12.過保護を通り過ぎた軟禁?
クッションを敷き詰めたヘッドボードに背中を預け、ベッド上で上半身を起こしたネグリジェ姿のシュラインは、読み終わった本を閉じてベッドサイドに置いた。
テーブルの上に置かれた新しい本と読み終わった本を交換するため、手元の呼び鈴を鳴らし侍女を呼ぶ。
「ありがとう」
左頬には大きな絆創膏、左手首と左足首には軟膏を染み込ませたガーゼを貼ったシュラインは、やって来た侍女に本を手渡す。
本の交換くらい自分でやりたいのだが、アルフォンスにより食事と入浴、トイレ以外はベッドから下りるのを禁止されてしまった。
常に女性の護衛騎士と侍女が側に居る状況では、こっそりベッドから出ることも出来ず大人しく読書をしている。
飽きないようにと、アルフォンスは流行りの恋愛小説や冒険小説を大量に用意してくれた。といっても、ベッド上の動きを制限された生活は暇で暇で、療養二日目にして早くも飽きてしまっていた。
痛めていない方の手の甲で、大量の文字を読んで疲れた目を擦る。
(わたくしを叩いた時、激昂した王妃は“悪役令嬢”と言った。流行りの恋愛小説には、意地悪な令嬢は出てきても悪役と呼ばれる令嬢は出て来ない。王妃は何故、わたくしのことを悪役令嬢と言ったのだろう)
「はぁー」
「大丈夫ですか? シュライン様は何も悪くありませんし、私達は皆シュライン様の味方でございます。お気にならさないで療養なさってください」
溜め息を吐き項垂れたシュラインの横で、侍女は鼻息を荒くする。
「ねぇ、テラスに出るくらい、駄」
「駄目です」
言い終わる前にキッパリ言われてしまい、シュラインは言葉に詰まる。
王妃から庇えなかったことを悔いて涙ながら謝罪してきた彼女は、床に頭を擦り付けてシュラインへ生涯の忠誠を誓った。そのせいなのか、侍女の中で一番厳しく過保護だ。
「殿下の指示により、手首と足首の捻挫、頬の腫れが治まるまでは外出禁止、厨房へ行くのも殿下が許可されるまで禁止です」
「うぅ、分かっています」
女性騎士からも念押しされてしまったら、もう引き下がるしかなかった。
読みかけの本のページへ栞を挟み、枕元へ本を置く。テーブルの上の置時計を確認し、今が日暮れ時だと気付いた。
もう少ししたら王宮からアルフォンスがやって来る。
シュラインが怪我をしてからというもの、一日二回、昼食前と夕食前になると彼は王宮を抜け出して宮殿へ来るのだ。
(そうだ、あの時のアルフォンス様は怖かったなぁ。怒気、殺気? あの王妃が怯えるくらい、凄く怒ってた)
今にも王妃を殺めてしまうのではないかと思うくらい、殺気と怒気が入り交じった恐ろしいオーラを放っていた。
数年前まで、辺境の小競り合いに騎士団に混じって出陣していた猛者でもあるアルフォンスが本気を出せば、息を吐く間も無く王妃を殺害出来るのだと理解した。
重症ではないしここまで安静にしなくても大丈夫だからと伝えても、彼はシュラインの様子を見に来る。
心配してもらえるのは純粋に嬉しいけれど、どうしよう。困った。こうも大事にされたら、勘違いしてしまう。
(もしかしたら彼は、でも、わたくしの勘違いだったら)
ベッドの上で抱えた膝に顔を埋める。
利害関係から心配されているのではなく、彼に愛されているのではないかと自惚れてしまいそうになるのだ。
部屋へ運び込まれた夕食から、美味しそうな匂いがする。
日中、ほとんど動かなかったせいで、あまり空腹を感じていなかったはずのシュラインのお腹が、ぐぅっと鳴り空腹を訴える。
お腹の音を響かせてしまい、恥ずかしさからヘッドの上で転がりたいのに、傍らに居るアルフォンスは小さく笑うだけで離れてくれない。
「はい、口を開けて」
チーズの香りが食欲をそそるリゾットをスプーンで掬い、アルフォンスは甲斐甲斐しくシュラインの口元へ運ぶ。
捻った手首に負担をかけないようにと、所謂「はい、あーん」をされているのだ。
「あの、アルフォンス様」
捻った手首は左手首でシュラインの利き腕は右。痛めた手首は使わない、と言いたいのに言えない。否、言わせてもらえない。
「シュライン」
笑顔でスプーンを持つアルフォンスの圧力に屈し、シュラインは口を開けた。
熱すぎず冷ましすぎず、丁度良い温かさのリゾットが口一杯に広がる。
「わたくし、自分で食べたいのですけど」
「駄目だ。治るまで私が食べさせる」
昨夜も今日の昼食時にも、同じやり取りをしたばかり。一日二回も王宮から抜け出して、彼の扱う仕事は大丈夫なのかと心配になる。
夕食を食べ終わっても、アルフォンスはシュラインの傍から離れようとしない。
ソファーに座るシュラインの手首と足首の湿布を、楽しそうに貼り替える彼を見ていると、段々と胸の奥がムカムカしてきた。
(以前の彼はこんな感じで、傷を負ったリアム様の世話を焼いていたのかしら)
彼の中で世話を焼く対象が、リアムからシュラインへ移っただけだとしたら、少し寂しい。
「そろそろ別宅へお帰りになる時間ではありません?」
「駄目だ。貴女が眠るまで側にいる」
「えぇ~?」
つい唇を尖らせてしまった。
唇を尖らせ首を横に振って拒否するシュラインに、アルフォンスは「ぶはっ」と吹き出した。
「私が側にいて嫌がる女性はシュラインくらいだ」
「はぁ、それはそうでしょう」
社会的地位も財力も持った美形が側に居たら、大概の女性はときめいて頬を赤らめるだろう。
偽装だと割り切り結婚したシュラインでさえ、最近は近くに居られると落ち着かない気分になるのだから。
「わたくし、昔から一人寝が好きなので、誰かが傍にいると寝付けないのです」
「今後、ベッドを共にすることを考えて、慣れるために手を繋いでいようか」
「えっ?!」
膝の上へ置いていた手を引っ込める前に、アルフォンスの手に捕らわれ指と指が絡まる。
「一緒に寝るつもりなんですか?! 早く別宅へ帰ってください」
「駄目だ」
至極愉しそうに喉を鳴らすアルフォンスに抱き上げられて、抗議の声を無視されたシュラインはベッドへ運ばれてしまうのだった。
***
精神を沈め安眠出来るよう、特別に調合させた薬湯を飲ませた後、手を繋ぐアルフォンスへ文句を言いつつもシュラインはすんなり目蓋を閉じる。
「本当に、無防備だな」
警戒しているようで、無防備な彼女。
実年齢よりも幼く見えるシュラインの寝顔が可愛らしくて、絆創膏を貼った頬に軽く触れるだけの口付けを落とす。
このままシュラインを抱き締めて眠りたいところだが、片付けなければならない仕事が執務机の上に山積みとなっている。
絆創膏を貼りかえた時に確認した扇の先端が擦った傷は、幸いにも痕に残るような深い傷ではないとはいえ、殴打された頬は腫れ内出血で青く変色していた。
王妃がシュラインを殴打した瞬間に立ち会っていたら、王宮ではなく帯刀していたら、自分を抑えられる自信は無かっただろう。
「おやすみ」
眠るシュラインの滑らかな手触りの髪を一撫でし、名残惜しい感情に蓋をしたアルフォンスは部屋を出た。
部屋を出て直ぐに、前方に立つ人物に気付いたアルフォンスは足を止める。
「言いたいことがあるのなら早く言うがいい」
「殿下は、お嬢様をどうされたいのですか」
瞳に暗い光を宿したスティーブは、敵意を隠さずにアルフォンスへ問う。
「シュラインは私の妻だ」
「お嬢様との婚姻期間は、二年間だけという契約ではなかったのですか? 何故っ」
「母上から打診された時は離婚前提の婚姻のつもりだったが、今は手離す気は無い。理由は、お前が一番分かっているだろう」
拳を握り締めたスティーブの表情が悔しげに歪む。
「では、あの方はどうされるおつもりですか」
「いずれお前の力を借りる。それまでは、暴走するなよ」
「……御意」
頭を垂れたスティーブは、感情を封じ込めるように胸へ手を当て、玄関ホールへ向かうアルフォンスを見送った。
王宮へ戻るため、宮殿を出たアルフォンスが馬車へ乗り込むと、黒装束の男が音もなく入り口から入り、護衛騎士の隣へ座る。
「殿下、読み通りあの方と接触している様です。いかがいたしますか?」
「フッ、クククッ」
情報収集のため放っていた影から報告を受け、アルフォンスの口から乾いた笑いが漏れた。
「あの女が、シュラインへ手を上げた時の目撃者は多い。一方的に絡み激昂しシュラインに傷を負わせ、私との関係は悪化したと周囲に知れてしまった。王太后からは叱責され、元老院からは糾弾される。それらが重なり媚を売っていた連中は保身のため離れていく、となればあの女は耐えられんだろうな。その苛立ちが何処へ向かうかなど分かりきっている」
あの女達の行動はある程度予測し、予測しうる全ての行動への対応は考え、逃げられぬよう退路も塞いである。長い時間をかけた包囲網は、あの狡猾な女でも突破出来ないだろう。
『うぅ、ケーキが……』
常に気丈に振る舞い、人前で沈んだ姿を見せまいとするシュラインが流した涙。彼女の涙を見た瞬間、アルフォンスの内に稲妻が走った。
体を震わせ涙する泣き顔が可愛い。抱き締めてどろどろに甘やかして慰めてやりたい。
泣き止んで欲しい。悲しみ沈む顔よりも笑顔が見たい。反面、涙を流す彼女が可愛らしくて、もっと泣き顔を見ていたい。
自分以外の者に泣かされるのは許せないが、泣かせてみたいという歪んだ感情が生じる。
理不尽な婚姻を受け入れ、女という生物に関心を抱けなかったアルフォンスの心変わりまでさせた、稀有な存在。シュラインを傷付け泣かせた罪は重い。
(どうしてやろうか)
幼い頃から抱いていた憎悪と相俟って、どす暗い感情が沸き上がる。
嫌悪感しか無いあの女は、処刑など生温い処罰など与えはしない。追い詰めて、追い詰められて発狂してしまえばいい。
(シュラインを泣かせていいのは、私だけだ)
「フィーゴ、王宮へ戻り次第動く」
「よろしいのですか?」
アルフォンスの雰囲気が変わったのに気付き、フィーゴからは軽い口調は消え、王弟の忠実な側近の顔となる。
「期は熟した。次の満月に決行すると伝えよ」
「はっ」
黒装束の男はアルフォンスへ頭を下げ、扉を開くと走る馬車から飛び降りた。
馬車の窓に付けられているカーテンの隙間から見えた夜空には、上弦の月が光り輝いていた。
アルフォンス様、何かに目覚める。




