13.可愛らしいおねだりなんてしている場合ではない
甘ったるいフレーバーティーの香りが充満した豪華な部屋の中央で、アリサは両手を胸に当ててうっとりとした笑みを浮かべながらくるりと一回転した。
ピンク色のドレスの裾が満開の花のようにふわりと広がる。
「やっぱり、彼の方が素敵よね」
クスリと笑ったアリサが胸に抱いているのは、宮廷絵師に描かせた二枚の姿絵。
姿絵を胸に抱いたまま、アリサは顔を動かして後ろを向く。
「ねぇ、例のアレを私に分けて頂戴な」
「何をするつもり?」
気だるそうにソファーへ寝そべるこの部屋の主は、俯いていた顔を上げた。
「私達が欲しいモノは一緒でしょう?」
「何が言いたいの」
ソファーの背凭れを掴み、体を起こした主はアリサを睨む。
「貴女には監視がついているし、しばらくは自由に動けないのでしょう? だから、私がアレを使って彼を手に入れるの。睨まなくても、彼を手にいれたらちゃんと分けてあげるわよ」
「貴女は、本当に酷い」
乱れた髪を掻き上げた主の視線の先には、アリサの抱く絵姿があった。
愉しげに口角を上げたアリサは、猫のように目を細める。
「もう、あっちは私が指示しなくても動く気満々だわ。だからね」
胸から離した絵姿のうち、一枚をテーブルへ置く。
「邪魔な悪役令嬢には消えて貰わなきゃ」
恍惚の表情を浮かべ、アリサは腕に残った絵姿を見詰める。
姿絵には、軍服を着て帯刀した凛々しい姿のアルフォンスが描かれていた。
***
外せない政務のため昼食時に来られないからと、早朝に宮殿を訪れたアルフォンスは、寝起きで寝癖のついた乱れた髪とネグリジェ姿のシュラインとは違い、きっちりとジャケットを着た仕事仕様で現れた。
後光のような朝日を背にした彼の眩しさに、直視していると目がチカチカする。
(イケメンオーラ全開っ! くぅ、眩しすぎる! でも、負けちゃ駄目)
視線を逸らしたくなるのを堪え、シュラインはアルフォンスの前へ立った。
「どうした? 体調が悪いのか?」
「体調は問題ありません。あの、アルフォンス様。痛みと腫れは治まってきましたし部屋の外、せめて庭へ出たいのです。部屋にばかりこもっていたら、息が詰まります」
扇で叩かれ、内出血により青くなっていた頬も大分色が薄くなってきた。侍女と護衛騎士の監視下でもかまわないから、いい加減部屋の中から出たい。
「外へ、か」
口元へ手を当てたアルフォンスは、暫時思案してからニヤリと笑った。
「そうだな。貴女が、可愛らしくおねだりしてくれたら、考えよう」
「っ?!」
意地悪で、期待に満ちた笑みを浮かべたアルフォンスに見詰められて、シュラインは恥ずかしさに体が震えそうになる。
可愛らしいおねだりをするだなんて、今まで一度もしたことは無いし前世の記憶にも無かった。
この軟禁生活から抜け出せるのと一時の羞恥、どちらが自分にとって重要かとシュラインは脳内でシミュレーションをする。
可愛らしく甘えておねだりする自分の姿を想像して、身悶えそうになるがその後部屋から出られるならば耐えられるはずだ。
ぎゅっと握った両手を胸元に当て、シュラインはアルフォンスの真正面に立ち、彼との距離を縮めた。
「アルフォンス様、外に出たいの。お願い」
学園生活で目撃した、ヘンリーに甘えるアリサの仕草を思い出して、彼のジャケットの肘部分を掴んで上目遣いで見上げる。
何も言わないアルフォンスを見上げ、これでは駄目なのかと不安と羞恥心からシュラインの眉尻が下がっていった。
「だめ?」
段々と悲しくなり、シュラインの瞳に涙の膜が張っていく。
「ぐっ、」
苦しそうに呻いたアルフォンスはグッと目を瞑った。
「まさか……破壊力が、こんなに、くっ」
片手で顔を覆ってブツブツ呟くアルフォンスに、シュラインは首を傾げてしまった。
「はぁ、すまない。これ以上は私がもたない。部屋の外へ出ることを許可するかは、追々連絡する」
「えっ、あのっ、アルフォンス様?」
突然、背中を向けたアルフォンスは、片手で顔を覆いながら足元をふらつかせて部屋から出て行ってしまった。
「奥様はお気になさらず、では私も失礼いたします」
苦笑いを浮かべた護衛騎士は、シュラインへ一礼をしてアルフォンスの後を追って行った。
療養という名の軟禁生活は一週間続き、手首と足首の捻挫の腫れと痛みは大分治まった。
ベッド上のみだった行動範囲も、室内を歩くまで許可されシュラインは量を調整しながら宮殿の女主人としての仕事を再開していた。
「……以上が、殿下からのお言付けでございます」
「アルフォンス様は、他には何か言って無かった?」
昼食後、王宮から届けられたアルフォンスからの言付けを告げる侍女へ、シュラインはソワソワしながら問う。
「いえ。「大人しくしているように」としかおっしゃりませんでした」
「そんなぁ!」
淑女にあるまじき声を上げて、シュラインはガックリと肩を落とす。
(可愛らしくおねだりしろ、だなんて言われて、わたくし頑張ったのに。あんな、あんなに、恥ずかしかったのに)
侍女の前だというのに、シュラインは眉を吊り上げた。
(外へ出ていいも悪いも、何も言わないだなんて! わたくしの頑張りは何だったのかしら?!)
部屋に一人だったら、叫び声を上げてクッションを殴っていただろう。
「シュライン様?」
ソファーのクッションを睨み付けるシュラインを侍女が心配そうに見る。
「な、何でもないわ」
誤魔化すようにシュラインは、痛めていない方の手を上下に動かし焦って熱くなった顔を扇いだ。
コンコンコン
扉を叩く音が聞こえ護衛騎士が扉へ近付く。
「執事がシュライン様にお伝えしたいことがあるそうです。いかがいたしますか?」
「通してあげて」
もしかして、と期待に高鳴る胸を抑え冷静を装い入室を許可する。
「失礼いたします」
黒髪をきっちり後ろへ撫で付け眼鏡をかけた長身の若い執事は、シュラインへ向かって頭を下げた。
「貴方、お名前は?」
完璧な執事の態度なのに、シュラインは違和感を覚えた。
アルフォンスの妻として、宮殿の使用人達のほとんどの者は顔と名前を把握しているつもりだが、彼の顔は初めて見る気がする。
名を問うと、執事の肩が微かに揺れた。
「ニコラスと申します。奥様、殿下から外出についてお言付けがございます。「庭の散策までならば許そう」だそうです」
「まぁっ!」
訝しげだったシュラインの表情が一気に明るくなる。
執事に抱いた違和感は外へ出られる嬉しさによって上書きされ、すでに消え失せていた。
一週間ぶりに庭園へ出たシュラインは、庭師の青年とニコラスに先導され見頃となっている花の場所まで案内されていた。
久しぶりの外歩きは体力面が不安だったが、後方には護衛騎士達が控えている安心感で、つい庭園の奥まった場所まで移動してしまったシュラインは額の汗を拭う。
「彼方に咲いているダリアは、丁度見頃でございますよ」
「そうなの? 教えてくれてありがとう」
庭師の青年とダリアの花を見に向かったシュラインの背中を見送り、汗一つかいていないニコラスは眼鏡の奥で目を細めた。
「奥様、此方でございます」
「すごい綺麗ね。そう思わない?」
後ろに控えているだろう侍女の方を振り向き、誰も居ないことに気付いてシュラインは目を瞬かせた。
「スティーブ? レイラ?」
周囲を見渡して従者と侍女の名を呼ぶが、彼等からの返事はない。護衛騎士の姿も見えないことから、彼等と離れてしまったと気付いた。
(まさか、庭園で迷子になるなんて。皆とはぐれるなんて、変なの)
遠くに見える宮殿へ戻ろうと歩き出した時、シュラインの側の生け垣の葉がカサカサと音を立てて揺れた。