一歩後ろへ下がる。
「それから」
視線を逸らし数秒口ごもった後、アリサは苦笑いを浮かべた。
「王妃教育を受けてみて、私は王妃に向いてないって、王妃になるのを諦めた方がいいって分かったの。シュライン様はよく耐えられたわね。厳しい王太后から庇ってくれないヘンリーへの恋心も半減してきたし、王妃教育はもうしたくないって思っているの。だから、もうヘンリーはいらない。貴女に返すわ」
王太子を「いらない」と笑顔で言うアリサに、シュラインの背筋を冷たい汗が流れ落ちた。
「だから代わりに、アルフォンスを私に頂戴?」
「な、んー?!」
突っぱねようと口を開いたシュラインの鼻と口元に、背後から布が当てられる。
抵抗しようと、口を押さえる手の甲に爪を立てるが、布を当てる腕の主、庭師の青年の腕は外れてくれない。
鼻の奥が刺激される臭いがした瞬間、シュラインの意識はプツリと途切れた。
***
やわらかそうな肩までの亜麻色の髪をした、アーモンド形の大きな瞳の可愛らしい後輩を背中に庇い、黒髪黒目の青年はシュラインを睨み付けていた。
「お前は可愛いげの一つも無いし、浮気されても仕方無いじゃないか」
悪びれもしない彼と、彼の背中に隠れている後輩の勝ち誇ったニヤついた笑みに全身の血が沸騰しそうになった。
こんな女に言い寄られて、アッサリ結婚間近の彼女を捨てる男と付き合ってしまった自分の見る目の無さに情けなくなり、溜め息を吐いてしまう。
「お前は俺がいなくても大丈夫だろうけど、彼女は俺がいなきゃ駄目なんだ」
「はいはい、そうですか。お幸せに」
半ば投げやりな言い方で吐き捨てると、元恋人達はグニャリと歪み別の色彩を纏っていく。
黒髪黒目の青年は金髪碧眼の王子様、ヘンリーへ、亜麻色の髪の後輩はストロベリーブロンドのアリサへと変わる。
「シュライン様申し訳ありません。私が、私がヘンリー様を好きになってしまったせいなのです」
「アリサ、君は悪くない。僕が君を選んだんだ」
「ヘンリー様」
新緑色の大きな瞳を潤ませ、謝罪の言葉を口にしたアリサの肩をヘンリーが優しく抱く。
「運命の恋、ですか。そのような方に巡り逢えて良かったですね」
祝福してあげようと口を開いたのに、出てきたのは皮肉混じりの言葉。ヘンリーに対して恋心は無くとも、婚約破棄を告げられて全く傷付かなかったわけじゃない。
前世の記憶が戻ってから、王太子から婚約破棄された自分には恋愛結婚なんて期待しても無駄だと理解していたのに、いつか誰かに愛されるのではという、僅かな希望を捨てきれない自分もいたのだ。
涙が零れてしまいそうで、シュラインは二人へ背中を向けた。
「シュライン」
聞き覚えのある耳馴染みの良い声が聞こえ、弾かれたように振り返る。
其処に居たのは、ヘンリーではなく名目上の夫。
硝子玉のような冷たい光を宿した瞳で、アルフォンスはシュラインを見下ろす。
「何故、貴方が此処に?」
「だって、ヒロインの私がアルフォンス様を欲しくなっちゃったんだもの」
呆然とするシュラインへ見せつけるように、アルフォンスの後ろから現れたアリサは彼の腕を両腕で抱き締めて、愉しそうに嗤った。
***
身動ぎした拍子に、硬い何かに肩が当たりシュラインの意識が浮上していく。
霞む視界で確認出来たのは、硬く冷たい木の床。
床の上に横向きに寝ていた体の、下敷きになっている腕を動かそうとしても、痺れて動かせない。
無理矢理指先を動かして、ズキリという鈍い痛みが手首に走り意識がはっきりしてくる。
「えっ?」
自分がどんな状態になっているか、体の痛みから理解したシュラインは大きく目を見開く。
指先は動かせても腕が動かせないのは、両腕は後ろ手に縛られているためで、床板の冷たさを肌に感じるのは床の上に寝転がされているからだった。
「何、これ……」
後ろ手に縛られている状態では、もがいて体の向きは変えられても起き上がることは出来ない。
それでも周囲を確認しようと、シュラインは上半身と首を動かしてカーテンが閉められた薄暗い室内を見渡した。
カビ臭く埃っぽい室内には、一人寝用のベッドとランプが置かれたサイドテーブルしか無く、あまり使用されていない使用人の部屋のようだ。
(これはよくあるパターン、誘拐ってやつかしら? 目的は、おそらく……)
意識を失う前の事を思い出し、シュラインは下唇を噛む。
突然、庭園へ現れたアリサ。彼女はアルフォンスを「頂戴」と言ってきた。庭師の青年が協力者ならば、見慣れぬ執事も彼女の手の者なのか。
(まさか、アリサは。一体、何を考えているのよっ!)
ガチャリ、ギィ……
両手首を縛っている紐を外そうとして、指を伸ばし紐の結び目を引っ張っていると、金具を軋ませて扉が開く。
室内へ入ってきた人物の足音と共に床板が振動する。
緩慢な動作で顔を上げたシュラインを足音の主は見下ろした。
「目が覚めた?」
肩までのやわらかそうな栗色の髪と大きな瞳、小動物を彷彿させる可愛らしい顔立ちは、前世の恋人を奪っていった後輩に似ていた。ただ彼女と違うのは、少し低めな声と性別。
「はじめまして、奥様」
腰を折り顔を近づける彼の首には、女性には無い喉仏があった。
「貴方は、リアム様?」
顔を上げたシュラインを見下ろし、彼は薄紅色の形の良い唇を上げて肯定の笑みを作る。
「何故、わたくしを……」
「何故って、僕はずっと貴女に会いたかったんだよね」
膝をついて身を屈めたリアムの親指と人差し指がシュラインの顎を掴む。
「奥様を庭へ誘い出したニコラスは、僕のことが大好きなんだよ。体を許して好きに抱かせてあげれば、何でも言うことを聞いてくれるんだ。今回も僕のお願いを聞いてくれて奥様を誘い出してくれた」
「何、それ」
顎を掴むリアムの親指が、唖然と呟くシュラインの唇をなぞる。
「アル様、成人したのだからもう一人立ちしなさいって僕に言うんだよ。結婚しても変わらず可愛がってくれると思ったのに、酷いよね」
クスクス笑うリアムの目は全く笑ってはおらず、更に彼はシュラインの顔に自分の顔を近付ける。
「ねぇ、女嫌いのアル様を落とすだなんて、どんな手を使ったの? 僕がどんなに誘惑しても駄目だったのにさ」
「どんな手を、と聞かれても分からないわ。わたくしは偽装結婚のつもりだったのに、アルフォンス様がぐいぐい来るのだもの」
見た目は美少女でも顎を掴んでる指の力は強い。
互いの息を感じ取れるくらい近い距離で、偽装結婚とはいえ夫の恋人と見詰め合うのに耐えきれずシュラインは目を逸らした。
「でもね、もうじきアル様と奥様は離婚することになるんだ。今頃、アリサ様が薬を使ってアル様を夢中にさせているよ」
「えっ?」
逸らしていた視線を戻し、シュラインは食い入るようにリアムを見詰めた。
「奥様は悪役令嬢なんでしょう? 意地悪な悪役令嬢は断罪されなければならないんだって」
可愛らしい顔を歪めて嗤うリアムと、前世の恋人を奪った後輩の顔が重なって見えて、シュラインは湧き上がってくる恐怖で体を震わせた。
奥様vs恋人、ついでにアリサ、開戦?




