或る夏の一日
今日は土曜日である。予定は何も無い。昨日まで毎日あった部活も休みだ。
もう夏休みに入ったので曜日などあって無いに等しいのだが、どうしても不思議な感覚を覚える。恐らく昨日までは部活で学校まで行っていたから、夏休みだという感覚が無かったのであろう。ところで明日は部活の大会があるのだが、大会前日に活動しない部とは一体どうなっているのだろう。逆に言えばそのために昨日まで毎日活動していたわけではあるが。
話が逸れた。突然時間ができても、特に何かをしようという気分にはなれない。夏休みが始まったばかりならば尚更だ。特に日中は暑い。あまり外には出たくないものである。気づいたら、ただ怠惰に時を過ごしている。買いためた本を読みながら、眠くなったら寝る。もちろん勉強などというものをやる訳がない。強いて言うならば、本を読んでいるから国語の勉強の足しにはなっているか、位のものだ。
こうしていると、ずっとこんな生活が続くのではないかと錯覚する。実際のところ夏休みは60日しか無いのだが、そんなものは些末な事だ。最も、軽んじているといずれ痛い目を見るのだが。これが一日千秋というものか、いやそれは違うだろう、とそんなくだらない事を考えながら、結局何もしないのである。
見苦しくも言い訳をするならば、この怠惰の原因は私だけではないと思う。なにせ私の家族も今日はだらだらとしているのだ。朝食は午前10時、昼食は午後4時だった。昼食に関してはもはや昼ですらない。これでは外出しようにも出来ないではないか。まあ、だったら自分で用意しろと言われてしまうのでこればかりは仕方がない。
しかし、夕方にもなってくるといい加減、このまま何もしないでいいのだろうかという観念に囚われる。流石に眠気も全くない。体力も問題ない。心身ともに絶好調だ。何か用事は無かっただろうか。
よく考えてみれば、塾の夏期講習の申し込みをしていなかった。何もなければ何もしない私の性分を見越して、母は私にどこかの塾の夏期講習を受けることを命じた。数学と英語を受けるように言われたのだが、数学だけはどうにかして諦めさせた。学校と同じ進度の塾を探すのは骨だし、正直夏休みに数学の授業を受けるのが面倒だ。英語については今まで塾に通っていたのでそこまで抵抗は無い。ただしその塾はもう行く気は無かったので、代わりに別の塾を探さなければならなかった。
幸いにして、塾の目星は既につけていた。その塾の、英語力を身に着けるためにまず日本語力を身に着けるという方針を知り、直感でここしかないだろうと思った。全くもってその通りである。国際化が進む今日だからこそ、より自国の言葉を大事にするべきなのだ。あまりに国語がないがしろにされているように思う。
また話が逸れた。私の取るに足らない持論は置いておいて、その姿勢に惹かれたのは事実である。どこまでその方針が守られるかは分からないが、評判もかなり良いので、問題は無いだろうと考えた。4日間で1万7000円と、受講料もそこまで高くない。受付の人がいけ好かないのが難点だが、そこまで気にしても始まらない。少し涼しくなってきたし、思い立ったが吉日、早速出発することにしよう。
外出する支度を整えたところで、私はあることに気が付いた。そう言えば3日前に近所の本屋で本の取り寄せを依頼していた。取り寄せできるかどうかも分からない本で、翌々日までには連絡すると言っていたがそんな連絡は来ていない。もともとあまり良い本屋ではないことは分かっていたが流石に酷い話である。出かけるついでに確認しに行くことに決めた。
ちなみに取り寄せを依頼したのは対馬の安徳天皇陵についての本である。最もこれだけの説明で理解出来る人はそうはいないだろう。
私の学校には総合講座という授業がある。元は文科省に課された総合の授業数を確保するために苦肉の策として生まれたものだが、なかなかに素晴らしいものが充実している。私もいくつか迷ったが、最終的に対馬を題材に調査・研究をする講座を選んだ。8月末には実際に対馬にも行く。そういう訳で何をテーマにするかが肝要となるのだが、何を思ったか私は対馬の安徳天皇伝説を選んだ。経過報告で他のメンバーが広すぎるテーマから絞っていくように言われる中、私だけどう話を広げるか考えるように言われたのを覚えている。実際マニアック過ぎて進展性も何もあったものではない。
対馬には安徳天皇陵ではないかとされるものが実際にあるのだが、恐らくそれは嘘であろうと言われている。そんな中何を研究するというのだろうか。我ながらどうしようもないことを題材に選んだものである。まず研究資料となるものがあまりに少ない。そもそもこのようなことに興味を持つ人など他にいるのだろうかとさえ考え始めていた中、資料として有用そうな本が見つかった。
私は自分のテーマを研究している人が他にもいることに強い安心感を抱きながら、早速その本を手に入れることに決めた。しかし、出版社を調べると聞いたこともない、読み方さえも分からない会社だった。新宿の紀伊国屋にもなかったので、これを扱っている本屋は無いだろう。図書館にも、都内には都立の図書館に1冊だけあり、しかも貸出禁止に指定されていた。仕方ないので取り寄せることにしたが、出版社から直接買う方法とアマゾンで買う方法の二択あった。どうでもいいのだが、直接買うよりもアマゾンで買った方が安いとは一体どういうことだろう。送料というのは不思議なものである。
さて、どうせならば安い方が良い。そうなれば当然アマゾンで購入することになるのだが、実のところ私はネットで買い物をするのが苦手である。親のクレジットカードは使いたくないし、代引きにすると手数料がかかってしまう。どうにか他の方法で手に入れることは出来ないかと考えたときに、取り寄せという方法を思い付いたのである。
意外と知られていないが、取り寄せというのは非常に便利なシステムである。欲しい本が本屋に無い時、注文すれば数日で手に入れてくれる。手数料もかからないので、ただ待てばいいだけである。少しマイナーな本でも簡単に手に入るので、私も何度か利用したことがある。
しかしながら、今回僕が求めている本は少しマイナーどころか、この上なくマイナーなのである。本屋で頼んだ時、取り寄せできるかどうかも分からないと言われたのはそのためである。取り寄せが出来るのならば取り寄せて、出来ないならばなるべく早く、連絡すると言われた。いずれにせよ2日後までには連絡すると言われたので、気楽に待っていたのだ。
しかし、先にも述べたように連絡が来ていない。部活が忙しかったこともあり自分も忘れていたのだが、冷静に考えれば酷い話である。
正直なところその本屋はあまり好きではない。店員の本に対する愛が感じられない。もっと許せないのは、私が学生であるが故に、客だというのに敬語も使わない店員がいるのだ。店員の態度は非常に悪いと言っていいだろう。だが、この本屋は品揃えと家からの近さに関しては他の追随を許さないのである。私はよく大正や昭和の小説を読むのだが、読みたいと思った本の大半はここで手に入る。そのために私は店員の態度に腹を立てつつもこの本屋に通っているのである。
しかし、連絡が来ないというのは流石に想定外である。状況が全く分からないので行って確かめるしかない。私は親から講習の受講費と交通費を貰って家を出た。
もう夕方だというのにまだ暑い。飲み物を持ってこなかったのは失敗だったかもしれない。貧乏性な私は自販機をあまり使いたくない。500ミリリットルで100円というのはいささか高すぎないだろうか。それならば家で水筒を用意したほうがよっぽど安上がりである。
件の本屋までは10分程度で着く。もう外に出るのが嫌になるほどに店内は涼しい。取り寄せの話は会計のところでするのだが折角本屋に来たのだから面白そうな本でも探してみようか。
新刊を見ていて思うのだが、最近の本にはあまり面白いものが無いような気がする。何というかこうすれば売れるというテンプレートを外れないというか、とにかく心を動かすものが少ない気がする。私は心理描写が丁寧な作品が好きなのだが、どうもキャラの個性や文章の技巧ばかり求めているように感じられる。最近のものだと『出口のない海』は非常に面白かった。もう何度も読み返している。そういえば私は戦争を題材としたものや悲恋を描くものをよく読むが、もしかすれば「破滅の美」なるものが好きなのかもしれない。言われてみると三島由紀夫も結構好きだ。
私のくだらない読書観は置いておいて、結局買いたいと思う本は無かった。まだ家に読んでいない本がたくさんあるから良いだろう。そんな訳で、会計で取り寄せについて尋ねることにした。
会計では私があまり好きではない店員が応対した。この店員は私に敬語を使ってこないのだ。それに本の扱いも雑である。仮にも客が買った商品だというのに乱暴に袋にしまうのだ。その店員に尋ねると、控えを出すように言われた。私が控えを渡すと、この出版社は小さく、遠いのであと1週間はかかると言われた。あいにく3連休に入ってしまったからだと言う。
話が違うではないか。私は1、2日で連絡すると言われたのをはっきりと覚えている。また、仮に遅れるのであれば当然それも含めて連絡するべきである。
私は憤慨した。店員は話の食い違いを謝罪したが余りに許しがたい行いである。しかし怒りを表出するのは大人気ないと自分の方が若いのに考え、冷静沈着な対応をとった。店員が言うには、連休を挟むので1週間ほどかかるとのこと。であるならば取り消してアマゾンで買おうと思った。アマゾンならば注文の翌日に届く。
しかし店員はそれさえも許さなかった。出版社に取り消しができるかどうか連絡するのにこれもまた1週間かかると言うのだ。これには流石の雲心月性、温厚篤実な私も閉口した。ならば致し方あるまい、潔く1週間待つことに決めた。
私が苦渋の決断を下し、では塾に向かおうかとしたとき、別の店員が会計の後ろにある引き出しを開けた。そこには一冊の本が入っていると思しき封筒が入っていて、送り主は聞きなれない例の出版社である。店員はすぐに封を切った。そこにはなんと私の求めていた本が入っていたのである。
その場にいる一同が唖然とした。その後店員はすぐに我に返って再び謝罪したが、その声には笑いが交じっていた。私はそれを怒る気にはならなかった。何を隠そう、私も笑っていたのである。本来この本屋はどうしようもない失態を犯していて謝罪一つで許されるものではないのだが、もはや怒りも呆れも通り越して笑ってしまい、面白かったので許すことにした。本が届いているのに連絡もしないとはどんな管理をしているのか嘆かわしいが、最終的に本が手に入ったので良しとしようではないか。
さて、それでは講習の申し込みに行こう。塾は少し遠く、電車で30分程度かかる。電車に乗って、私は丁度買った本を読むことにした。私以外に対馬の安徳天皇伝説について研究するとは一体どんな人なのだろう。そんな興味で本を開いた。電車の中なのであまり集中して読むことは出来なかったが、ざっと見る限り、なかなか丁寧に研究されている。私も見習わなければ、と考えた。
そして塾の最寄り駅に着いた。私が行こうとしている塾は駅からが遠いのだ。道も入り組んだところを通るので、初めて行った時には難儀した。しかし講習に申し込んでもいないのに既に二度来ているので流石に道も覚えた。
一回目は一昨日である。部活帰りに立ち寄ってみるか、と言ってみたら早すぎて受付が開く2時間前だった。待つのも面倒なので帰ることにした。二回目は昨日だ。ちゃんと受付時間も確認してから訪ねた。今度は授業の始まる直前でとても迷惑をかけてしまったので申し訳なかった。そして資料を受け取り、話を聞いた。受付の人も忙しいらしく対応してくれる人がころころと変わったが、人によって勧める講座が違うのは面白かった。せめてどれを勧めるかくらいは統一しておけばいいのに、そう思いながら話を聞いた。
そう言えばこの時塾に通っている学校の友人に会った。授業が始まった後だったので明らかに遅刻なのだが、彼は遅刻の常連なのだと言った。そんなものはとても誇れるものではないのだが、実は私も通っていた塾で遅刻しなかったことはほとんどない。人のことは言えないものだ。
さて、今回は迷惑をかけないよう、ちゃんと授業が始まった直後に着いた。すると塾の前のドアが閉まっていた。当然そのドアを開ける訳なのだが、ドアにはpullと書かれていた。それを見て私は堂々たる態度でドアを押して開けた。床と擦れる音がしながらもドアは開いた。押した直後に気付いたのだが後の祭り、中にいた塾の生徒に見られ、かなり恥ずかしい思いをした。仮にも英語塾である。そして私は別段英語が苦手な訳でも無い。見苦しくも言い訳をするならば、わざわざ気取って英語で書いてあるドアがいけないのだ。日本語で思考し、生活している私にとって、突然英語を出されても理解がワンテンポ遅れてしまう。加えてpullとpushはややこしい。一瞬間違えてしまうのも仕方ないだろう。それに押して開くドアも悪い。
さて、旅の恥は掻き捨て、いやこれから通うのだからそんなことは全然ないのだが、自分の失態は忘れて受付で申し込むことにした。文法をひたすらやる授業と問題をひたすらやる授業、迷ったのだが後者を選んだ。Pullは間違えたが文法の理解にそこまで問題は無い上に、折角の夏期講習を文法の授業だけで終わらせてしまうのも勿体ない
受付で。対応してくれたのはその講座をあまりお勧めしなかった人だ。外部生がついていくのは少し大変らしいが、自意識過剰な私の前にそんな説得は通用しない。頑固な私の前に受付の人も折れた。ところで、この塾の受付は態度が悪いことで有名なのだが、実際この人もそうだった。お勧めに従わなかった私をどことなく世間知らずのように馬鹿にしているように感じられる。また敬語を使ってくれない時がある。敬語を使えない人などあの本屋だけで十分だ。別にそのことで腹を立てるわけではないが、将来私が大人になった時にこうはなりたくないものだ、とは思った。
ようやく夏期講習の申し込みも終わりさてどこかに寄って帰ろうかと思った時にはもう6時過ぎである。一体どうしたものだろう。折角外に出たのにこれだけで帰るのはどこか寂しい。私は帰る途中の駅で降りてヨドバシに向かった。この前見つけたのだが、ヨドバシにはムシキングが置いてあるのである。幼稚園や小学校の時にはまっていたもので、見つけたときには思わずやってしまった。懐かしさも相まって結構面白かったので、またやることにした。
ムシキングもリニューアルしてカードにレア度が設定されている。別に私は楽しむことを目的にしているのでそこまで気にしていないのだが、良くSRのカードが出る。恐らくスーパーレアのことだと思われるが、その上のランクはSSRである。SSRとは何だろうか。まさかスーパースーパーレアな訳もあるまい。最近のゲームによくあるがこのSは一体何だろう。
ムシキングも十分やったので、私はブックオフに寄った。驚かれることも多いのだが、私は漫画も読む。最近はまっている作品などは逐一挙げていてはキリがないので控えるが、結構面白いものがたくさんある。
はまっている本は大体買い揃えているので、新しく何か面白いのは無いだろうかと探した。しかし見つからないまま、ふと時計を見たら8時を過ぎていたので急いで帰ることにした。バスで帰れるのだが、こんな時に限ってバスが来ない。焦りのせいで余計に時間が長く感じられる。やっと帰ったときには9時を過ぎていた。
我が家では門限は設定されていないのだが、流石に遅すぎる。怒られるかもしれないと鍵を開けると、家に電気がついていなかった。一体どういうことだと考えていると、親が起きてきた。何と今の今まで寝ていたという。必死に帰った自分が馬鹿みたいだ。
その後遅い夕食を食べて、今気まま遊んでいるわけだが、思い返してみると今日はなかなかに面白い一日だった。遅い外出はなかなか楽しかったし、食事の時間を考えると生活リズムも何もあった物ではない。まあ長い夏休み、こんな一日の過ごし方もあっていいだろう。
そう思いながら、私は読みかけの本を開いた。