01.始まりは婚約破棄
加筆して連載にしました。よろしくお願いします。
ソレイユ王国では貴族子息令嬢、平民でも入学試験に合格さえすれば入学出来る王立学園がある。
王立学園では卒業式まであと一ヶ月となり、生徒会メンバーを中心に卒業パーティーの準備に追われていた。
特に今年は卒業生の中に王太子がいることもあり、見送る在校生と職員達はいつになく緊張感に包まれていた。
「立食式となるため、一口サイズの軽食はどうかしら」
現生徒会副会長から卒業パーティーの相談を受けて、多目的ホールの学習スペースで前年度の卒業パーティー計画書を机上に広げているのは、王太子の婚約者、シュライン・カストロ公爵令嬢。
彼女は、腰までのホワイトブロンド、アメジストを彷彿させる紫色の瞳をした佳麗な容姿だけでなく、常に上位の成績をキープし学園での肩書きは前生徒会副会長という、正に未来の王妃に相応しい令嬢だと生徒達から慕われていた。
「失礼する。シュライン嬢、殿下がお呼びだ」
「殿下が? ごめんなさい、続きはまた明日でよろしいかしら?」
「はい、よろしくお願いします」
王太子の側近の一人、騎士団長子息から声をかけられたシュラインは副会長へ断りを入れて椅子から立ち上がった。
後輩からの相談を優先させたいところだが、婚約者である王太子の呼び出しは無視出来ない。
引き締まった長い手足と、燃えるような赤い短髪をもつ騎士団長子息は、自身の足の長さとシュラインの足の長さなど配慮せずに自分の歩幅で歩く。後ろを確認することもなく歩く、騎士団長子息の後をシュラインは小走りでついていく。
「失礼します」
騎士団長子息に案内された空き教室で待っていたのは、眉間に皺を寄せた“沈痛な面持ち”をした金髪碧眼、見た目は完璧な王子様。
「これ以上、自分を偽ることなど出来ない。シュライン、君との婚約を破棄したい」
拳を握りしめ、珍しく強気な口調で王太子は言い放つ。
前置きも無く、突然言われた芝居がかった台詞。
「はぁ?」と反射的に声を出した瞬間、パチンッとシュラインの脳内で何かが弾ける音が聞こえた。
(あ、これってテンプレな展開だ)
そう思ってから、シュラインは首を傾げる。
(テンプレって、なに?)
知らない言葉なのに、何故かこれはテンプレな展開だと納得してしまう。
(ナニこれっ?!)
突如、脳裏へ浮かび上がってきた情報にシュラインの目が大きく見開かれる。
大量の知識に押し潰されそうになり下唇を噛んで堪える。一人だったら、此処が自室だったら頭を抱えて踞ってしまったかもしれない。
(これは、ラノベやネット小説ではお決まりの婚約破棄の展開?)
この世界に生まれるよりずっと前、今よりも大人の女性で男性に混じって仕事をしていた黒髪黒目をしたシュラインは、ヒロインを苛めた悪役令嬢が婚約者の王子から断罪、婚約破棄されるネット小説を読んだことがあった。
「シュライン、聞いているのか?」
無言のまま俯くシュラインを怪訝そうに見る王太子の声で、我に返り顔を上げる。
(金髪碧眼で、恋愛ゲームか恋愛小説のメインヒーローそのまま、といった外見ね)
婚約者の王太子の顔をじっくり見て納得してしまった。確かに彼は立場も顔も、ヒロインが攻略するメインヒーローになれそうだ。
(卒業パーティー当日で婚約破棄宣言されるよりは、空き教室に呼び出されての婚約破棄、一ヶ月前のタイミングで言われるのはマシなのかしら。まぁ学園内でも外でもヒロインを苛めてもいないし、用事がなければ殿下にすら近付いてもいなかったもの)
吐きたくなる溜め息を堪え、王太子と彼の背後に立つストロベリーブロンドの女子生徒へ視線を向けた。
「申し訳ありません。突然のことで驚いてしまって。婚約破棄の理由は、ヘンリー殿下に好きな方が出来た、ということでしょうか?」
女子生徒はビクリと肩を揺らし、不安げにヘンリーを見上げる。
(ヘンリー殿下の恋人は、確か一年ほど前に編入してきた男爵令嬢か。これもまたテンプレね。それではわたくしは二人の恋を邪魔する悪役令嬢かしら)
「シュライン様申し訳ありません。私が、私がヘンリー様を好きになってしまったせいなのです」
「アリサ、君は悪くない。僕が君を選んだんだ」
「ヘンリー様」
新緑色の大きな瞳を潤ませ、謝罪の言葉を口にしたアリサの肩をヘンリーが優しく抱く。
(ナニコレ? 茶番劇過ぎる)
ヘンリーとアリサの後ろへ立つ騎士団長子息と黒髪の眼鏡をかけた男子生徒、魔術師団長子息は複雑そうな表情で二人を見守る。彼等の様子から、ヒロインに攻略されているのだろう。
「お楽しみのところ申し訳ありませんが、ヘンリー殿下。婚約を破棄したいのであれば、もっと早くにおっしゃってくだされば良かったのに。わたくし達の婚約は政略上のもの。互いの感情は何一つ挟んでいませんし、幼い頃より殿下との婚姻はわたくしの義務だと思っておりましたから、一言相談してくだされば早々に婚約を解消するようお父様にお願いしましたわ」
「義務、だと?」
貴方のことが好きだから婚約したわけではない。恋人が出来たなら早く言ってくれ。と、破れまくったオブラートに包んで伝えれば、ヘンリーはポカンと口と目を大きく開く。
「それで、国王陛下、王太后陛下はご存知でしょうか?」
「そ、それは、まだ伝えてない」
しどろもどろになり答えるヘンリーの考えの甘さに、シュラインは片手で顔を覆ってしまった。
「まだ殿下の、わたくしとの婚約を解消してアリサ嬢と新たに婚約したいという、熱い想いをお伝えしていませんの? わたくしとの婚約は王太后様がお決めになったものですから、一番にお伝えしなければならなかったでしょう。わたくしも、明日にでも報告のため登城しなければなりませんね」
「そ、そうか」
強ばらせていた表情をあからさまに崩したヘンリーの下心に気付き、シュラインは眉を吊り上げた。
「わたくしが登城するのは、今まで王妃教育をしてくださった王太后様に謝罪するためです。貴方達のためではありません。勘違いならさないでください。婚約云々は、ヘンリー様ご自身でお伝えください。それがけじめというものでしょう」
『ヘンリーは頼りないところがあるから、物事を冷静に判断出来るシュラインが丁度いい。いつかわたくしに、可愛いひ孫を抱かせておくれ』
ヘンリーの婚約者となった幼いシュラインへそう言い、王太后は微笑んだ。物心つく前に母親を亡くしたシュラインにとって、王太后は厳しくもあたたかい母親のような存在だった。
(王太后様がこのことを知ったら、確実にお怒りになるわ。だから今日まで言い出せずに根回しも出来なかった。最後まで甘ったれた考えの男ね。そうだ。私、ナヨナヨした男って嫌いだったわ)
何故だったかと首を傾げた時、軽い目眩と共にまたもや記憶が甦ってくる。
仕事で働きぶりを認められ充実した日々を送っていた二十代後半、学生時代から付き合っていた彼氏と結婚を意識して式場を探し始めた頃だった。突然、職場に彼氏の本命の彼女だと宣う女がやって来たのだ。
長い交際で、関係がマンネリ化しているのは感じていたがまさか浮気をしているとは、その上相手の女に子どもが出来ているとは思っていなかった。
女に妊娠を告げられてもシュラインの前世だった彼女に別れ話を切り出すことも出来ず、ずるずると付き合いは続いていたらしい。優しい、言い換えれば優柔不断な彼氏だった。
(ヘンリー殿下もあの男と一緒じゃない! 優柔不断なところも、自分に酔っているところも)
「酷いわ!」
アリサの声で、前世の自分の感情に引っ張られかけていたシュラインの意識が戻る。
「やっぱり、シュライン様は優しくありませんのね! ヘンリー様から王太后様はとても厳しい方だと聞いています。長らく婚約者をしていた相手のために、王太后様の怒りを和らげようと動いてくださらないのですか!」
「あら、何故わたくしが王太后陛下に婚約の解消を申し出なければならないのですか。解消したい方が説得するというのが筋というものでしょう。今後の殿下のお立場を考えた、わたくしなりの優しさですよ」
にっこり微笑みながら言うと、アリサは悔しそうに可憐だった顔を歪めた。
「スティーブ」
睨んでくるアリサは無視して、教室の外に控えていた執事姿の従者の青年を呼ぶ。
現れたスティーブの姿に、アリサは先程までシュラインを睨んでいた夜叉のような顔から、庇護欲をそそる可憐な少女へと変わる。
瞳を輝かせたアリサに見詰められても、スティーブは眉一つ動かさずシュラインの側まで歩み寄った。
「紙とペンを用意しました」
シュラインが指示する前に、意を酌んでくれる藍色の髪と瞳を持つ用意周到な従者は、紙が挟まったバインダーと万年筆を差し出す。
「ありがとう」
感謝を伝えるとスティーブは目を細めて頭を垂れる。
視界の隅では、アリサが唇をきつく結んでいるのが見えた。
「ヘンリー様、殿下が婚約の解消を望まれていること、わたくしには一切の非はないことが分かるように一筆書いてくださいませ」
「な、何故そんなことを」
苛立ち混じりのシュラインの迫力に圧され、一歩下がったヘンリーは首を横に振る。
「わたくしの今後に関わる大事なことです。婚約を解消したいのならば記入をお願いいたします。半年以上、婚約者と学業、さらに生徒会長の仕事を放棄しアリサ嬢との恋愛を楽しんでいらしたようですね。その事に関して、僅かでも後ろめたいという感情をお持ちならば書いてくださいますよね?」
事実と嫌味を織り混ぜた辛辣なシュラインの言葉に、強張ったヘンリーの頬を一筋の汗が伝う。
「くっ、分かった」
「ヘンリー様」
眉尻を下げたアリサがヘンリーのブレザーの袖を引っ張る。強張った表情を崩したヘンリーは振り向き笑みを向けた。
「大丈夫だよ。これでアリサは俺の婚約者として認められる」
(まだ、わたくしが貴方の婚約者なのにお目出度い二人ね)
鼻で笑ってやりたくなるのを堪え、シュラインはヘンリーが記入を終えるのを見守った。